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038 ほどけた二人の手

 ヘイムデイルは、ヨハンが完全に岩の中に埋められたのを確認するため、岩の柱へと足を進る。その足取りは、まるで勝利と死の余韻に浸り、それをゆっくりと堪能するかのような足取りだった。


 ヘイムデイルが足を進めていると、突然、どこからともなく穏やかな笛の音色が響き渡った。


 儚くもの悲しいその音色は――――


 岩の柱の頂上から響いていた。


 ヘイムデイルとマリーの二人が、揃って岩の柱の頂上に瞳を向けると、そこには岩の中に埋まったと思い込んでいたヨハンが悠々と佇んでいた。


「――――馬鹿なッ?」


 ヘイムデイルは信じられないとばかりに声を上げる。

 ヨハンはまるで何事も無かったように、平然と笛を吹き続けている。


 刹那、ヘイムデイルの周囲に金色の光が(ほとばし)った。


「――――何?」


 ヘイムデイルは辺りを見回す――――その足元には、緑色の墨で書かれた複雑な魔法陣が描かれていた。それは先ほどヨハンが地面を転がりながら槍を避けていた際、ヘイムデイルに気づかれないように、こっそり描いていたものだった。


「“封印の魔法陣”? 馬鹿ッ―――――まさか、あの短時間でこんなものを?」


 ヘイムデイルは信じられないと驚愕の声を出した。


 するとヨハンの笛の音は激しくなり、ヘイムデイルを包む光りも強くなっていく。そして、笛の音は終幕を告げた。ヨハンが笛の音を止めて笛を降ろすと、ヘイムデイルを包み込んでいた光りも収束していった。ヘイムデイルは事切れたように地面に崩れ落ちた。

 

 笛を下ろしたヨハンは安堵するように息をつき、そして額の汗を拭って口笛を鳴らした。


「全く、やっかいな夜になりそうだ」


 ヨハンは不満を漏らすように呟き、地面から盛り上がった岩の柱に手をついた。すると岩の柱は音を立てて地面に戻って行き、次第に元の状態に戻っていった。


 マリーはその光景を安堵の表情で見守った後、魔法陣を抜けてヨハンの元に駆け寄った。


「ちょっと心配させないでよ。寿命が縮むじゃない」


 マリーは橋の上に俯に倒れ込んでいる、ヘイムデイルに視線を落とした。


「ねぇ、もしかして死んでるの?」


 ヨハンもヘイムデイルに視線を向けた。


「いや、ただ眠っているだけさ。少しばかり記憶を失ってね。それより――――」


 ヨハンはマリーに視線を戻した。


「早くここを離れよう。ロキが心配だな?」


 ヨハンはマリーの手を取った。


 すると、その時――――


「やれやれ」


 と、聞き覚えの声が闇夜に響いた。


 ヨハンは振り返るが、しかし声の主の姿はどこにも無く、ただ謎の声だけが再び夜の空気を震わせた。


「流石は、伝説の魔女――――ユグドレイシアのお弟子さんだ。まさか、ヘイムデイルを倒すとは。いや、流石は天才魔法使いのヨハン君と言ったほうが、いいのですかね?」


 声だけが木霊(こだま)する虚空の空間を睨みつけ、ヨハンは苛々したように声を発する。


「お世辞はいいから、さっさと出て来たらどうなんだい? まさか僕が怖くて出て来れないのかい?」


 ヨハンは挑発的に言ってみせる。


「まぁ、そういうことにしておきましょう。それに、私たちの目的はあなたではない、“聖杯の乙女”ですので。あなたと無駄な争いはしたくはありません。どうか、聖杯の乙女を置いて去っては貰えぬでしょうか? ヘイムデイルが申した通り――――私もあなたの才を無駄にしたくはありません」


 姿の見えぬ声の主は、感情のこもっていない淡々とした声で告げた。


「愚問だね――――」


 ヨハンは吐き捨てるように言う。


「僕がマリーを置いて逃げるわけないだろう? それより、さっさと姿を見せたらどうなんだ」


「残念です」


 声の主は、ちっとも残念そうではなく言葉を続ける。


「それと、姿は見せません」


「だったらどうするんだい」


「こうします――――」


 声の主は告げる。


 すると、辺りは先ほどりもさらに深い緊張感に包まれ、耳がおかしくなってしまいそうなぐらいの静寂が押し寄せた。


 ヨハンは辺りに気を配り、神経を研ぎ澄ませる。


 ヨハンは何かに気づいたように目を細め、橋の上に浮かび上がった濃い影を睨みつけた。濃い影はヨハンに見つめられるともぞもぞと動きだし、まるで沸騰したようにボコボコと泡のようなものが浮き上がりはじめた。


