妹の忍耐のススメ
諸兄、吾輩の名は妹である。
それ以外の呼称を私は認めない。
さて、妹には兄がいる。
妹としてはここは是非世間一般における凡百な兄が良かったのだが、どうやらこの世とやらは憎々しいことに望んだことの反対を押しつけてきやがるもんであったらしい。どういうことだ。
別に兄の存在はいいのだが、兄の人格は壊れている。
まだ妹が若かりし頃は、兄の存在ごと抹消しようかと思いつめたときもあったが、それこそ凡百な妹である妹のその後の人生に多大なる過負荷を与えることになりそうであったため、妹は耐える道を選んだ。その判断が正しかったかと常に心で問う毎日だ。
以下に記すものは、その妹の忍耐の記録である。
妹6歳、ラング・ジョイン13歳。
「聞いて~ハンナちゃあん! 俺、魔術師になれたんだよ!!」
「………試験資格は15歳以上のはずですが」
「うん。―――現行の魔術全部修めたら特別に資格もらっちゃったよ! ほら! 『特別上級魔術師』の資格カード!」
「………」
金縁の特上魔術師のカードには、半目の兄の姿が映っていた。
なぜ与えた魔術協会資格試験諮問委員会そしてどうしていきなり特上などという現存世界で二桁しか存在しないような資格をこいつに与えたついでにいうならなぜ半目になってるしこの写真。
「………ハンナちゃん、顔こわいよ?」
「―――仕様です」
その日の夕飯は兄の嫌いなドロドロした煮豆と半生卵と醸した魚でした。ざまあみやがれ。
妹8歳、ラング・ジョイン15歳。
「ハンナちゃんおはよう~ 聞いて面白い魔術理論ができたんだ~」
「………おはようございますおにいさま。ちなみに昨日敷いておいたおにいさまの布団が使われた形跡がないのですが眠られましたか?」
「うん、あのねえ、現状の魔術理論ってさ基本的に4行ないし5行魔術理論じゃない? でもそれだけじゃどう考えても解析できない現象って結構残ってるしさあここはやっぱり行だけでみるんじゃなくて、むしろ『列』という新しい魔術解析視点を……」
「どうでもいいですおにいさま。で、昨日はいつ就眠したんですか? 教えてください」
「ハンナちゃんってばクールね~、……すいません寝てません」
「………」
力任せに布団まで引っぱりつけたくても体力がないので、兄の上着の裾をひっぱりながら上目遣いで『寝?る?よ?』とやってみた。ちなみに確実にそのときの妹の眼は死んでいる。
「うん、わかった! 一緒に寝ようね、ハンナちゃん!!」
兄は妹を抱えて布団へ。
3分後には爆睡した兄の胸から妹は脱出。
「……4日完徹はやめろといっておいたはずなんですけどもね:」
抱きつかれた勢いで乱れた髪の毛に顔をしかめるのは妹の日常であった。髪の毛切ろうかな。
( 妹8+α歳、ラング・ジョイン15+α歳 )
「ぎゃああ、ハンナちゃん! 髪! 髪! 髪!!」
「おにいさま叫び過ぎです。あまりにも髪の毛がぐしゃぐしゃになるので髪を短くしようとしただけです。騒がないでください」
「僕の可愛いハンナちゃんのふわふわ茶髪パーマがあああああ」
「所有格はやめてくださいおねがいします」
滝の涙で泣いた兄は、しかしその数分後に「でも短い髪のハンナちゃんもかわいいよ」といい、妹の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜてくださった。言うと思っていたので「……ありがとうございます」とのみ返事した。このシスコンが。
ああ、ついでにいうならその3日後にどうやら兄は学会で絶賛されたらしいです。
妹12歳、ラング・ジョイン19歳
「おにいさま」
「おはようハンナちゃん、今日もかわいいね」
「……死んでください」
「え? どうしたのすごい哀しい表情なんだけど。ごめんお兄ちゃんが悪かったですこめんなさいごめんなさいごめんなさい」
入学式から帰ってきた妹はとても苦しげな表情で、兄の新発見によって割増された魔術学概論と近代史の教科書を握り潰していたそうである。貴様のおかげで暗記項目が増大してたじゃねえか頭痛い。
ちなみに兄は朝でも昼でも夜でも夢でも常に挨拶は「おはよう」の人である。
妹16歳、ラング・ジョイン23歳、グレッド・ホーン28歳。
「ハンナちゃん! 学校卒業おめでとう! じゃあ一緒にお仕事しようね!!」
「やあ、ハンナ嬢。―――すまんがそういうことだと理解してほしい。いやほんとにすまんなあ」
