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002 私を蛙にするほうほうでも思いついたわけ?

 マリーは息を切らしながら、ようやく緑色の淡い光の元にたどりついた。そのゆっくりとした光は、もうすぐマリーの手の届きそうなくらいの距離まで落ちてきてた。


 夜空の月が涙をこぼしたように――――


 そしてまるで木葉が落ちるよりも緩い速度で、その光は夜空から降ってきた。


「いったい何かしら? 宝石? もう少しで手が届きそう」


 マリーは精一杯に手を伸ばし、落ちてくるその光をつかもうとした。

 

 その時、空から叫び声のような声が、静寂の平原に響きわたった。


「ちょっと待って――――その石に触らないで」


 マリーはその声にビクリと体を震わせて、辺りを見回した。しかし、その声が聞こえた時には、空から降ってきた淡い緑色の光は、マリーの伸ばした手の中に吸い込まれるように落ちていった。


 マリーは手の中に落ちた光をそっと両手で包みこみ、まるでひきつけられるようにそっと顔の前まで持っていった。そして、とても大切なもののように握ったそれを、マリーは近づけた顔の前で開き、手の中の光をそっと見つめた。

 

 マリーの手の中にこぼれ落ちた光りは、ただの光でなかった。


 それは丸くて小さい石のようなかたまりが、淡い緑色の光を放っていた。まるで蛍のように輝く光の石は、羽のように軽くて、ちっとも重みがなかった。


 そして光りは次第に広がっていき、優しくマリーを包み込んだ。


「きれい」


 マリーが、その光る石にうっとりと見とれていると――――その時だった。


 不意に、マリーの目の前に人影が現れた。そしてマリーは驚き、「きゃあ」と悲鳴をあげる。マリーが驚くのも無理はなかった。なぜなら、その人影は夜空からとつぜん、まるで暗闇が実体化したように現れたのだから、驚かないほうがおかしいというものだった。


 しかしその人影は、マリーが驚いていることなど少しも気にかけずに、マリーに一歩近づいて口を開いた。


「今すぐそれを――――“聖杯”を返してくれないか」


 その声は先ほど、静寂の平原に響いた声の主と同じ声だった。マリーは一歩二歩後ずさり、怪しげに声の主を凝視した。そして、マリーは瞳を皿のように丸くした。


 驚いたことに、声の主はマリーとさほど年の違わない少年だった。


 長い髪を後ろで束ね、声を聞いていなかったら女性と見間違えてしまいそうなくらい綺麗な顔立ちをしている。空から落ちてきたことと、手に持った長い箒が無かったら――――こんな美しい満月の夜、まるで恋に落ちてしまいそうな状況だったといえるかもしれない。


「聖杯って、この石のこと? それよりあなた、誰?」


 マリーの質問は当然だった。


 いきなり空から落ちてきて、“聖杯を返してくれ”と言われては――――納得いくはずもなかった。それに意味が分からない。しかし、マリーの質問に少年は苛立ちを隠せずにいた。というよりも、少年はどこか焦っているようだった。しきりに辺りに視線を配り、どこか急いでいるようにも見えた。


「僕が誰かなんてどうでもいい。それにその石は君が持っていてもしかたがない物なんだ。頼むからおとなしく返してくれないか?」


「何よ、その言いかた?」


 マリーは、少年の言葉に少し腹を立てて言い返した。


「おっと失礼、僕の言葉が足りなかったようだね――――それは僕の物なんだ。だから、持ち主の僕に返してくれないかい?」


 少年はマリーが後ずさった距離を埋めるように、自らも一歩二歩前に出た。マリーは近づいてくる少年に警戒感を強め、とっさに手に握った石を強く握りしめた。


 その瞬間――――今までマリーを優しく包み込んでいた光が、石を握っているマリーの右手集まり始め、マリーノ手の中からは眩い光が溢れ出した。


 マリーが驚いて手を開くと、手のひらからは激しい光がこぼれだす。


 光はマリーの回りを取り囲み、まるで意思をもった生物のように不規則に暴れ始めた。


「――――えっ、何?」


 溢れ出した光の洪水を見たマリーは、悲鳴に似た声を上げる。しかし、溢れた光はマリーの悲鳴など気にもせず、さらに強い光でマリーを包み込んでいく。初めは淡い緑色だった光は、その色を濃くしていき、その輝きを増し続けた。


