013 魔法使いだったからだ
次の日、マリーが目覚めるとヨハンはもうアジトにはいなかった。
「ヨハンなら、朝早く出た」
マリーが「どこへ?」と、尋ねるとロキは――――
「さあ」
それだけだった。
「マリー、ヨハンが夕食の食材はここから支払えと言っていたぞ」
「ちゃっかり都合の良いことは覚えているのね」
そう言って、マリーはロキが口にくわえた巾着の財布を受け取った。
マリーが財布の中をのぞいてみると、渡された財布の中には金貨がこれでもかと言うぐらい入っていて、一カ月分の食材を買ってもたっぷりとお釣りが来る程だった。
「ちょ、ちょっとっ―――――こっ、こんなに要らないわよっ」
マリーは驚いて大声を上げた。
「ヨハンは金には無頓着な男だ。マリーがそれを使い切っても、とくに何も言わないだろう。それに、その金貨でマリーの好きなもの買うといいと、ヨハンは言っていた」
マリーは聞いてびっくりした。
こんなに沢山の金貨を見たこともそうだが、ヨハンの金銭感覚の無さにだった。昨日、マリーのために買ってきてくれた洋服も、ヨハンにとっては本当にたいした物では無いんだろうなと、マリーは納得した。
なんだかヨハンと自分とでは本当に住む世界が違うんだなあと、マリーは思った。
「じゃあ、ヨハンはお金に困ったことなんて無いんでしょうね?」
マリーは少しだけ羨ましそうに言った。
「そんなことも無い。あいつは金遣いが荒いから、よくこの部屋の家賃が払えなくなって大家に頭を下げているし、以前は家賃の滞納など当たり前だった」
ロキはマリーに出してもらったミルクをなめながら続ける。
「しかし、この商売を始めたころは大変だった。客は来ない、金は無い、食べる物も無い。しかも、あいつは女性の客には金を取らなかったり、金のない客には無料どうぜんで仕事をしたりして、私たちの生活は苦しくなっていくいっぽうだった」
ロキは今まで変わらぬ口調で淡々と述べていたが、どことなく愚痴をこぼしているようだった。
マリーは紅茶を飲みながら、ロキの話の続きをわくわくしながら聞いた。
ヨハンの入れた紅茶に比べると、マリーは自分のいれた紅茶はずいぶん安い味がするような気がしたのだが、そのことには目を瞑ることにした。
「ねぇ、いつからここで商売しているの?」
「あいつが十二の時から始め、もう千四百二十一回の日が過ぎた」
「えっ、てことは――――」
マリーは頭を悩ませた。
「もう直ぐ四年だ」
「ヨハンって、十六歳なの?」
「ああ」
マリーはヨハンと出会った時に、自分とヨハンの年が近いだろうと感じていたが――――それでもマリーは、ヨハンがすでに成人を迎えていると思っていたので、自分と同い年だということは意外なことだった。
「じゃあ、私と同い年なんだ。ねぇ、魔法使いの仕事って何をするの?」
「たいしたことはしない。ヨハンの仕事といえば――――部屋に魔法をかけて泥棒が侵入できなくしたり、眠れない人間に眠りの薬を処方したり、犬を探したり、冴えない男性にホレ薬を調合したり、そんなところだ」
「本当にたいしたことないのね。でも、ホレ薬なんてつくれるの?」
「いや、ヨハンが調合するにはリラックス効果のある紅茶だ。まぁ、一種の暗示療法というやつだ」
「へぇ」
マリーは本当に魔法使いがたいしたことをしていないことに驚き、少しガッカリした。
「そんなものだろう。言ってみれば“なんでも家”だ」
「じゃあ、王室から依頼が来るって話は、やっぱり嘘なの?」
マリーはじとりとロキを見た。
「あれは本当だ」
「本当に?」
次にマリーは、疑わしそうな視線をロキに向けた。
「ああ、本当だ」
「どうやって、お金も無くて食べる物も無い魔法使いに王室から依頼が来るようになるの?」
マリーは興味津々で尋ねる。
「それには、一つの事件が大きく関係ある」
「どんな事件なの?」
