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婚約破棄されたので、辺境で最強の魔導具職人になります~冤罪をかけられた悪役令嬢は、実は国を救う唯一の予見者でした~

作者: 桃のテイスター
掲載日:2026/07/10

「お前には価値がない」――


王太子エドワード殿下が放ったその一言は、玉座の間中に冷たく響き渡った。


私、アリシア・フォン・アシュレイは、その言葉をただ受け入れることしかできなかった。


「婚約を破棄する。お前のような無能な女が隣に立つのは、王国の恥だ」


周囲からは嘲笑が漏れる。令嬢たちは扇子で口元を隠し、貴族たちは私を憐れむような目で見ていた。


しかし、私は泣かなかった。怒りもしなかった。


彼らは知らないのだ。私が幼い頃から『先見の魔導』――未来を視る力を密かに持っていることを。そして、魔力を込めた装飾品『魔導具』を生み出す職人としての才能を、公爵家の裏の工房で磨き続けてきたことを。


だが、そんなことはもうどうでもよかった。ここが、私の居場所ではないと、心の底から理解したからだ。


「かしこまりました、殿下」


私はスカートの裾を摘んで、優雅に一礼した。それは、彼らが期待した『悪役令嬢の癇癪』とはまったく違う、静かな反応だった。


「……なんだ、その態度は?」


王太子が眉をひそめる。私は顔を上げ、まっすぐに彼の目を見据えた。


「私は、殿下の仰せのままに従います。ただ――」


少し間を置き、口元に微笑みさえ浮かべて。


「――いつか、あなたがその選択を後悔されることを、心から願っております」


その夜、私は公爵家を追われ、ただ一つの馬車に揺られながら王都を後にした。


手元には、母が遺してくれた小さな宝石箱だけ。そこには、私が密かに作り溜めた十数個の魔導具が納められている。どの一つをとっても、王都の宝石商が腰を抜かすほどの逸品だ。


向かう先は、王国最果ての辺境伯領。魔物の巣食う不毛の地だと聞いている。領民は貧困に苦しみ、魔物の襲撃に怯える日々を送っているという。


「……いいわ」


私は馬車の揺れに身を任せながら、窓の外に広がる暗い森を見つめた。


「むしろ好都合。あそこなら、誰にも邪魔されずに魔導具を作れる。私の予見で魔物の襲撃を防げば、領民たちも助かる」


私は幼い頃、先見の魔導で視てしまったのだ。この王国が、五年後に巨大な魔物の大群に飲み込まれる未来を。そして、それを防ぐ唯一の方法が『魔導具の量産』と『予見による事前対策』だということも。


王太子は私を捨てた。だが、私は王国を見捨てるつもりはない。


――私は、この手で未来を変えてみせる。


辺境伯領に到着してから一週間が経った。


予想以上に、土地は荒れ果てていた。家々はボロボロで、人々の目は生気を失っている。村長は私を見るなり、嘆息した。


「令嬢が来ても、何も変わりませぬよ。この地には、もう希望というものがございませぬから」


しかし、私は黙って、一つの小さな髪飾りを彼に差し出した。


「これを、村の入り口に飾ってください。少なくとも、弱い魔物は近づかなくなります」


半信半疑で飾られたその髪飾りは、翌日には見事に効果を発揮した。入り口にまで迫っていたゴブリンの群れが、まるで見えない壁に阻まれるように去っていったのだ。


領民たちの目に、初めて光が灯った。


「私には、魔導具を作る力があります。そして、魔物の来る場所を予知する力もあります」


私は高らかに宣言した。


「この地を、必ず豊かにしてみせます。だから、私に力を貸してください」


その日から、辺境伯領の再建が始まった。領民たちは私の魔導具を求めて列を作り、私は夜も眠らずに工房にこもった。魔力が尽きそうになると、手作りの回復薬を飲みながら、ひたすらにハンマーを振るう。


――無能だと断じられた令嬢は、今、誰よりも誰かの役に立っている。


そして、このニュースはすぐに国中に広がり、王都へと届くことになる。


あの王太子殿下の耳にも、必ず。


---


辺境伯領に来てから、私は毎日を工房で過ごしていた。


朝日が昇る前に起き、魔力を込めた鉱石をハンマーで叩き、夜が更けるまで研磨する。指先は豆だらけになり、魔力切れで立ち眩みがすることも増えた。だが、それ以上に、領民たちの笑顔が見られることが嬉しかった。


「アリシア様のおかげで、今日も無事に畑に出られました!」

「このお守り、魔物が近づかなくなったんです! 本当にすごいです!」


そんな声を聞くたびに、私は心の中で呟く。


――これが、私の望んだ居場所なんだ。


そんなある日、工房の扉が静かに叩かれた。


「……アリシア嬢、いるか?」


聞き覚えのない低い男の声。警戒しながら扉を開けると、そこには一人の大男が立っていた。


彼は――辺境伯レオン・フォン・グレンツェル。この地の領主であり、王国最強の剣士とも噂される男だった。


彼は私の予想に反して、派手な貴族服ではなく、革鎧に身を包み、腰には大きな剣を携えていた。髪は乱れ、顔にはいくつもの古い傷跡がある。しかし、その目は――驚くほど誠実な光を宿していた。


「噂は聞いている。お前が村を救ったと」


「……私が、ですか?」


「ああ。ゴブリン共を追い払ったのは、お前の魔導具だそうだな」


彼はそう言うと、突然、頭を深々と下げた。


「ありがとう。この地の領主として、礼を言わせてくれ」


私は慌てて手を振った。貴族のトップが、一人の令嬢に頭を下げるなど、王都では絶対にありえない光景だったからだ。


「お、おやめください、辺境伯様! 私がやったことは、ただの……」


「ただの、じゃない」


彼は顔を上げ、真っ直ぐに私を見た。


「この地は十年間、誰も助けてくれなかった。王都の連中は、我々を捨てたんだ。そんな中で、自ら進んで来てくれたお前の行動は、それだけで価値がある」


その言葉が、私の胸の奥に刺さった。


王太子に『価値がない』と言われた日から、私は自分を信じられずにいた。しかし、この男はたった数秒で、私に『価値がある』と証明してくれた。


「……ありがとうございます、辺境伯様」


私は精一杯の笑顔を返した。


「ならば、もっと見せてあげます。私の魔導具の、本当の力を」


その夜、私は『先見の魔導』で異変を視た。


三日後、東の森から、通常の三倍ほどの大型の魔物の群れが押し寄せる。このままでは、村は壊滅する。


私はすぐに辺境伯の元へ駆けつけた。


「辺境伯様! 三日後に大規模な襲撃があります! このままでは村が持ちこたえられません!」


彼は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに落ち着いて尋ねた。


「なぜ、それがわかる?」


「……私には、未来を視る力があります。それを信じるかどうかは、あなた次第です」


彼はしばらく黙考した後、力強く頷いた。


「信じる。お前は嘘をつくような女じゃない」


私は心の中で安堵の息をついた。そして、すぐに準備に取りかかった。三日間、私は寝る間も惜しんで魔導具を量産する。村全体を覆う結界の杭、個々の兵士に配る防御のペンダント、そして――辺境伯の剣に刻む、魔力増幅のルーン。