兄と兄の友人が現れた。
「おひさしぶりですグレッドさまそして棒読みですグレッドさまそして事と次第を明瞭に100文字以内で説明してください」
卒業式終了後の涙の別れのシーンのなかをずるずると引きずられていく妹。
そしてそんな妹を愛でる兄と、愛でられる妹の両方を引きずって馬車に連れ込む兄の友人。
「事:君の兄が『妹がいないと生きていけない』と主張した。次第:研究馬鹿のこいつに食わせて出させて寝かせられる従者が宮廷には一人もいなかったので、じゃあ妹も研究所で雇えばいいじゃないという結論に至った」
「………さようなら常識」
学び舎への哀惜でもなく、友人先生への感謝の言葉でもなく、これから就職することになったらしい宮廷魔術師部門における常識への惜別の言葉を告げつつ、妹の義務教育は終わりを告げた。誰がそんな場所で働きたいと言ったんだと言っても聞いてくれないってしってるさ夢も希望もありゃしない。
こうして、妹は忍耐を試される。
この世界に生まれた彼女は違和感だけを心に抱いて生まれた。
『ココは違う』
記憶はないのに、懐かしく思うどこかの世界は彼女にとっての間違いない故郷であるこの世界を拒絶するだけの場所であった。
しかし、そんな妹に兄は告げた。
「……ああ、君もかい」と。
使い慣れない新生児の身体を動かすと、視界のなかには茶髪茶眼の幼い少年の姿。
「――― まったく、魂の浄化作用とやらにはちゃんと機能してもらわないと困るね。まだ名前もない君にはどんな前世の名残が残っているのかは知らないが前世への未練が残ることはなはだしい。―――君も僕も、生きるべき場所への拒絶から始めるしかない」
最悪だ。
周囲には少年のほかには誰もいないようだった。
「ねえ、妹? これもお仲間同士―――兄妹仲良くいこうよ。僕の名前はラング・ジョイン。君の兄であり、前世の『岸辺 明良』の意識を継いでしまった変人だ。 ―――仲良く生きよう?」
生まれたなりの妹のふくふくとした頬に一粒の水滴が落ちた。
「でないと、俺はもうこの世を愛せなくなるよ」
そう言って泣いたラング・ジョインは、今も妹であるハンナ・ジョインの大切な『兄』であり、『共犯者』である。
了 by御紋
研究馬鹿を生存させ続けるために苦労する飯炊き妹をかきたかったはずなんだけども。
…何か間違った模様です。
兄
天才児で、13歳で魔術の全てを修め『特別上級魔術師』になると同時に宮廷魔術師(非常勤)へ就任。(しかし、妹から離れたくないために自宅勤務していた変人シスコン)
研究予算だけはしっかりと分捕り、15歳で新しい魔術理論『列行譜論』を打ちたて、歴史に残る魔術師となる。
頭が上がらない相手は、妹と友人と上司(第8王女)。
前世は東京で研究職についていた岸辺明良(享年38歳)である。
妹
凡百な平凡少女。暗記と計算が苦手だが、お買物と交渉は上手。(ただし兄に関することになると諦めが入るために上手く交渉出来たためしはない)
隠れブラコン。
寝食を侵して研究する馬鹿兄のために、美味い飯を作り食わせ、トイレへと行かせ、就眠を促させる完璧兄コ―ディネイタ―な妹。
今回宮廷魔術師部門にて兄の世話焼きを仕事にしてしまったが、兄と同類の研究馬鹿が山のようにいるのを見てそのうち手を出し、世話を焼き、そしていつか人手不足を理由に従者を増やし、裏の権力者となるであろうと予測される妹である。
もちろん、そんな妹に吸い寄せられるようにやってくるへたれな王子様とか騎士団長とかも存在する筈だが、超絶シスコンの兄の眼にかなうかというのは別問題である。
前世の記憶については覚えていないが、感覚的に以前のしつけというかモラルというかが魂に残っていたせいで兄に懐かれてしまう。敬語はデフォです。
兄の友人
年の離れた兄の友。特上の一人にして、宮廷魔術師。
なぜかマッチョ。
妹が訪れるまでの研究馬鹿たちの命綱だった。―――上司は労ってはくれるが決して所属替えだけはさせてくれない。
妹の有用性については以前より眼をつけていたが、さすがに義務教育中は仕事をさせられんなと常識的に我慢していた。
兄の呟きを理由に、自分にかかる負担を減らそうと企んだ末の妹拉致・職斡旋(拒否権なし)。
ゆくゆくは妹の影の権力者っぷりにしたり顔で喜ぶ人になるはずである。
<たぶん、続かないです。