 そして、マリーを中心に光の螺旋を描いていく。


「そんな馬鹿な? 魔力の暴走が起きるなんて」


 少年は信じられないと表情を歪めるが、直ぐに冷静さを取り戻して視線を鋭くし、光に包まれるマリーに声を上げた。


「早く――――手に握った石を離せ」


 少年の必死の声が届くことはなく、光の洪水がつくりだした巨大な渦に包まれマリーは、どうして良いか分からずに、ただただ混乱し続けていた。少年は目の前の光景に、どうしたものかと頭を悩ませるが、直ぐに傍観していることしか出来ないと悟り、光の渦を黙ったまま見つめることにした。


 光の螺旋はマリーを取り巻きながら、まるで繭のようにマリーを包む。


 そして一瞬、太陽が空に上ったかのように辺りを照らしだした。


 平原地帯が光で包まれ、マリーは余りの眩しさに瞳を閉じる。

 そして光の繭は風船が割れるように弾けて、辺りには再び静寂と夜が訪れた。


 静かな夜が戻ると、平原地帯にはマリーと少年だけがぽつんと取り残されたように立ち尽くしていた。

 そして、マリーはあんぐりと口をあけたまま呆然としていた。


「いったい、何だったの?」


 マリーは、もしかして自分は夢でも見ているのかと、頬をつねりたくなっていた。

 

 そんなふうに、唖然としたまま虚無の空間を眺めるマリーに、ただただ事態を傍観しているばかりだった少年が詰め寄り、マリーの手を無理やり取ってその手のひらに視線を落とした。


 マリーは「何よ?」と少年に視線をぶつけたが、少年は愕然としてマリーの手を放し、がっくりと肩を落としてみせた。そこで、マリーは初めて先ほどまで自分が手に持っていた石が、手のひらから消えてしまっていることに気づきいた。


「なんてことをしてくれたんだ? せっかく死ぬ思いで手に入れた聖杯を、こんな田舎町で失うなんて」


 少年は今にも泣き出しそうな表情を浮かべて、声を上げた。


「田舎町ですって」


 マリーは声を上げて反論する。


「田舎町じゃないか。こんな辺鄙(へんぴ)な。しかも、こんな田舎町の娘に聖杯が」


 後半は声にならない情けない声を上げた。


「ちょっと、田舎町の娘なんて失礼ね。そんなにあの石が大切なの? ところでさっきの光は何? それにあの綺麗な石はどこに消えてしまったの?」

 

 マリーは早口でくさんの質問をぶつけた。

 すると少年は顔を上げ、血相を変えて言った。


「どこに消えてしまったのだって? 君が聖杯に触れたせいで、あの石は魔力を失ってしまったんだぞ。それに、あの石が大切かだって? 大切に決まっているだろう。あの石に、一体どれほどの魔力が詰まっていると思っているんだ、それに――――」


 少年の口調はさらに激しくなり、どうしようもない怒りを嵐のようにマリーにぶつけた。


「君のような田舎娘のせいで聖杯が消えてしまうなんて――――こんなことなら、魔力が暴走している最中に君を蛙にでもしてしまえば良かったよ」


 少年の激しい物言いに、とうとうマリーは耐えられずに身体を怒りで震わせた。


「さっきから黙って聞いていたら何なのよっ? 田舎娘、田舎娘って。あの石が何なわけ? それに蛙にするですって――――あなた魔法使いにでもなったつもり?」


 その言葉を受けて、少年は「はっ」と馬鹿にするように笑ってみせた。


「魔法使いにでもなったつもりだって? 魔法使いに決まっているだろう。もっとも君のような魔力のかけらもない田舎娘には分からないだろうけどね、まて――――」


 そう言うと、少年は何かに気がついたかのように額に手を当て考えはじめた。


 もう一方のマリーは、少年の言葉に大きな衝撃を受けていた。もちろん、魔法使いが実在すると言うことに。しかしマリーが衝撃を受けたのは、自分が夢の中で思い描いていた魔法使いが、こんなにも失礼な男だったと言うことにだった。