三日後、予告通り、魔物の群れが現れた。


しかし、私たちには準備があった。


「――行くぞ、皆の者!」


辺境伯の号令とともに、兵士たちが前に出る。彼らの身には私のペンダントが輝き、魔物の爪や牙を防ぐ。そして辺境伯の剣は、私が刻んだルーンによって、通常の十倍の威力を発揮していた。


「はあああっ!」


彼が剣を一閃すると、大型の魔物がまるで紙のように切り裂かれた。兵士たちは歓声を上げ、領民たちは泣きながら勝利を喜んだ。


戦いが終わり、辺境伯は肩で息をしながら、私の方を振り返った。


「……お前は、本当にすごいな」


彼はそう言って、汗まみれの顔で笑った。


その瞬間、私は初めて気づいた。


――ああ、この人になら、私は心を許せるかもしれない。


戦勝の夜、領民たちは小さな宴を開いてくれた。


私は隅っこで一人、魔導具の手入れをしていると、辺境伯が近づいてきて、隣に腰を下ろした。


「アリシア。一つ、聞いてもいいか?」


「はい、何でしょう?」


「……なぜ、お前は王都を捨てて、こんな辺境に来たんだ?」


私は少し迷ったが、真実を話すことにした。


「王太子殿下に、婚約を破棄されたからです。『価値がない』と」


辺境伯は一瞬、鋭い目つきになった。


「……あの馬鹿者が」


「でも、今はそれで良かったと思っています。だって、ここには――」


私は彼の方を向いて、微笑んだ。


「私の才能を認めてくれる人が、いるから」


辺境伯は少し赤くなり、そっと目を逸らした。


「……俺は、お前を必ず守る。それが、この領主としての責務だ」


その言葉は、『貴族としての義務』ではなく、男としての誓いに聞こえた。


そして、その夜、私の先見の魔導が再び、一つの不穏な未来を映し出した。


それは――王都からの使者が、この辺境伯領に到着する姿だった。


---



辺境での戦勝から三日後、私の予見は的中した。


東の街道から、一人の馬車が辺境伯領に乗り込んできたのだ。馬車には王家の紋章が輝いている。私は工房の窓からそれを確認し、そっとため息をついた。


「……やっぱり、来たわね」


予見通り、王都から使者が訪れた。それも、ただの使いではない。王太子殿下の側近として仕える、高等貴族の一人だった。


私は工房を出て、領主館へ向かった。館の広間では、すでに使者が辺境伯と対峙していた。


「……辺境伯レオン。貴殿は、公爵令嬢アリシアを匿っておると聞く。即刻、彼女を王都へ引き渡すように」


使者は高慢な口調でそう告げた。私は広間の扉の影から、その様子を静かに見つめていた。


しかし、辺境伯は一歩も引かなかった。


「断る。彼女は俺の領民であり、この辺境の救世主だ。勝手に連れて行けると思うなよ」


「なに……! 貴様、王命を無視するのか!」


「王命? 笑わせるな」


辺境伯は冷笑した。


「俺たちが魔物に襲われて苦しんでいた時、王都からは『勝手にやれ』の一言すらなかった。今さら命令だけを押し付けてくるとは、都合が良すぎるだろう」


使者の顔が怒りで真っ赤に染まった。その瞬間――私は扉の影からゆっくりと歩み出た。


「お待ちください、辺境伯様。私が話します」


私はスカートの裾を整え、優雅に使者の前に立った。使者は私を見るなり、嫌そうに鼻を鳴らした。


「……おや、アリシア嬢。ご無体なさそうで何よりです。さあ、ご同行願います。殿下がお待ちですので」


「殿下が、私を?」


私は静かに首を傾げた。


「おかしいですね。殿下は私のことを『価値がない』とおっしゃいました。なぜ、そんな無価値な私を、今さらお呼びになるのですか?」


使者の口元がわずかに引きつった。


「く、愚問だな! 殿下のお考えを、我々が推し量れるわけがない!」


「……そうですか。では、私が推し量ってあげましょう」


私はゆっくりと目を閉じた。そして、『先見の魔導』を発動させる。視界に浮かんだのは、この使者の背後の真実だった。


「あなたは、殿下の命で来たのではありませんね。本当の主は、新しい王太子妃候補のイザベラ嬢――違いますか?」


使者の顔色が一瞬で青ざめた。


「な、なぜそれを……!」


「イザベラ嬢は、私がこの辺境で作り出した魔導具を『自分の手柄』として王都で売りさばくつもりだった。だからこそ、私を王都へ連れ戻し、すべての魔導具を没収しようとしている。そして、証拠を隠すために、私を――『事故』で消す手筈も整えている」


私は微笑みながら、真実を一つ一つ、はっきりと口にした。


広間の空気が凍りついた。使者は脂汗を垂らし、後ずさる。


「ふ、ふざけるな! そんな証拠、どこにも……」


「必要ですか? あなたが左の懐に隠している、イザベラ嬢からの親書。そこには『アリシアを確実に処理せよ』と明記してあります」


使者は慌てて自分の左胸を押さえたが、もう遅かった。辺境伯が鋭い目つきで彼を睨みつける。


「……その書状、見せてもらうぞ」


「待、待ってください! これは、その、誤解で……!」


使者が泣きそうな声で弁解するが、辺境伯は有無を言わせず彼の懐から封筒を抜き取り、中身を読み上げた。


『アリシア・フォン・アシュレイを王都へ連行。到着後、魔導具をすべて接収。彼女自身は『逃亡』として処理せよ。――イザベラ』


その瞬間、使者はその場に崩れ落ちた。


「……終わったな」


辺境伯が冷たく呟く。私はその書状を受け取り、そっと懐にしまった。


「ありがとうございます、辺境伯様。これで、彼女の企みは明らかになりました」


そして、私は地面にへたり込んでいる使者を見下ろした。


「伝えてください。私は王都へ戻ります。ただし――あなたたちの命令でではなく、私自身の意志でです」


使者は震えながら顔を上げた。


「な、なぜ……戻るのですか?」


「決まっているでしょう。王国が、もうすぐ大きな災厄に襲われる。それを防げるのは、私の魔導具と先見の魔導だけです。私はこの国を見捨てるつもりはありませんから」


私は力強く宣言した。


「ですが――二度と、殿下の『婚約者』にはなりません。私は、辺境伯領の魔導具職人として、この国を救う。それだけです」


使者が引き揚げた後、広間に残ったのは、私と辺境伯だけだった。


彼は重い口を開いた。


「……本当に行くのか?」


「ええ。私の予見では、一ヶ月後に王都に巨大な魔物の群れが襲来します。このままでは、何万人もの人が死ぬ」


「ならば、俺も行く」


彼の言葉は、問答無用の決意に満ちていた。


「え? でも、辺境伯が離れたら、この地が……」


「領民には魔導具を残していけばいい。それに――」


彼は少し照れくさそうに、私の手を握った。


「お前を一人で行かせるわけにはいかないだろう。俺は、お前を守ると誓ったんだ」


その手の温もりが、私の心臓を強く打った。


「……辺境伯様」


「レオンでいい。俺たちは、もうただの主従ではないだろう?」


私は思わず笑みがこぼれた。


「……ありがとう、レオン」


彼の名前を呼んだ瞬間、彼の頬がほんのりと赤くなった。そして、私たちは顔を見合わせて、静かに笑った。


王都では、あの王子殿下が、自分の間違いに気づき始めている頃だろう。


しかし、もう遅い。


私の隣に立つ権利は、あなたにはない。


今の私の隣には――この誠実な辺境伯がいるのだから。


---



私たちが王都の城門に到着したのは、それからわずか五日程のことだった。


馬車の窓から見える光景は、私が去った時とはまるで違っていた。街の至る所に、私が辺境で作り上げた魔導具の模造品が飾られ、市民たちは『辺境の救世主』の噂に沸いている。