ロキとの会話が弾みはじめ、ようやく聞きごたえのある話が聞けそうだと、マリーは瞳を大きく開いて話の続きを催促する。
「王室で起きた事件だ」
「王室で?」
「そうだ。犯人は人質を取って王室に立て籠もっていた。犯人の中にも魔法使いがいて、“国家魔法使い”といえども簡単に手を出せる状態じゃなかった。そして、立て籠もりは一週間を過ぎた」
「王室に? それに一週間も?」
マリーは口を大きく開いて驚いた。
「何しろ犯人は宮殿全体に大きな魔法陣を描いていたので、宮殿に侵入することもできずにいた」
「魔法陣って?」
「魔法の効果を秘めた印のことを指す。文字や図形などの組み合わせで構成され、そこに魔力を流すことで発動する、儀式などでよく使われる魔法の一種だ。魔法を保存できるという点と、複雑な魔法の使用は可能になると点が、利点であると言えば利点だな」
「便利なのね。それで、話しの続きを聞かせて」
「ああ。犯人たちが取った人質が、この国の姫を含めた、王室に縁のある貴族だったので――――下手な行動が命取りになるため、解決の糸口をつかめずにいた」
「頭のいい犯人なのね」
「相当の切れ者だ。そして犯人の計画は完璧だった――――ヨハンが現れなければ」
「そこでヨハンの登場ね」
ヒーローが現れるのを待っている子供のような気持ちで、マリーはヨハンの登場に胸を膨らませた。
「その時期、仕事も、食べる物も、もちろん金もないヨハンは、この事件を解決させて恩賞を貰おう躍起になっていた。だが、宮殿を取り巻く近衛兵や国家魔法使いに何を言っても相手にされず、ただ子供扱いされるだけだった」
ロキ淡々と言葉を続けた。
「それもそうだろう。たかが十四歳かそこらの子供の話を聞くほど、彼らも暇ではない。そこで頭に来た、と言うよりも――――あいつの性格からして、火がついたと言ったほうが正しいだろう」
「火がついた?」
マリーは、空になったカップの縁とロキの言葉をなぞった。
「無理や無駄。そう言われるとなおさらやる気をだすのが、ヨハンの面白いところだ」
「つまり、ひねくれているのね?」
「それが一番正しい。それで、そのひねくれたヨハンは直接、この国の王に話をつけに行った」
「王様に?」
驚きとともに、マリーの瞳が輝いた。
「そう、自分がこの国の姫を助けてみせると」
「それで王様は承諾したの」
「初めは相手にしていなかった。しかし、ヨハンが――――自分が姫を救出できなければ、自分の首を跳ねればいい。自分なら、必ず姫を救出して見せるなどと決死の説得を試みた。もともと、魔法の腕でヨハンの評判自体は広まっていたため、そこでこの国の王も半信半疑で承諾した」
「それで、どうやってお姫様を救出したの?」
マリーは早く続きが聞きたくて、うずうずしていた。
「王の許しをもらったヨハンは、まず初めに近衛兵や国家魔法使いに、宮殿の前から撤退するように命じた」
「どうして?」
「ヨハンは全てを自分一人でやろうと考えていたから、余計な事をされるのがうっとうしかったのだ。それから、ヨハンは相手の要求を全部受け入れる情報を流した。しかし、犯人たちも馬鹿じゃない、とうぜん疑っているだろう。そこで気を抜いたりはしなかったが、そこがヨハンの狙いだった。犯人たちの、もうすぐ目的が達成されるかもしれないという張り詰めた緊張と、一週間の立て篭もりでナーバスになった感情をついた」
ロキはそこで言葉を止めると、からっぽになったミルクの皿を見限って、椅子の上から机の上に飛び乗って言葉を続けた。
「ヨハンは、まず近衛兵や国家魔法使いを撤退させたことで、何かがおかしいと思って外の様子を確認しに現れた犯人の一人に、魔法で変身をした。しかし、ただ変身しただけじゃない。殴られ、争った形跡を残した変身だ」
「殴られて、争った変装?」
マリーには、ヨハンの考えはさっぱりだった。
