あいさつ
陸也いう少年の家柄は、とある地域ではちょっとした富豪として有名でした。
今日日、許嫁だの本家、分家の決まり事だのがその家系では平然とまかり通っていました。
しかし、陸也の家はとても貧乏でした。
父親が本家に不義理を働いてしまったおかげで絶縁状を叩きつけられたためでした。
何とか借りれたアパートも三人で暮らすには厳しい畳三畳ほどの居間に申し訳程度ののキッチンとトイレ。シャワールームはありませんでした。
陸也の両親は必死になって働きました。父親は教師として、母親は中小企業の専務として。
両親は仕事で構うことができない陸也に申し訳なくも思いながらも、近所の幼稚園に入れることにしました。
そこは、幼稚園というよりも保育園のようなところでした。
そこの園児は両親の都合上、訳ありな子が多く預けられており、夜遅くまで預けられることはおろか、泊まり込みを許すこともできるほどでした。
書類手続きを済ませ、陸也の入園が許可された翌日、陸也はわくわくしていました。
両親と過ごせなくなるのはさみしいけれど、自分の交友関係を広げることに期待していたからです。
徒歩で幼稚園に向かい、職員室であいさつを済ませると、いよいよ園児たちへのあいさつです。
この幼稚園は小さく、園児も少なかったので、こういった挨拶には皆が休み時間で使う小さな体育館が使われていました。
体育館に園児たち全員が集まります。
陸也は物陰からその様子をちらちら覗いていました。
人生で初めて見た大勢の人の塊は、陸也の気持ちを緊張で不安にさせるには十分でした。
ですが、母親の言葉を思い出しました。
「陸也はね、これからお友達に……いえ、家族に会いに行くの」
「かぞくって、おとうさんとおかあさんがいるよ?」
「お母さん達はもちろん、陸也の家族よ? でも、お母さん達だけじゃなくてね、陸也にはもっといっぱい家族がいるの。長い間一緒に遊んだり、一緒にご飯を食べたり、一緒におねんねしたりする……ね」
「うん……」
「ふふ、そんなに怖がらないで。幼稚園にいる子たちはみんないい子だって聞くから、すぐに仲良くなれるわ」
「ほんと?」
「ええ、お母さんが嘘ついたことあった?」
「ううん」
「もう時間ね……。それじゃ、いってらっしゃい。自分の家族は大切にしなくちゃだめよ」
これから挨拶をするのは自分の家族。両親に挨拶するようなもの。
そう思うと陸也の心の緊張はいい具合にほぐれていきました。
先生が陸也の名前を呼びます。
ステージの階段をのぼり、中央の教壇に立ちます。
そこから、見据えられた様々な視線を一身に受けながら、自分の家族に向けて初めての自己紹介をしました。
「ねんちゅうぐみのりくやです! よろしくおねがいします!」