「ねえ、噂のアリシア様って、本当に来るの?」

「あの魔導具を作った人だよ! すごい美人らしい!」


私は窓を少しだけ開け、外の声を聞きながら、そっと微笑んだ。


――あの王太子殿下が、この光景をどう思うか、見てみたいものだ。


城門をくぐると、私たちを待っていたのは、なんと国王陛下自らだった。


「……よく来たな、アリシア」


陛下は穏やかな目で私を見つめ、深くうなずいた。


「辺境伯からの報告は受けている。お前はこの国を救うために戻ってきたのだな」


「はい、陛下。私は貴族としてではなく、一介の魔導具職人として、王国のために尽くします」


陛下は満足げに頷いた。その隣では、王太子エドワードが蒼白い顔で立ち尽くしていた。


彼は私を見るなり、口を開こうとしたが、言葉が出てこないようだった。私は彼の方を見向きもせず、陛下に一礼する。


「陛下。まずは、私に冤罪を着せた者の始末をお願いします」


その言葉に、王太子の顔がさらに歪んだ。


「待ってくれ、アリシア! あの件は、まだ調査中で……」


「調査?」


私は初めて彼の方を向いた。冷たい目で。


「殿下。もう十分な証拠は出揃っています。あなたの新しい婚約者、イザベラ嬢は、私の命を狙い、私の魔導具を横取りしようとしたのです。その証拠の書状は、私が持っていますよ」


