<三>還暦旅行
華子の親戚で、親しいとは言えないが唯一お付き合いのある人は父の妹である叔母の道子さんだった。華子が小学校に入学してまもなく、父が肝臓病で体を壊して入院した。数年間の通院と自宅療養が必要となったが、当時入院や通院補償の付いた保険には加入していなかったので、母は華子と昭雄を父の妹である華子の叔母へ預け面倒を見てもらい、自分は父の看病をしながらパートで一家の生活を支えることになった。華子と昭雄は三年間叔母のもとから学校へ通った。
その後、父は徐々に回復していって歩けるようにもなり、転職して再び華子と昭雄は両親のもとへ戻って生活は困窮ながらも平和で小さな幸せを拾う家族の生活が再び始まった。
そんなある日、華子は家族旅行の話を切り出した。
「ねえ。今年お母さん還暦でしょ。何かお祝いしなきゃ、と思ってね。温泉地かどこかへ家族で旅行しない? 宿泊代くらい私が出すから」
父がすぐ反応した。
「そうだな。ワシも毎日ぶらぶらしてるし、昭雄もプータローしていて時間は持て余しとるだろうし。ああ、そうだ。還暦といえば道子もお母さんと同い年だから今年だよ。お前たちも昔世話になったことだし、何なら道子にも声を掛けようか。あいつも子供がいないし、旦那が亡くなって、皆でわいわい旅行に行くなんてこと滅多にないだろうからな」
昭雄はプータローと言われて憤慨していたが、旅行には賛成した。何より母が一番嬉しそうだった。
叔母は華子の家族の家からは南へ車で四十分ほど下った神奈川県内に一人で住んでいた。早速、華子は叔母へ連絡をとり旅行の話は二泊三日の日程も含めて本決まりになった。
叔母は華子を小学校に通わせていた時代に華子の何人かのクラスメートの母親と親交があり、当時のクラスメートや何人かの母親に声を掛け、旅行の計画は華子の家族とあわせて十一人もの懐かしいものとなった。