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012 夜ですら、その時が訪れるのを恐れているかのように

 その夜――――


 マリーがぐっすりと寝静まったころ、深い夜の闇に美しい横笛(フルート)の音が響きいた。まるで子守歌のように優しく響くその笛の音色は、目の覚めている全てのものを眠りへと(いざな)っているようだった。


 昨日よりも少しだけ欠けた月の下で、少年は微かな月の光と夜の冷たい空気を観客にして、一人笛を吹いていた。


 屋根の上に飾られた天使の彫刻の上に立ち、月を見上げた少年によって奏でられるその音色は、やわらかな優しさと暖かさの中に、寂しさをまぜたもの悲しい音色に変わり、少年もまた、その姿、そしてその背中に、哀愁を漂わせていた。


 しばらく月夜の孤独な演奏が街並みの静寂に響きわたり、深い夜はその演奏に耳を澄ましているかのように、いつもよりゆっくりと更けているようだった。


 そして、その音色を聞きつけてやって来たのか、とつぜん孤独な演奏会に観客が現れた。闇夜に紛れて現れた観客は、暗闇よりも尚暗い黒を纏い、紫に光る妖しげな瞳を持った――――この世ならざるものだった。


「久しぶりだな、お前がフルートを吹くなんて」

 

 この世ならざるものは、低く淡々とした声で月夜の演奏者に声を掛けた。声をかけられた演奏者は笛を吹くのを止めて振り返り、見下ろすように現れた観客を見据えた。


「たまには吹いてみたくなるものさ。忘れたころに思い出してしまう女性を愛おしく思うようにね」


 演奏者は銀色に輝く長い髪をかきあげ、自分の言葉に酔いしれるように言ってみせた。


「彼女に痛いことでも言われたのだろう」


 この世ならざるもの、しかし猫の姿をした観客は冷たく言い放った。


「相変わらず、何でもお見通しだね? まぁ、そういうことさ」


 演奏者はうんざりしたようにもらし、とたんに翡翠の瞳は輝きを失った。


「なぁ、ロキ、僕はどうしたらいいのかな?」


 力なく、沈んだ声の演奏者を前に、ロキは説き伏せるように言った。


「ヨハン、これはお前が選び進んだ道のはずだ。その答えは、お前でしか導き出すことはできない」


 まるで諭すように、ロキは淡々と言葉を並べていく。


「初めから解っていたはずだ。忘れたか? “大いなる力には、大いなる責任――――そして、それに伴う代償がつく”と」


 強く突き放すかのような言葉を受けて、ヨハンは叱られた子供のように表情を歪めた。


「君もずいぶん手厳しいね――――」


 ヨハンの声はどんどんと沈んで行き、まるで奈落の底に落ちて行くかのようだった。


「大いなる力には、大いなる責任―――そして、それに伴う代償がつく、か?」


 ヨハンはロキが口にした言葉の溝をなぞるように繰り返した。

 しかし、なぞったその言葉は、ヨハンにとって遥か以前の大きな溝だった。


「ユグドレイシアが今のお前を見たら、どう思うか」


 ロキの言葉を聞いて、ヨハンは気持ちはさらに深い所へと沈んで行きそうだった。今にも崩れてしまいそうなくらいに。


「その話はやめてくれ。分かっているよ、ただ決心がつかないだけだ」


 弱々しく声を発するヨハンに、ロキは強い口調で言葉を続けた。


「その決心とは、何だ? 責任を果たすことへの決心か――――それとも、代償を払うことへの決心か?」

 

 ヨハンは今にも泣き出しそうな表情を浮かべ、その心は心臓を槍を突き刺されたように痛んでいた。そしてヨハンはそれ以上、何も言わなかった。


 演奏者は再び笛を吹き始めた。


 深い夜のには、再び笛の音色が響きわたった。


 しかし、その音色は先程までの音色よりもずっと悲しく、とても寂しい音色だった。まるで誰かとの別れを悲しみ、終わりが来ることを恐れているような、そんなもの悲しい音色だった。


 夜ですら、その時が訪れるのを恐れているかのように――――


 東の空は次第に明らみ、白んでいった。


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