私は懐からあの封筒を取り出し、陛下の前に差し出した。陛下がそれを読み終えた瞬間、その場の空気が凍りついた。


「……イザベラ・フォン・クライス。貴様、これは本当か?」


陛下の声が低く響く。玉座の間の隅で、イザベラは青ざめて震えていた。


「ち、違います! それは偽造です! アリシアがでっち上げた……」


「偽造? では、あなたの印鑑が押してあるこの書状を、どう説明なさるおつもり?」


私は静かに微笑みながら、さらに追い打ちをかけた。


「それに、あなたが王都の闇商人に私の魔導具を売りさばいていた事実も、もう掴んでいます。証人は、すぐにでも連れて来られますよ」


イザベラはその場に崩れ落ちた。


「……終わった」


彼女はそう呟くと、うつむいてしまった。陛下は兵士に指示を出し、彼女を連行させる。


「アリシア。お前の潔白は証明された。そして――」


陛下は深々と頭を下げた。


「この王国は、お前に救われた。ありがとう」


その瞬間、玉座の間にいた貴族たちが一斉に拍手を送った。私はそれを受け止めながら、静かに陛下に伝える。


「陛下。私はこれから、魔物の大群を迎え撃つ準備をします。ですが――条件があります」


「言え。何でも叶えよう」


「私は、あくまで『辺境伯領の魔導具職人』として働きます。二度と、王室の誰かと婚約するつもりはありません。それが私の、唯一の条件です」


その言葉を聞いて、王太子の顔が絶望に染まった。


「アリシア……頼む、俺を許してくれ。俺は間違っていた。お前こそが、俺の隣に立つべき女だったんだ」


彼は私の前にひざまずいた。


しかし、私は彼を見下ろしながら、一言だけ言った。


「遅いですよ、殿下」


私は背を向け、レオンの隣へ歩いていく。彼は黙って私の肩を支えた。


「レオン。あなたが、私の隣にいてくれますか?」


「……当たり前だ。俺は、お前を守ると誓った」


その言葉を聞いて、私は満足げに笑った。王太子はただ、床にひざまずいたまま、動けずにいた。


その夜、王都の教会にて、私は改めて国民の前で宣言した。


「私は、この国を救うためにここに立っています。しかし、それは誰かの命令だからではありません。自分が選んだ道だからです」


歓声が上がる。国民たちは泣きながら私の名前を叫んだ。


その隣で、レオンがぽつりと呟く。


「……すごい女だな、お前は」


私は彼の方を向いて、いたずらっぽく笑った。


「今さら気づいたの?」


彼は照れくさそうにうつむいたが、その手はしっかりと私の手を握っていた。


――この日、私はすべてを手に入れた。


名誉と、自由と、そして――本物の愛を。


しかし、物語はまだ終わらない。空の彼方では、巨大な魔物の影が、確かに近づいているのだから。


---



王都でのイザベラの裁判が終わったその夜、国王陛下は私とレオンを密かに執務室へと呼んだ。


「アリシア。お前の予見は正しかった。近いうちに大軍が来る。だが――」


陛下は苦い顔で机の上に地図を広げた。


「今の我々の武器では、魔王の軍勢に太刀打ちできない。奴らは『闇の鎧』を纏っている。普通の剣では刃こぼれするだけだ」


私は地図を見つめながら、陛下の言葉にうなずいた。


「……では、伝説の鉱石『星屑の銀』を探すしかありませんね」


陛下は驚いた顔をした。


「知っているのか?」


「ええ。先見の魔導で、この戦いを乗り切るための道筋を視ました。その鉱石で魔導具を鍛えれば、魔王の闇をも貫く武器ができる。ただし――」


私はレオンの方を向いた。


「その鉱石があるのは、王都から北へ七日。『竜の眠る山』の頂上です。そこには、古の魔獣が巣食っている」


レオンは何も言わず、ただ腰の剣を握りしめてうなずいた。


「行くぞ。お前を一人で行かせるわけにはいかない」


「でも、辺境伯領は……」


「領民には十分な魔導具を残してきた。それに、この国を守ることが、領民を守ることにもつながる」


彼は真っ直ぐに私の目を見て言った。


「お前の隣に立つと決めた男が、ここで逃げるわけにはいかないだろう」


陛下は深く息を吐き、私たちに頭を下げた。


「すまない。若い二人に、ここまで頼むことになるとは……」


「お気遣いなく、陛下。私は自分の意志で戦っています」


私は優雅に一礼すると、そのままレオンと共に執務室を後にした。


翌朝、私たちは少数の精鋭兵を連れて、王都を出発した。


目指すは北の果て、『竜の眠る山』。七日間の過酷な旅が待っている。


馬車の中で、レオンがぽつりと呟いた。


「……怖くないのか?」


「怖いですよ。でも、あなたがいるから、大丈夫です」


私は彼の手を握った。


彼は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに優しく握り返してくれた。


「絶対に守る。俺は、お前を絶対に死なせない」


その言葉に、私は胸の奥が熱くなった。


――この人がいる限り、私はどこまでも行ける。


道中は決して楽ではなかった。三日目には山賊に襲われ、五日目には道を塞ぐ巨大な岩を魔導具で砕いた。しかし、私たちは手を離さなかった。


七日目の朝、ついに『竜の眠る山』のふもとに到着した。


山頂は黒い雲に覆われ、時折、地響きのような咆哮が聞こえてくる。


「……あれが、古の魔獣か」


レオンが剣を抜きながら、低い声で言った。


私は深呼吸を一つし、彼の隣に立った。


「行きましょう。私の予見が、必ず道を示す」


そして、私たちは一歩を踏み出した。


山頂では、何かが私たちを待っている。


それが味方か、敵かは――まだ、誰にもわからない。


---




私たちが『竜の眠る山』のふもとに足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


冷たく、重く、そして――生き物の気配がする。山全体が、巨大な何かの呼吸をしているかのようだった。


「……気をつけろ。ここは普通の山じゃない」


レオンが剣を抜き、私の前に立つ。私は彼の背中を見つめながら、先見の魔導をそっと発動させた。


視界に浮かんだのは、無数の罠と、古の魔獣の姿だった。


「レオン。三歩先の地面が落とし穴になっています。左に避けて」


「わかった」


彼は即座に指示通り動き、地面が崩れるのをかわす。私はさらに未来を視る。


「次は、上から岩が落ちてくる。五秒後に、後ろに跳んで!」


ガシャーン!


巨大な岩が、私たちが立っていた場所を粉々に砕いた。レオンは息を切らしながら、感嘆の声を漏らす。


「……お前の予見がなければ、とっくに死んでいたな」


「今さら気づいたの?」


私はいたずらっぽく笑いながら、さらに先へ進む。しかし、その時だった。


突然、私の予見が――真っ黒に塗りつぶされた。


「……え?」


私は立ち止まった。先見の魔導が何も映さない。まるで、何かが私の力を封じているかのように。


「どうした、アリシア?」


「……予見が、効かない。この先だけ、なぜか見えない」


その瞬間、地面が大きく揺れた。轟音と共に、山の頂上から巨大な影が飛び降りる。


それは――ドラゴンだった。


鱗は漆黒の光を放ち、目は血のように赤く輝いている。体長は優に十メートルを超え、その咆哮は空気を震わせた。


「グオオオオオオッ!」


レオンは私を背後に押しやり、剣を構えた。


「アリシア! 下がっていろ!」


「でも……!」


「いいから! お前の予見が効かないなら、俺が守る!」


彼はそう叫ぶと、一直線にドラゴンへと突進した。剣がドラゴンの鱗に当たるが、火花を散らしてはじかれる。


――効かない。普通の武器では、このドラゴンには傷一つつけられない。


私は必死に頭を働かせた。予見が効かないなら、知識で戦うしかない。私は幼い頃に読んだ古い書物を思い出していた。


――黒竜の弱点は、喉の下にある逆鱗。そこだけは、魔力を込めた武器で貫ける。


「レオン! 喉の下だ! 逆鱗を狙って!」


私は持っていた予備の魔導具――短剣に魔力を込めて、彼に投げ渡した。


「これを使え!」


レオンは空中でそれをキャッチし、体勢を立て直す。ドラゴンが炎を吐こうと口を開けたその瞬間、彼は地面を蹴って跳んだ。


「……はああああっ!」


逆鱗目がけて、魔導具の短剣が一直線に突き刺さる。


――ギャアアアアアッ!


ドラゴンが苦悶の咆哮を上げ、その場に崩れ落ちた。地面が大きく揺れ、砂煙が舞い上がる。


しばらくして、砂煙が晴れた時、そこには動かなくなったドラゴンと、その上に片膝をつくレオンの姿があった。


「……終わったか?」


彼はそう言って、私の方を見て笑った。その顔にはいくつもの切り傷ができていたが、それでも彼の目は強く輝いていた。


私は彼の元へ駆け寄り、そのまま抱きしめた。


「……バカ。無茶しすぎよ」


「お前を守るって約束したからな」


彼は優しく私の頭を撫でた。その温かさに、私は涙がこぼれそうになるのを必死にこらえた。


そして、私たちはドラゴンの巣穴へと足を踏み入れた。そこには、無数の鉱石が輝いている。その中で、一際美しい光を放つ銀色の塊。


――それが、『星屑の銀』だった。


「……見つけた」


私はそっとそれを手に取り、胸に抱きしめた。


これで、魔王を倒す武器が作れる。


そして、この国を――いや、この人の隣で生きる未来を、必ず守ってみせる。


---



『星屑の銀』を手に入れた私たちは、急ぎ足で王都へと戻った。


帰路は、思っていたよりもずっと穏やかだった。ドラゴンを倒したことで、山の気配がまるで息を潜めたように静まり返り、道中の魔物たちも私たちに近づこうとはしなかった。七日間の道のりを、わずか四日で走り抜けた。


王都に到着すると、国王陛下はすぐに私たちを執務室へと招いた。


「よくやってくれた、アリシア、レオン。本当に、感謝している」


陛下は深々と頭を下げた後、私の手元にある『星屑の銀』をじっと見つめた。


「これで、魔王を倒す武器が作れるのだな?」


「はい、陛下。ただし――」


私は銀の塊を掲げながら、真剣な表情で続けた。


「この鉱石は、普通の炉では溶けません。魔力を直接注ぎ込みながら、絶え間なく高温を保つ必要があります。もし失敗すれば、この貴重な鉱石は一瞬で灰になります」


陛下は厳しい表情で頷いた。


「では、王都の地下にある『古の鍛冶場』を使うがいい。そこは、かつて伝説の武器を鍛えた場所だ。お前のための特別な許可を出す」


その言葉に、私は心の中で拳を握った。


――よし。これで、準備は整った。


翌朝、私は王都の地下深くにある鍛冶場へと向かった。


石造りの広間には、巨大な炉が一つ。壁には古代のルーン文字が刻まれ、床には無数の魔力回路が描かれている。ここでなら、星屑の銀を溶かすことができる。


私は深呼吸を一つして、エプロンを締め直した。


「……さあ、始めましょう」


炉に火を入れ、魔力を流し込む。炎は一瞬で白熱し、室内の温度が一気に上がった。私は銀の塊を炉の中に差し入れ、ハンマーを握る。


――カン!


一撃目。銀はわずかに歪んだが、まだ硬い。


――カン、カン!