 ヨハンは、さらに緊張感を高める。


「どうやら――――逃げたほうがよさそうだ」


 ヨハンはマリーの手を取り、全速力で駆け出した。

 訳の分かっていないマリーも、とにかく一目散に走りだした。


 逃げる途中、思わずマリーは後ろを振り返るが――――一瞬、驚きで目が点になると、マリー直ぐに前を向きなおした。


 そして、マリーは我が目を疑うような光景を見て、振り返ったこと深くを後悔した。


「なにあれ?」


「多分、魔法で造った物体だろう。とにかく、捕まったら――――まずい」


 マリーが目にした黒い影は、今や“巨大な黒いスライム”のような物体に変形して、そして膨張を続けていた。そしてスライムのような影は、空をも覆い隠しそうなぐらいに膨らんでいた。まるでパンの生地を発酵させているような光景だなと――――マリーは不謹慎ながら思った。しかし、あの影がパンのようにおいしい物にならないことぐらい、マリーが考えずとも容易に理解することできた。


 膨らんだ黒い影は大きくなり過ぎたのか、次第にその形を維持できなくなり――――溢れ出した水のように流れ出はじめた。そして溢れ出した影は、マリーとヨハンを凄まじい勢いで追っていった。まるで雪崩が迫ってくるように、黒い影はあっと言う間に橋を覆いつくし、溢れた影はドロドロと川に零れて落ちて行く。


「バカなっ? 町ごと呑み込むなんて、いったい何を考えているんだ――――魔法使いのルールも分かっていないのか? いや、それほど必至、追い込まれいるということなのか?」


 流れだた黒い影は町をも覆いつくして、四方八方からマリーとヨハンに迫ってくる。まるでゼリー状の雪崩が町を包みこんで行くように、次々と建物が飲み込まれて行く。


 マリーとヨハンの直ぐ後ろにも、その影は迫って来ている。


 二人は全速力で町を駆け抜け、ヨハンのアジトのある通りに差しかかった。あともう少し――――ヨハンのアジトが見えて来そうなところで、マリーが道に転がっていた石に(つまず)き、バランスを崩して転んでしまった。繋いでいた手が離れ、ヨハンは急いでマリーを起こそうと振り返る。


 しかし、二人を追う影はすぐそこに迫っていて、あっと言う間にマリーを飲み込んでしまった。


「――――ヨハンっ」


 影に飲み込まれる寸前、マリーの声がヨハンの耳の届く。


「――――マリー」


 ヨハンもマリーの名を呼んだ。


 ゼリー状の影に呑み込まれたマリーの片手だけが、影から突き出している。ヨハンは直ぐにマリーに駆け寄り、その手を握って必死にマリーを引っ張り出そうとするが――――マリーを救出する間もなく、ヨハンも影に飲み込まれてしまった。


 影に呑み込まれても。ヨハンは握ったマリーの手だけは離さず、暗闇の中で必死にマリーの名を叫び続けていた。

 

 暗く、冷たい、感覚すら失ってしまう空間――――上も、下も、右も、左も分からない中で、ヨハンは必死にもがき、そして叫び続けた。


「マリー、絶対助けるから。待っていて――――今、助け出すから」


 しかし、ヨハンの必死の叫びにマリーの反応は無く、強く握っていたマリーの手が力なく解けて行くだけだった。


「――――マリー? マリー?」


 ヨハンは、更に声を強くしてマリーの名を叫ぶ。


「くそっ、こんなもの?」


 ヨハンは吐き捨てるように言い、魔力を込めようと力を振り絞るが、先ほどからちっとも魔力が出なかった。身動きもできない中で、必死に抵抗しようと足掻いてみせるが、そんなヨハンの行動も空しく、次第にヨハンの意識は遠のいていき――――


 深淵の影の中で、ヨハンは深い眠りについてしまった。


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