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010 お花畑のような色とりどりの洋服たち

 朝、マリーが目覚めると、太陽はもう青い空に昇り切っていた。


 窓から差し込む陽光が眩しく、窓の外からは雲雀(ひばり)の鳴き声が聞こえて来た。目を覚ましたマリーは手のひらで太陽を覆った。


「うーん。もう、朝?」


 マリーは気の抜けた声で呟き、手で目を擦った。眠りの国からゆっくりと、その余韻を楽しむかのように現実の世界へと戻ると、マリーははっと我に返った。


「やばっ? 遅刻っ――――」


 ばっと大きな音を立てて飛び起き、出発の支度をしようとしたところで、今度こそマリーは我に返った。


「そっか、仕事じゃないんだ」


 マリーはゆっくりと小難しそうな本が並んだ本棚を見渡し、ハンガーに掛けられたみすぼらしい制服に視線を移した。そして、マリーはそのまま落ちるようにベッドに座り込んだ。


 自分が今いる部屋と、自分がここにいる理由を思い出し、マリーはがっくりと肩を落とした。


 今まで、こんなに遅くに目を覚ました事があっただろう? マリーは自分自身に尋ねてみた。毎日、仕事仕事の連続でろくに遊びに出掛けた事がなかったマリーにとって、こんなに遅くに目が覚めるなんて初めてのことだった。


 マリーはふとオベリアル卿の館で働いていた事を思い出していた。


 まだここに来てからたった一日しか経っていないのに、オベリアル卿の館で使用人として働いていたことが、ずいぶんと昔のことに感じられた。マリーは何も告げずにここまで来てしまったことを後悔していた。


 母を亡くなくし、孤児になってしまったマリーを引き取り、住む所と働く場所を与えてくれたオベリアル卿。そしてマリーを優しく迎え入れて、時に厳しく叱ってくれた多くの人たち。そんな人たちのことを思うと、マリーの胸はひどく痛んだ。


「私のこと探してるのかな? それとも逃げ出したって思われてるかな?」


 震えた声で呟いて、マリーは窓の外を眺めた。


 皮肉にも窓の外に広がる空は澄み渡っていた。水彩絵の具で描いたような、爽やかで気持ちのいい空だった。


「だめだめ。落ち込んでいる場合じゃない。えがおえがお」


 マリーは冴えない自分の心に苛立ちを覚え、頭を大きく振って気を吐いてみた。そして雲が差していた自分の心に無理やり風を起こして太陽を覗かせて、元気よく部屋を出て行った。


「よく眠れたようだな? もう昼過ぎになるぞ」


 部屋に現れたマリーを迎えたロキは机の上でくつろいでいて、口を使って器用に本のページをめくっていた。


「もうそんなに? でも良く眠れたわ。おはよう」


「それは良かった」


「ねぇ、ヨハンはまだ戻らないの」


 マリーは部屋を見回した


「おそらく、戻るのは夜になるだろう。今日は一日ゆっくり過ごすといい。外に出たければ言ってくれ」


 黒猫は低い声で淡々と言葉を発した。それを聞きたマリーはすごく外に出掛けてみたくなり、王都の町並みに胸が膨らんだが、出掛けようにもあんなみすぼらしい使用人の制服では、外に出掛ける気にもなれず、それに見知らぬ土地に不安もあったので、マリーは迷ってしまった。

 

 ヨハンの洋服を借りて出掛けようとも考えたけれど――――


「考えとくわ」


 そう言ってマリーは椅子に腰掛け、外に出掛けようか、どうしようか、一日中頭を悩ませていた。


 結局、マリーは外には出掛けずに、ヨハンのアジトに籠もっていた。マリーは外に出掛けたい衝動を押さえ込んで、今日一日をゆっくりと部屋の中で過ごした。


 外を眺めていたり、本棚の本を引っ掻き回しておもしろそうな本を探してみたり――――ほとんどの本は難しくて意味の分からない本か、ライオンのノブに書かれていた文字に似た、見たこともなく読めすらしない文字の本ばかりで、おもしろそうな本は一冊もなかった。


 マリーはロキと盛り上がらない話をしたりして時間を潰し、夕方になるとキッチンの周りを物色しはじめ、何とか食べれそうな物を見つけて料理を始めた。干し肉、ジャガ芋、ニンジンなどの保存のきく食材に、たくさんのハーブを使って、マリーは手慣れた様子でシチューをつくっていく。