二撃目、三撃目。魔力をハンマーに込めて、叩くたびに銀に魔力が浸透していく。


しかし、この作業は想像以上に過酷だった。一打一打に膨大な魔力を消費し、十回叩くごとに息が切れる。私は汗を拭いながら、ひたすらにハンマーを振り続けた。


三時間が経った。五時間が経った。日が沈み、夜が更けても、私は炉の前を離れなかった。


「アリシア」


ふと、後ろから声がした。振り返ると、レオンが食事の入った籠を抱えて立っていた。


「休め。食べないと、倒れるぞ」


「……まだ、途中です」


「途中でも、休むことはできる」


彼は無理やり私の手からハンマーを取り上げ、石のベンチに座らせた。


「お前はここ三日、ほとんど寝ていないし、食べてもいない。このままじゃ、武器ができる前に、お前が倒れる」


私は何も言い返せなかった。彼の言う通りだった。指先は痺れ、視界はぼやけている。


「……ありがとう」


私は素直に籠の中のパンとスープに手を伸ばした。一口食べると、体に栄養が染み渡る感覚がした。


レオンは黙って、私の隣に腰を下ろした。そして、そっと私の手を取った。


「……指、ボロボロじゃないか」


彼は私の指先にできた豆と傷跡を撫でながら、苦しそうな顔をした。


「もう少し、休んでいいんだぞ」


「でも……」


「時間は、まだある。それに――」


彼は顔を上げて、真っ直ぐに私の目を見た。


「お前が無理をして倒れたら、俺はこの武器を使う気にもなれない」


その言葉に、私は胸の奥が熱くなった。


「……レオン」


「俺は、お前の命が一番大切なんだ」


彼はそう言って、私の頭を優しく撫でた。私はその手のひらに頬を寄せて、目を閉じた。


――この人がいるから、私はまだ頑張れる。


それから三日後、私はついに『星屑の銀』を刀身の形に鍛え上げた。


銀は、光の加減で青や紫に輝く、美しい刃へと変貌していた。壁のルーン文字が共鳴し、刀身が静かな唸りを上げる。


「……これで、魔王を貫ける」


私は満足げにうなずいた。隣ではレオンが、まるで我が子を見るような目で刀身を見つめている。


「すごいな……この剣なら、俺も負けない」


「ええ。でも、まだ仕上げが残っています」


私は魔力のルーンを刀身に刻み始めた。魔王の闇を打ち消す、古代の呪文だ。刻むたびに、剣が淡い光を放つ。


そして――全ての作業が終わった瞬間、刀身が一際強い光を放ち、静かに収まった。


「……完成です」


私は力なく笑った。立っているのがやっとだった。レオンはすぐに私の肩を支え、優しく抱きしめた。


「ありがとう。お前のおかげだ」


「……いいえ。あなたが、私を支えてくれたからこそです」


私は彼の胸に顔を埋めながら、小さな声で呟いた。


「必ず、魔王を倒しましょう。そして――あなたと、辺境で、静かに暮らしたい」


「ああ。約束する」


彼の声は、優しく、しかし力強かった。


その夜、私は久しぶりに安らかな眠りについた。


しかし、その間に――王都の倉庫で、一つの異変が起きていた。


誰かが、街を守るための魔導具の備蓄庫に、密かに忍び込んでいたのだ。その影は、あのイザベラに仕えていた元貴族だった。彼は、魔王の襲撃が始まるその日に、街の防御を一瞬だけ崩すために、毒を仕掛けていた。


――私はまだ、そのことに気づいていない。


---


あの夜、私は久しぶりに深い眠りについていた。


夢の中で、レオンと辺境の畑を歩いていた。彼は笑いながら、私の髪に野花を飾ってくれた。柔らかな日差しと、優しい風――すべてが穏やかで、幸せだった。


その時だった。


「――アリシア様! 大変です!」


誰かの叫び声で、私は現実に引き戻された。


飛び起きて窓の外を見ると、王都の東の空が、真っ黒な影に覆われていた。魔物の大群だ。予想よりも二日早い。


しかし、それ以上に――私は異変に気づいた。


王都を取り囲むはずの防衛結界が、まったく機能していない。本来なら魔物を跳ね返すはずの光の壁が、まるで消え去っていた。


「……まさか」


私は急いで防衛拠点へと駆けつけた。そこでは兵士たちが慌てふためいている。


「結界が起動しない! 誰かが魔導具に細工をした!」


「倉庫から毒の匂いがする! 備蓄庫がやられた!」


――イザベラの残党だ。


私はすぐに理解した。あの裁判で捕まった彼女の共犯者たちが、事前に結界を無効化する毒を仕掛けていたのだ。


「――くそっ!」


私は地面を蹴って、城壁の上へと向かった。


城壁の上は、すでに地獄と化していた。


魔物たちが次々と壁をよじ登り、兵士たちが必死に食い止めている。しかし数が違いすぎる。一列目が倒れると、二列目が埋まり、三列目が後退する。防衛線は刻一刻と崩れていた。