「そうだ。そして、慌てた演技をしながら犯人たちが立て籠もる部屋まで向かった。そこには、もちろんヨハンが魔法で変身した男もその部屋にはいた」
「見つからなかったの?」
「もちろん見つかった。しかし、それもヨハンの計算だ。犯人は争った形跡のある犯人に扮したヨハン見て、どう思う?」
解決の糸口をロキが口にしても、マリーにはヨハンの考えはさっぱりだった。
「どうって、どう思うの?」
「ヨハンが魔法で変身した男を偽物だと思うだろう。そしてヨハンの方を本物だと思う――――そうして犯人たちが争っている所で私が」
「ちょっと待って―――――ってことは、ヨハンが変身した男と、ヨハンが変身していない男がいて、犯人たちはヨハンじゃない方を疑っていたのね」
マリーは頭の中を整理した。
「そう言うことだ。ヨハンじゃない本物が疑われていて、犯人たちを混乱状態にした。その混乱の間に、私が人質の無事を確認して安全を確保して、犯人のリーダー格の男に魔法で変身した。すると、犯人たちはさらに混乱の渦に陥り、パニックを起こした。そして、犯人同士で争いを始めた。そこでヨハンは、強力な眠りの魔法を唱え、犯人たちを眠らせた」
「そこで事件解決ね。じゃあ、王様にたっぷり恩賞をもらえたのね」
マリーは嬉しそうに声を上げた。
「そう上手くも行かないものだ。犯人たちは捕まったが、リーダー格の魔法使いを逃がしてしまったのだ。そこでこの国の大臣や国家魔法使いたちは、ヨハンを責めた。自分たちならもっと上手くやったと言わんばかりに。ただ手をこまねいて傍観していただけの者たちがだ」
「酷いわね。お姫様は無事だったんでしょ?」
マリーも、せっかくのハッピーエンドに水を差されたようで残念な気持ちになった。マリーの頭の中では、すでに自分もお姫さま救出メンバーの一員になっていたので、怒りを募らせていた。
「人質になった人間は全員無事だ。傷一つない。人間というものは、自分の非は認めぬが、他人の非には敏感で冷酷なものだ」
「そんな事ないわよ。私は」
「自分の非を認められない人間――――とつけ加えておこう」
「それが良いわね。それで、ヨハンはどうなったの? ご褒美は無し?」
マリーは残念そうに肩を落とした。
「いや、恩賞は受け取った。結果的に犯人たちは捕まり、人質も無事に助かった。回りは騒ぎ立てても、助けられた人質たちや王はにヨハンに感謝をしていた。とくにこの国の姫には、だいぶ気に入られたようだったな」
「それで、たくさんご褒美を貰って一躍有名人ってわけね?」
「そう言うことだ。王はヨハンに恩賞だけでなく国家魔法使いの資格も与えようよした。もちろんヨハンは断ったが」
マリーはヨハンが国家魔法使いのことを、国の伝書鳩と呼んでいたことを思い出した。
「それからは仕事も徐々に増えた。そして姫に気に入られたヨハンは、王室からも度々依頼が来るようになった」
「なかなか劇的な話ね。めでたしめでたしだわ。でも、おしかったわね。犯人を全員捕まえていれば。もっと有名になれたし、それにご褒美ももっとたっぷり貰えたのにね」
マリーはまるで自分のことように悔しがっていた。
「逃がしたのだ」
「えっ?」
マリーにはロキの言葉の意味が分からなかった。
「犯人のリーダー各の男を――――ヨハンはわざと逃がしたんだ」
「どうして、そんなこと?」
マリーにはロキの言葉の意味も、ヨハンが犯人を逃がしたことも理解できなかった。
「魔法使いだったからだ。彼が本物の」
ロキはそれ以上口を開かなかった。
今、ロキが話してくれた物語が――――話してはいけなく、聞いてはいけない物語だと、マリーは思った。そして、マリーの頭の中を多くの疑問がぐるぐると巡っていた。
なぜ、ヨハンは犯人を逃がしたんだろう? そういえば、犯人要求は何だったんだろう? そして、本物の魔法使い――――そんな言葉が、マリーの頭の中に深く刻み込まれ、水溜りに落ちた木の葉のようにゆっくりと思考の中をたゆたっていた。