 しばらくすると、包丁が奏でる軽快なリズムが部屋中に響き渡り、じっくりことこと煮込まれたお鍋の中からはシチューのいい香りが漂ってきた。


「よしっ、できた」


 マリーはシチューを一口味見して、満足そうに頷いた。

 出来上がったシチューを皿に盛り、ロキと二人で夕食を食べることにした。


「どうかしら?」


 マリーは少し不安になりながらロキに尋る。


「うむ。いい味だ」


 ロキはマリーに冷ましてもらったシチューをもぐもぐと食べ、そして頷いた。


「本当に?」


 マリーは念を押すように、もう一度尋ねる。


「ああ、本当だ。とてもおいしい」


 マリーはその言葉を聞いて安心したのか、体の力が抜けて行くのを感じた。


「よかった。まずいって言われたらどうしようかと思ったの」


「こんなに美味しいものを食べたのは久しぶりだ」


 ロキの声は、今までと変わらずに低く淡々としていたが、その顔はどことなく満足げな顔をしているように見えた。ようやく、マリーも自分の分のシチューを口に運んだ。


「ねぇ、何でロキはヨハンの相棒をやっているの?」


 食事をしながら、マリーは思い出したように気になっていたことを尋ねた。だって、こんなにも落ち着いていてしっかりしているのに、ヨハンみたいないい加減で飄々(ひょうひょう)とした男の相棒をしているなんて、マリーは絶対におかしい、むしろ考えられないと思っていた。


 唐突な質問に、ロキはなんて答えればよいか頭を悩ませ、紫色の瞳を瞑って口を開いた。


「そうだな? ヨハンという男に興味がつきない、といったところだな」


「興味って、どんな?」


 帰ってきた意外な答えに、マリーは質問を続ける。


「それは付き合ってみないと分からない。形なきものを口にすることほど、難しいことはない。あと、しいて言うならばヨハンに助けられたから、だな」


「助けられた?」


 その時、勢いよく玄関の扉が開いた。


「なんだい、このいい匂い?」


 ヨハンは帰ってき早々、高らかに声を上げた。その手には、大きな紙袋を幾つもぶら下げて、そして体中につけた装飾品をじゃらじゃらと鳴らしながら、ふらふらとした足取りでマリーの隣の席に腰をかけた。


 マリーは、せっかくロキの話の途中だったのにと顔をしかめ、話の続きを聞くタイミングを完全に逃してしまったと思った。それに何だからロキにうまく話をはぐらかされたような気分だった。


「いやー疲れた、マリー、何を作ったんだい」


 ヨハンはずいぶん機嫌が良さそうだった。

 そして、ヨハンからはなぜか懐かしい匂いがした気がした。


「シチューよ。それより、どこに行っていたのよ?」


 ヨハンは瞳を泳がせ、悪戯な笑みを浮かべた。


「秘密さ。そんなことより、僕にもシチューを食べさせておくれよ。もうおなかぺこぺこさ」


「はいはい」


 マリーは立ち上がってヨハンの食事の支度を始めた。マリーがお皿いっぱいにシチューをよそってヨハンに出すと、ヨハンは出されたシチューをがつがつと食べ始めた。その食べっぷりはとても気持ちの良いもので、皿の中のシチューはあっと言う間になくなった。


「おかわりをもらえるかい?」


「ええ。それより、その紙袋は何なの?」


 マリーは、ヨハンが机の下に置きっぱなした紙袋が気になってしかたなかった。たくさんの紙袋は色とりどりで、その袋の一つ一つにロゴマークなどが書かれていた。ヨハンはおかわりしたシチューの、最後の一口をたいらげてしまうと、幸せそうな表情を浮かべて手を合わせた。