その中で、一人の男が、圧倒的な戦力を誇っていた。


――レオンだ。


彼は私が鍛えた『星屑の銀』の剣を振るい、魔物たちをなぎ倒している。一振りで十体、二振りで二十体。彼の周囲には、魔物の死体が山積みになっていた。


「――俺の後ろに下がれ! 傷ついた者は城内へ戻れ!」


彼は声を張り上げながら、さらに前に出る。兵士たちはその背中に励まされ、必死に食らいついた。


私は城壁の上で、先見の魔導を最大限に発動させながら、指示を飛ばす。


「左の壁面に三体! 東の塔に飛行型が接近! 弓兵、準備!」


しかし、私の魔力はまだ完全には回復していなかった。数日前の連続での鍛造で、魔力の芯が大きく消耗していたのだ。予見がかすみ、頭がぐらつく。


――それでも、私は戦わなければ。


その時、私は一つの未来を視た。


レオンが、一人の若い兵士をかばって、魔物の爪を背中に受ける姿を。


「――レオン! 左の若い兵士を助けに行くな! それは罠だ!」


私は叫んだ。しかし、彼には聞こえなかった。戦場の怒号が、私の声を完全にかき消していた。


そして――私は見てしまった。


彼が若い兵士の前に飛び出し、巨大な爪が彼の背中を深く斬り裂く瞬間を。


「――やめてええええっ!」


私の叫びは、戦場に木霊した。


レオンは倒れなかった。


彼は血を吹き出しながらも、その場に片膝をつき、剣を杖にして立っていた。そして、振り返って、私の方を見て――笑った。


「……心配するな」


彼の口元が、そう動いた気がした。


しかし、次に彼が剣を振り上げた時、その動きは明らかに鈍っていた。


「――辺境伯様!」


若い兵士が叫ぶ。レオンは「構わないで行け」と指示しながら、再び立ち上がった。


私は城壁を駆け降り、彼の元へと走った。


「――馬鹿! 無茶しすぎよ!」


彼の背中は、深く裂けていた。骨が見えそうなほど深い。血が止まらず、地面に赤い水たまりができている。


「……まだ、戦える」


「戦えない! あなたは死にたいの?」


私は涙をこらえながら、彼の背中に手を当てた。魔力を込めて、応急処置をする。傷口がわずかに塞がったが、完全には治せない。


「……すまない。あの兵士が、俺の盾になろうとしたんだ。俺が守らなきゃと思って」


「あなたは、いつもそう。自分を犠牲にして」


私は彼の手を握りしめた。


「でも、もういい。ここからは、私がやる」


「アリシア……」


「あなたは、少し休んでいて」


私は彼の前に立ち、自分の首から下げていた予備の魔導具――『絶対防御のペンダント』を外して、彼の胸に押し込んだ。


「これで、あなたはもう死なない。絶対に」


「……お前は、どうするんだ?」


「私は、あの魔王を倒す。あなたのために」


私は振り返らずに、城壁の上へと向かった。


背後で、レオンが呼びかける声が聞こえた。


「アリシア! 必ず戻ってこい!」


私は一瞬だけ振り返って、彼に笑顔を見せた。


「――ええ。必ず」


そして、私は魔王との決戦の場へと、足を踏み出した。


その目には、もう迷いはなかった。


---



私は城壁を飛び降り、戦場の中心へと駆け出した。


足元には魔物の死体が累々と積み重なり、空は黒い瘴気で覆われている。その中央で、一際巨大な影がゆっくりと立ち上がった。


――魔王だ。


高さは優に五メートルを超え、その体は漆黒の甲殻で覆われている。目は血のように赤く輝き、口元からは青白い炎が漏れていた。私が『星屑の銀』で鍛えた剣を見るなり、魔王は低く笑った。


「……ほう。面白いものを作ったな。だが、それは我の前ではただの玩具だ」


魔王が言葉を発した。私は息を呑む。知性を持っている――ただの獣ではない。


「お前があの予見者か。王国の未来を視るという女」


「……知っているのか」


「我はすべてを見通す。お前がこの国を救おうと必死になっていることもな」


魔王はゆっくりと腕を振り上げた。その指先から、黒いエネルギーが放たれる。


「――だが、無駄だ!」


私は即座に横へ跳んだ。地面が爆発し、大きな穴が開く。私は体勢を立て直しながら、剣を構えた。


「……あなたは、何のためにこの国を滅ぼそうとするんだ?」


「なぜか? 面白いからだ」


魔王は笑った。それは、純粋な愉悦に満ちた声だった。


「人間が絶望に染まる様を見るのが、我は好きだ。特に――愛する者を失う瞬間の、あの顔がな」


その言葉が、私の心臓を冷たく貫いた。


レオンの顔が頭に浮かぶ。彼は今、あの城壁の下で血を流している。この魔王が、もし彼を――


「……あなたを、絶対に倒す」


私は剣を握りしめ、地面を蹴った。


「はああああっ!」


一閃。刃が魔王の甲殻を捉える。しかし――刃が甲殻に浅く食い込んだだけで、深くまで届かない。


魔王は余裕の笑みを浮かべた。


「その剣、なかなか良くできている。だが――我の体は、普通の攻撃では傷つかん。弱点を狙わねばな」


私は歯を食いしばった。


――弱点。弱点はどこだ?


私は先見の魔導を発動させる。しかし、魔王の全身が闇に包まれていて、まるで未来が暗闇に覆われているかのようだ。


「無駄だ。お前の予見は、我の闇の前では霞む」


魔王が腕を振るう。黒い衝撃波が私を襲い、私は地面に叩きつけられた。


「がっ……!」


背中を強打し、息が詰まる。剣が手から離れ、数メートル先に転がった。


――ダメだ。このままじゃ、私は負ける。


魔王がゆっくりと私に近づく。その足音が、まるで死神の足音のように響く。


「さあ、絶望しろ。お前の愛する者たちは、もうすぐ死ぬ。お前も、その前に死ぬのだ」


私は目を閉じた。


――レオン。ごめん。私は、あなたと約束した未来を――


その瞬間、耳に馴染んだ声が聞こえた。


「――アリシア!」


私ははっと目を開けた。


城壁の上から、一人の男が飛び降りてくる。背中にはまだ包帯が巻かれ、血が滲んでいる。それでも、彼は剣を握りしめて、私の前に立った。


――レオンだ。


「……来るな! あなたは傷ついている!」


「そんなこと、言ってる場合か!」


彼は魔王を睨みつけながら、叫んだ。


「俺は、お前を守ると誓ったんだ! たとえこの身が引き裂かれても、俺はお前の隣に立つ!」


彼の言葉が、私の心に火を灯した。


――そうだ。私は一人じゃない。


私は立ち上がり、転がった剣を拾い上げた。そして、レオンの隣に並ぶ。


「……一緒に、倒しましょう」


「ああ。お前の予見で、俺を導いてくれ」


私は先見の魔導を再び発動させる。今度は、魔王の闇が邪魔をしない。なぜなら――レオンの光が、私の視界を照らしているからだ。


私は視た。魔王の左胸、甲殻の隙間。そこだけが、わずかに薄くなっている。


「レオン! 左胸の隙間だ! そこを、一緒に突く!」


「わかった!」


私たちは同時に地面を蹴った。


二人の剣が、一直線に魔王の弱点を目指す。


――当たれ!


しかし、その時だった。


魔王が狂ったように笑いながら、渾身の一撃を放った。私とレオンに向かって、すべての闇を凝縮した攻撃が。


「二人とも、まとめて消えろ!」


私は咄嗟にレオンの前に飛び出した。


「――アリシア!」


彼の叫びと同時に、闇の塊が私の体を直撃した――。


---



――ドンッ!


鈍い衝撃と共に、私の体は宙を舞った。


まるで時間がゆっくりと流れているかのようだった。レオンの叫び声が、遠くから聞こえる。魔王の笑い声が、耳の奥でこだまする。


「……アリシア!」


私は彼の方を向こうとしたが、体が言うことをきかない。視界がぼやけ、意識が遠のいていく。


――ああ、私は、死ぬのかな。


しかし、その直前に、私は彼の胸元に目をやった。そこには、私が彼に押し込んだ『絶対防御のペンダント』が、かすかに光っていた。


――よかった。あなたは、守られている。


私は微笑みながら、目を閉じた。


暗闇の中に、私は立っていた。


どこまでも広がる真っ白な空間。そこには、時間も、音も、何もなかった。ただ、静寂だけが広がっている。


「……ここは、どこ?」


私は呟いた。すると、目の前に、無数の光の粒が浮かび上がる。それは、私のこれまでの記憶だった。幼い日の母の笑顔、王都での孤独な日々、辺境での領民たちの笑顔、そして――レオンの優しい瞳。


「……そうか、私は、死んだんだ」


そう思った瞬間、一つの光が、他のすべてよりも強く輝いた。


それは、レオンの姿だった。彼は今、魔王の前で泣き叫びながら、私の名前を呼んでいる。


「アリシアアアアアッ!」


彼の剣が、魔王の甲殻に叩きつけられる。しかし、傷一つつかない。魔王は余裕の笑みを浮かべて、彼を嘲笑っている。


「無駄だ。その女はもう死んだ。お前も、すぐに後を追うがいい」


レオンは歯を食いしばり、再び剣を振るう。しかし、その動きは悲痛なほどに無謀で、ただの猪突猛進だった。


――ダメだ。このままじゃ、彼も死ぬ。


私は必死に、彼に語りかけようとした。しかし、声が出ない。体が動かない。


その時だった。私の胸の奥で、ぽつりと、一つの声が響いた。


『――愛は、時を超える』


それは、母の声だった。


幼い頃、母が私に教えてくれた言葉。『先見の魔導』は、ただ未来を視るだけじゃない。想いが強ければ、それを届けることもできるのだと。


私は目を閉じた。そして、心のすべてを、レオンに向けて放った。


――レオン。聞こえますか?