 毎晩、マリーが寝るまえに母親が聞かせてくれた物話に登場する魔法使いは、そして自分が空想の中で想像していた魔法使いたちは――――みんな優しくて、賢く、紳士的な人たちばかりだったが、今目の前に現れ、魔法使いだと名乗る少年は、紳士とは程遠いい存在だった。マリーは自分が思い描いていた理想の魔法使いたちが、もろくも崩れ去ってしまうようでとても悲しい気分になっていた。


 しかし、マリーは考えてみた。


 魔法使いが存在するわけない。今まで生きてきた中で、たった一度でも魔法使いが存在するなんて話を聞いたことはなく、聞くのはいつも御伽話と噂話ばかりだった。一度、マリーの働くオベリアル卿の館にも魔法使いが現れたなんて噂が立ったが、それはただ嵐の夜に三角帽子を被ったマント姿の旅人が、宿を求めて尋ねただけだった。


 今、目の前にいる失礼な少年が魔法使いであるわけがない。

 マリーはそう自分に言い聞かせた。


「――――そうかっ」


 少年は指をパチッと鳴らし、先程までとは、打って変わった笑顔でマリーを見つなおした。


 マリーは、少年の美しい翡翠色の瞳に見つめられて、不思議な気持ちになった。まるで全てを見透かされているようだった。そして、この世界の理を知り尽くしたかのような美しい瞳に、マリーは言葉を失っていた。


 こうして少年を正面から見据えると――――少年はまるでどこかの国の貴族か、立派な家柄の跡取りのように見えた。


 整った顔立ちに、翡翠の宝石を埋め込んだような美しい瞳。その瞳にかぶる白銀の髪の毛は、月の光を受けて星のように輝いてた。そしてマリーが第一印象で感じた通り、女性のように綺麗で端整な顔立ちをしていた。


 少年の身なりも顔立ちと同じく整っていて、とても立派だった。肩に羽織ったマントは見るも鮮やかな緑色をしていて、それを縁取る複雑な金の刺繍もとても手が込んでいて見事だった。さらに驚くべきは、少年がつけている数々の装飾品だった。首飾り、耳飾り、指輪、腕輪、どれも素晴らしく綺麗な代物ばかり。特に素晴らしいのは、少年が首から下げた大きな黒水晶。宝石ですらろくに見たことないマリーには、その黒水晶が国の宝物のように貴重な物に見えた。


 マリーは少年の美しい容姿に後込みしながらも、負けじと強気な態度で言葉を返してみせた。


「何が――――そうかっ、なのよ? 私を蛙にするほうほうでも思いついたわけ? この嘘つき魔法使い」


 その言葉を受けても、少年はマリーの言葉をまるで気にする様子はなく、爽やかな笑みで一蹴してみせた。


「いいかい? 魔力のかけらもない君に、聖杯が魔力の暴走を起こすわけはないんだ。だから聖杯は魔力を失ったわけじゃない」


 少年はそこで言葉を区切った。

 そして自分の言葉の辻褄が合わないと、眉間に(しわ)を寄せた。


「じゃあ一体? まさか、君が“受け皿”――――」


 少年は――――信じられないと言わんばかりの表情でマリーを見つめた。

 マリーは、少年の言葉の意味がさっぱり理解できずに苛立ちを募らせた。


「ちょっと、さっきから言ってることがさっぱり分からないんだけど」


「静かにっ――――」


 少年は指を立てて、マリーの言葉を遮った。そして少年はそのまま目を瞑り、大きく両手を広げてみせる。その姿は、まるで風を感じているようだった。しかし、風なんてどこにも吹いておらず、辺りには静寂につつまれていた。