 マリーはヨハンが美味しそうにシチューを食べている姿を見て、とても嬉しい気持ちになっていた。


「いやー、美味しかった。こんなに美味い物を食べたのは久しぶりだよ。なあ、ロキ?」


 ヨハンはロキが言っていたことと全く同じ台詞を言った。


「そうだな」


 ロキは素っ気なく答えた。


「ああ、そう言えば――――」


 ヨハンはたった今聞いたかのように、芝居がかった調子で指を鳴らしてみせた。


「マリーが気になっているのは、この紙袋かい?」


 ヨハンは嬉しそうにマリーを眺めた。


「中を見てみなよ?」


「中を見てみろって、なんなのよ?」


 ヨハンは片手を広げ、マリーを促す。


 マリーは、ヨハンに言われた通り紙袋の中を取り出していった。そして紙袋の中を取り出してみて、マリーはとても驚いた。


 紙袋の中身はどれも女性物の洋服だった。


 紫色の紙袋からは――――水色の地に花柄がプリントされたワンピースと、黒いノースリーブのシャツ。リコロール柄の袋からは――――薄い緑色のカーディガンと、真っ白なプリーツスカート。黒い袋からは――――赤いストライプのシャツと、黒のタイトなジーンズ、丁寧に編み込まれた麦わら帽子。チェックの袋からは――――紫色の裾の長いワンピースと、白い薄手のブラウス、それにヒールの高い黒い靴。花柄の袋からは――――ツイードで丈の短いピンクのスプリングジャケット、シルクのストール、スパンコールの付いた靴。最後の茶色のモノグラムの袋からは――――フェルト生地に花のコサージュが付けらたつばの広い帽子、フードに猫の耳がついたパーカー。そして、一番最後にマリーが取りたしのは、ヨハンのマントと同じ、緑色のストライプ模様の部屋着だった。


 取り出した新品の洋服たちは、どれもオシャレで可愛かった。


 マリーは床一面に広げた洋服たちを見ても意味がよく分かっておらず、ただただ驚いてばかりだった。

 ヨハンは満足げにマリーの顔を覗き込んだ。


「どう? マリーの好みが分からないから、とりあえず僕の好みで買って来たんだけど」


「どうって? これ、もしかして私?」


「あたりまえだろ?」


「うそ? どうして、こんなに?」


「どうしてって、マリーのあの黒の制服じゃ、外に出るの恥ずかしいだろ? これなら外に出ても田舎の娘に見えないと思うよ」


「うるさいわね。一言よけいなのよ」


 マリーはヨハンを睨みつけるが、直ぐに表情を変えて、眉を下げて困ったように首を横に振った。


「でも、こんなにたくさん。それにどれも高そうなものばかり。こんなのもらえないわよ」


「気にしなくていいよ。田舎の娘には高そうに見えても、僕にとってはどれも手頃な物ばかりだかららね」


 ヨハンは嫌みたらしく言って席を立った。


「それと、サイズはどれもマリーにピッタリだから安心してくれ」


「えっ?」


 マリーは「どうして?」と表情を変え、階段を上って行こうとするヨハンを目で追う。


「僕は魔法使いだよ。君のサイズぐらい一目見ただけで分かるよ」


 ヨハンは階段を上る途中で振り返り、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべてみせた。


「何なら、マリーのスリーサイズ当てて見せようか?」


 その瞬間、フォークがヨハン目がけて凄まじい早さで飛んでいった。ヨハンは、そのフォークを顔に突き刺さる手前で華麗に受け止めた。しかしその顔には驚きと恐怖の色が浮かび、背中には嫌な汗を大量にかいていた。


 マリーは顔を真っ赤にして、ヨハンをギラリと睨みつけていた。


「冗談だよ、冗談」


 ヨハンは慌てて二階に引っ込んで行った。


「相棒が迷惑を掛けるな、すまない」


 ロキがため息交じりに頭を下げた。

 マリーは慌てて手を振る。


「別にロキのせいじゃ無いのよ。私もやり過ぎたわ」


 大きくため息をついたマリーは、椅子にもたれるように座り込んで額に手をついた。マリーは今の行動を振り返り、深く反省していた。いくら嫌なことを言われたからといって、お返しにフォークを投げるなんて度が過ぎていると、マリーは自分の行動を(いまし)めた。


 マリーは床に並べられた洋服たちを眺めた。


 まるでお花畑のような色とりどりの洋服たちは、どれも可愛くて素敵なものばかりで、そのままショウィンドウに飾られていてもまるで不思議じゃなかった。そんな洋服たちを見つめていると、マリーはなかなか素直になれない自分にもどかしさや苛立ちを感じ、頭の中がもやもやとして落ち着かなかった。

 

 このもやもやを晴らす方法は分かっていた。

 それはとても簡単なことだった。


「よしっ――――」


 マリーは床に広げた洋服たちを急いで片付けて本棚の部屋に運び、そして二階へと勇み足で上がって行った。



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