その瞬間、彼の動きが一瞬止まった。


「……アリシア?」


彼は周囲を見回した。私は、彼の耳元で囁く。


――魔王の弱点は左胸ではありません。それは、あなたが見ている『偽物』の核です。本当の核は――彼の『口の中』。そこにすべての闇が集まっています。


彼は、驚いたように目を見開いた。


「……本当に、お前なのか?」


――ええ。私は、あなたの心の中で生きています。だから――私を信じて。


彼は深く息を吸った。そして、静かにうなずいた。


「……わかった。俺は、お前を信じる」


私はさらに続けた。


――そして、もう一つ。あなたが持っているペンダント。それを、剣に込めてください。私の魔力が、あなたを導きます。


レオンは自分の胸元にあるペンダントを握りしめた。そして、それを剣の柄に押し込む。


瞬間、彼の剣が、銀と光の輝きを放ち始めた。


「――行くぞ!」


彼は地面を蹴った。魔王が口を開けて、闇の息を吐こうとする。その隙を、彼は逃さなかった。


「はあああああっ!」


レオンの剣が、魔王の口の中を一直線に貫いた。


――ギャアアアアアアアッ!


魔王の断末魔が、王都中に響き渡る。その体は、まるで砂の城のように崩れ始め、やがて完全に消え去った。


空が晴れる。瘴気が消え、青空が広がる。


戦いは、終わった。


私は、再び意識を取り戻した。


最初に感じたのは、温かい腕に包まれていることだった。次に、聞き慣れた声が耳に届く。


「……アリシア。起きろ。頼む、死なないでくれ」


私はゆっくりと目を開けた。そこには、涙で顔を濡らしたレオンの姿があった。


「……レオン」


「アリシア!」


彼は私を強く抱きしめた。


「生きてた……生きてたんだな!」


「ええ。あなたの声が、聞こえたから」


私は力なく笑った。体は痛んだが、不思議と、胸の奥は温かかった。


「……勝ったの?」


「ああ。お前のおかげだ」


彼は私の額にそっとキスを落とした。


「ありがとう。俺の命を、救ってくれて」


「いいえ――あなたが、私を救ってくれたから」


私たちは、そのまましばらく抱き合っていた。


戦場のあちこちで、兵士たちが歓声を上げている。国民たちが城壁の上から手を振り、泣きながら喜んでいる。


その光景を見ながら、私はぽつりと呟いた。


「ねえ、レオン」


「ん?」


「私、視えたの。あなたと一緒に歩く、未来が。辺境の畑で、子供たちが走り回っている姿が」


彼は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに優しく微笑んだ。


「……そうか。ならば、その未来を、必ず実現させよう」


「約束してくれる?」


「ああ。絶対に」


彼はそう言って、もう一度私を強く抱きしめた。


風が吹いた。血と硝煙の匂いの中に、どこか花の香りが混じっていた。


私は目を閉じて、その風を受け止めた。


――すべては、終わった。そして、すべては、これから始まるのだ。



あの決戦から三日が経った。


私は王都の城の一室で、療養生活を送っていた。魔王の闇の直撃を受けたにもかかわらず、私の体は驚くべき速さで回復していた。おそらく、レオンに渡したペンダントが、私の魔力を反射してくれたのだろう。


「……本当に、あのペンダントが命拾いさせたんだな」


私は窓の外を見ながら、そっと呟いた。


部屋の扉がノックされ、レオンが入ってきた。彼の背中にはまだ包帯が巻かれているが、その足取りはしっかりしている。


「お前、もう起きてるのか? まだ寝てろ」


「あなたこそ、包帯を巻いたまま剣の稽古に行くなんて、無茶しすぎよ」


私が言い返すと、彼は困ったように笑った。


「……お前には敵わないな」


彼は私のベッドの隣に腰を下ろし、そっと私の手を握った。


「しかし、本当に良かった。お前が生きていてくれて」


「それはこっちのセリフよ。あなたが無茶して、あの時倒れなかったから、私は立っていられたんだから」


私たちは顔を見合わせて、静かに笑った。


しばらくして、レオンが真剣な顔で言った。


「アリシア。王都のことも落ち着いてきたし、辺境に戻る準備をしようと思うんだが……お前は、どうしたい?」


私は少し考えた。


「……私も、辺境に戻りたい。ここは、思い出があまりにも多すぎる。でも――」


私は彼の手を握り返した。


「あなたがいるなら、どこだって私は行ける」


彼は嬉しそうにうなずいた。


「わかった。一週間後に出発しよう。それまでに、体をしっかり治せよ」


「はい、旦那様」


私がからかうように言うと、彼は真っ赤になってうつむいた。


その様子が、あまりにも可愛らしくて、私は思わず笑い声を漏らした。


この穏やかな日常が、永遠に続けばいいと、心から願った。


---



出発の前日、国王陛下が私たちを謁見の間に呼んだ。


広間には、多くの貴族たちが集まっていた。陛下は玉座から立ち上がり、私たちの前に歩み寄ると、大きな声で宣言した。


「我が王国の英雄、アリシア・フォン・アシュレイよ。ここに、お前に『辺境の守護聖女』の称号を授ける。そして――辺境伯領を、特別自治区とし、お前たちの自由な統治を許可する」


私は深々と一礼した。


「ありがたく、お受けいたします、陛下」


広間中から拍手が巻き起こる。その中で、一人の男が静かに前に出た。


――王太子エドワードだった。


彼は私の前に立ち、そして――突然、両膝をついた。


「アリシア。私は、お前に赦しを請う」


その声は、震えていた。


「私は、お前の本当の価値を見抜けなかった。お前がどれほどの才能と、どれほどの優しさを持っているかを、私は一切理解していなかった。そして、お前を傷つけた。その罪は、一生償っても償いきれない」


私は彼を見下ろして、静かに言った。


「殿下。私は、あなたを恨んではいません。あなたが私を追放したからこそ、私は本当の居場所を見つけられたのですから」


彼は顔を上げた。その目には涙が浮かんでいる。


「……それでも、私はお前に謝りたい。そして――」


彼は立ち上がり、陛下の方を向いた。


「父上。私は、王太子の位を辞します。隣国へ旅立ち、庶民として生き直したい。これが、私の償いです」


陛下は深いため息をついたが、最終的にはうなずいた。


「……お前の決断を、尊重しよう」


その光景を見ながら、私は思った。


――人は、間違える。だが、それを認めて、新たな道を歩む勇気を持てるなら、それは尊いことだ。


エドワードが私の前を通り過ぎる時、彼は小さな声で言った。


「……お前の隣に立つ権利はないが、お前の幸せを、心から願っている」


「ありがとうございます、殿下――いえ、エドワード様」


私は微笑んだ。


彼も、ようやく自分の道を見つけたのだ。


---


王都を出発してから七日後、私たちは辺境伯領へと帰り着いた。


馬車の窓から見える風景は、私たちが去った時とはまったく違っていた。かつては荒れ果てていた畑には、青々とした小麦が実り、道端には花が咲き乱れている。村の家々は新しく塗り替えられ、子供たちが笑いながら走り回っていた。