 マリーはさらに意味が分からなくなり、膨れ上がった苛立ちが今にも破裂しそうになっていた。


「もうっ、何なのよ? 静かにって何も聞こえないじゃない」


 マリーは辺りをキョロキョロと見回しながら言いった。

 少年はまたもマリーの質問には答えず――――


 「ロキ」


 少年はロキと呼んだ。


「ロキって、誰の名前を呼んでるのよ? ここにはあなたと私しかいないじゃない――――」


 マリーがそう言うと、どこからともなく声が聞こえてきた。


「あぁ、分かっている――――月の方角、距離二千。飛行した物体が二つ」


「案外早かったな? しかし、この気配は――――」


 マリーは少年が誰と話しているのか分からず困惑の表情を浮かべていた。

 すると、少年の腰のベルトに付けられた茶色の革のバッグがモゾモゾと動き出した。


「――――きゃあっ」


 マリーはそれを見て驚きの声を上げた。


 皮のバッグのジップを開いて中から飛び出して来たのは、手のひらに乗るぐらいの“黒い子猫”だった。しかし現れたのは、ただの子猫ではなかった。丸まった背中には、紫色の光が集まってできた蝶々のような羽がついていて、子猫自体も紫色に発光していた。さらに子猫はふわふわと中に浮き、人間の言葉まで喋ってみせた。


 マリーはもう何が何だか分からなくなっていた。まるで夢の中にいるような、不思議の国に迷い込んでしまったような、そんな気分だった。目眩で頭がクラクラし、今にも倒れそうなマリーをよそに、少年と子猫らしき生き物は話し合いを続ける。


「とりあえず今すぐこの場から離れよう。奴らもうそこまで追ってきていることだし」


 と、少年。


「彼女はどうする、まさか連れていくのか?」


 と、子猫がマリーを見つめながら言う。


「連れて行くしかないだろう? もしかしたら聖杯の受け皿――――器かもしれないんだから」


 少年が言うと、子猫はそれ以上何も言わなかった。


 少年は次にポッカリと口を開けたマリーに向き直り、落ち着いた口調で言葉をつづけた。


「すまない、詳しい事情は後で説明する。君の質問にもしっかりと答えよう――――だから、今は黙って僕についてきてくれないか?」


「えっ、ついて来てって?」


 その時、静まり返った夜の平原地帯に、とつぜん鈍い機械の音が響いた。


 先ほどの飛空挺の音に比べれば僅かな音だが、徐々に機械音は大きくなっていく。マリーが音のする空を見上げると、月明かりに照らされた二つの物体が、空からマリーたちのいる方へ近づいて来るのが見えた。


 少年は、「チッ」と舌打ちをして口を開く。


「時間がない、急ごう」


 マリーは驚きながら少年に向き直った。


「急ぐって、どこへ? それに、あれは何? あなた追われているの?」


「君は質問の多い子だな」


 少年は当たりを見回し、草むらに転がる箒を見つける。

 そして少し困った顔をしながらマリーの質問に答えてみせた。


「さっきまで追われていたのは、まぁ僕だったんだけど、今追われているのは、うーん、ひじょうに言いにくいんだが―――――」


 少年は少しも言い難そうな表情など浮かべずに、さらりと言葉をつづける。


「――――君のほうかな?」


 言葉を終えると、少年は指をパチッと鳴らしてみせる。


 すると、少年から少し離れた場所に転がる箒が、自然と宙に浮き上がった。


 その箒は、マリーの目には箒と呼ぶには美しく、あまりにも豪華すぎるように映った。箒は()に特別な彫刻が施され、柄の先には綺麗な赤色の宝石が埋め込まれていた。そして柄の部分は、とても洗練とされた長さだった。箒の穂は目も眩まんばかりの黄金色で、その穂を鮮やかな朱色の糸が束ねている。


 箒は少年の膝の高さまで浮くと、そのまま空中に停止していた。


 少年は素早くマリーを両腕で抱え、箒に飛び乗った。

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