「……すごい。本当に、変わったんだ」


私が呟くと、レオンが隣で誇らしげに言った。


「ああ。お前が残していった魔導具が、村を守り続けたんだ。領民たちは、お前のことを『聖女様』と呼んで、毎日祈っていたらしい」


その言葉に、私は胸が熱くなった。


村の入り口に馬車が差し掛かると、そこには大勢の領民たちが集まっていた。彼らは私たちを見るなり、大声で叫んだ。


「アリシア様! レオン様! お帰りなさい!」


「聖女様! 俺たちを救ってくれてありがとう!」


馬車が止まり、私とレオンが降り立つと、領民たちは一斉に私たちを取り囲んだ。老人たちは涙を流しながら私の手を握り、子供たちはレオンの腰に抱きついた。


「アリシア様、あなたのおかげで、私たちは生き延びました」

「もう二度と、あんな怖い思いをしなくていいんですよね?」


私はその一人一人の顔を見つめながら、うなずいた。


「はい。もう、誰もあなたたちを苦しめません。私が、この地を守り続けます」


その夜、辺境伯領では大規模な祝宴が開かれた。


広場には大きな火が焚かれ、領民たちは踊り、歌い、笑い合った。私はその輪の中で、レオンと手を取り合いながら、静かに幸せを噛みしめていた。


「……なあ、アリシア」


レオンが、私の耳元で囁いた。


「ここが、本当の俺たちの居場所だな」


「ええ。ここで、ずっと一緒にいようね」


私たちは、そのまま抱き合った。


周囲の歓声が、まるで祝福のように響いていた。


---




祝宴から数日後の夕暮れ、レオンが私を手招きした。


「ちょっと来てくれ。見せたいものがある」


彼に連れられて、私は村の裏手にある小さな丘の上へと向かった。そこからは、辺境伯領全体を見渡すことができる。夕日が沈み、空がオレンジ色に染まっていた。


「……きれい」


私は思わず声を漏らした。


レオンは、私の隣に立ち、しばらく沈黙していた。そして、ゆっくりと口を開いた。


「アリシア。この景色を、お前に見せたかったんだ」


「どうして?」


「だって、これは――お前が救った景色だからだ」


私は彼の方を見た。彼の横顔は、夕日に照らされて、とても優しく見えた。


「もし、お前が来なければ、この地はとっくに滅んでいた。もし、お前が諦めていたら、俺たちは誰も救われなかった。だから――」


彼は私の方を向き、そして、その場に片膝をついた。


「アリシア。俺の隣で、ずっと、生きてくれないか?」


彼はポケットから、小さな箱を取り出した。開けると、そこには一つの指輪が輝いている。


「これは、あの『星屑の銀』の残りで作ったんだ。お前が俺に剣を鍛えてくれたように、俺もお前のために、何かを作りたかった」


その指輪は、夕日を反射して、虹色に輝いていた。


私は、涙が止まらなかった。


「……あなた、本当に、バカね」


「なぜだ?」


「だって、私は――」


私は彼の前に立ち、両手を差し出した。


「――私は、あなたに『いいよ』と言うために、ここに来たんだもの」


彼は驚いたように目を見開いたが、すぐに笑顔になった。


「……じゃあ、その指輪、つけてくれるか?」


私はうなずいた。彼がそっと私の左手の薬指に指輪をはめる。それは、完璧にフィットした。


「ありがとう、レオン。私は、あなたと共に歩くことを選ぶ。これからも、ずっと」


彼は立ち上がり、私を優しく抱きしめた。


「誓う。俺は、永遠にお前を愛する」


私たちは、夕日が沈むまで、そのまま抱き合っていた。


その夜、私は先見の魔導で、再び未来を視た。


そこには――笑顔の私たちと、そして、小さな子供の姿があった。


---



それから一年後。


辺境伯領は、かつてない繁栄を遂げていた。私の魔導具は国中に広まり、魔物の襲撃は完全に途絶えた。人々は安心して暮らし、畑は実り、市場は活気にあふれている。


私は今、領主館の庭で、小さなベビーベッドを揺らしていた。


中には、生まれて間もない男の子が眠っている。ふわふわの金髪は、どうやらレオン譲りのようだ。


「……アリシア。夕飯の準備ができたぞ」


レオンが後ろから声をかけてきた。彼は腕まくりをして、エプロンを着けている。最近、彼は料理を覚えて、私の負担を減らそうと奮闘しているのだ。


「今行くわ。ちょっと、この子が起きそうで」


「じゃあ、俺が抱っこしていようか?」


「いいの? あなた、料理の途中でしょ」


「ああ、もう火は止めた」


彼はそう言って、ベッドから赤ん坊を優しく抱き上げた。すると、赤ん坊は小さな手を伸ばして、彼の指をぎゅっと握った。


「……すごいな。俺の子だ」


彼は、感動したように呟いた。私はその光景を見つめながら、心の底から幸せを感じていた。


「ねえ、レオン」


「ん?」


「私、今、視えてるの」


「また未来を視たのか?」


「うん。この子が成長して、辺境の畑を走り回っている姿。そして、あなたがその後ろで、笑いながら追いかけている姿」


私はそっと彼の腕に寄り添った。


「これが、私が選んだ未来。誰かに認められるためじゃない。誰かに褒められるためでもない。ただ――あなたと、この子と、ここで生きていく。それが、私のすべてなんだ」


レオンは、抱きかかえた赤ん坊を見ながら、優しく言った。


「ならば、その未来を、俺たちで一緒に作っていこう。絶対に、誰にも壊させない」


「うん。約束だよ」


私たちは、赤ん坊を挟んで、顔を見合わせて笑った。


窓の外では、辺境の畑が夕日で黄金色に輝いている。風が吹き、花の香りが運ばれてくる。


かつて、『無能』と断じられた令嬢は、今、誰よりも幸せな笑顔を浮かべている。


――これは、私の物語。


ただの冤罪から始まり、辺境で愛を見つけ、国を救い、そして、永遠の幸せを手に入れた、一人の女の物語。


ここに、私は宣言する。


「私は、後悔しない。この道を選んで、正しかった。だって――」


私はレオンの手を、強く握った。


「これが、私の選んだ、唯一無二のハッピーエンドだから」


――完――



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― 新着の感想 ―
国を危険に晒した愚かな貴族の 処分が無くて残念だったです 犯人も分かっててだいぶ大罪や 思うのになぁ?と‥ ドラゴン退治辺りでアリシアが 急に男言葉になって驚きました 自分の読み方が浅いからかな? 王…
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