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⑦3月28日(土) 豪雨 N県:集会所【手記メモ(自動送信):百足について】

【手記メモ(自動送信):百足について】


 電波状態が悪いのか、スマホから聞こえてくる真島さんの声が所々途切れている。


──すみません。チャイムが鳴ったのにドアの外には誰もいませんでした。

 望月さん今どちらにいらっしゃいますか? 安全な場所に避難できましたか?


「だめです。集会所に閉じ込められました。どうしたらいいですか真島さん!」


──さっき警察に連絡しました。電波で位置を解析するそうですからスマホは切らないでくださいね。


 『萬蟲蒼海』に書かれているこれは、今までにない捕食生態系の現出と言えます。


 それは蟲でも人間でもなく『その中間に位置する存在』。数世代に一度、外の『健常なオス』を幻覚で誘惑して捕食することで、村全体の生命力を更新します。


 おそらくかなり前に近辺のオスを食いつくし、近年は町に降りてきて人間に擬態し、オスを捕食している。


 望月さんがパンプスの踵を折った彼女を助けたのも、おそらくは最初から彼らの『擬態行動』に誘導されていたんです。


 鏡をやたらと嫌がる理由は、おそらくは鏡に映る自分の『真の姿』を直視した時に、擬態を維持するための脳の電気信号が狂うためです。


 まるで水を浴びせられたかのように背筋が寒くなり、冷たい嫌な汗が俺の額を流れていくのがわかった。


 嘘だろ、ひおりん。


 幼い頃、『いい人』として振る舞っていた偽善者の俺に、神が天罰を下したのか。


 だが俺がひおりんを『対象』に選んだのも、ひおりんが優しい子で無防備で庇護欲を刺激して可愛かったからなんだ。

 初恋と呼ぶよりも歪んだ感情だったかもしれないが。


 タイミングを見計らっていじめっ子から助けてあげて、思いきり親切にする。ひおりんの小動物みたいな澄んだ目に見つめられるたびに、好感度が上がるたびに俺の背筋に快感が走った。あれは偽善だけで日織にどこまで好かれるかというゲームだった。


 さっき祭りでおめでたい料理を食べると日織が言っていたが。

 まさか。

 おぞましい想像が頭をよぎった。


「真島さん。『萬蟲蒼海』の作者はなぜ捕食されずに済んだんですか? 生き残らないと記録は残せないですよね」


──望月さん。私の想像ですが。『萬蟲蒼海』を記した顧承翰が『人間』だとは限らない。作者は人間を騙していることに罪悪感を感じ、『贖罪のために』この記録を残した。


 その言葉に手のひらが湿り、額を冷たい汗が伝っていく。顧承翰は一族の秘密を日の下に晒したのに、俺は何もしなくていいのか。


 日織が俺の背後から優しく首筋に腕を回した。


「市村さんと千歳くんの役割は違うから。邪魔しちゃダメだよ?」


 隣では女たちに取り押さえられた市村が暴れている。


「千歳、こんなやばい村から早く逃げよう! 真島さんが警察呼んでくれたんだろ」


「ああ。真島さんがスマホは切らないでくれって言ってた。逃げるぞ市村」


 その瞬間、集会所の明かりが一斉に消え、市村の悲鳴が響き渡った。


「市村! どこだ」


 俺はまだ生きている。でも、このままだと俺の命の灯火が消えてしまう、そんな気がする。早く市村を連れて逃げないと。


 でも、ひおりんをどうしたらいい? どうすればいつもの可愛くて優しいひおりんに戻る?

 病院に連れて行けばいいのか、それとも真島さんの仮説どおり人間でも虫でもない未知の生物なんだとしたら、どこかの大学の研究所か?


 小さい頃に顔をくしゃくしゃにして泣いていたひおりんがまぶたの裏に浮かび上がってきて、胸をひりつくような痛みが襲う。


 俺は、震える手でスマホのライトを起動した。

 暗闇の中に浮かび上がったのは、美しい顔におぞましい「蟲」の体が融合した姿だった。


 オスを捕食するメスカマキリと、カタツムリの体を乗っ取り脳を支配してゾンビ化させる鮮やかな縞模様の不気味な芋虫『ロイコクロリディウム』が俺の脳裏をよぎった。


 そして、カマキリの動画を見ながら彼女が浮かべた恍惚とした笑顔を思い出す。


 俺は彼女が幼い頃に思い描いた憧れの王子様だという。


 俺はひおりんが好きだ。全てをあげてもいいくらい好きだ。だが俺は昔、彼女に対して絶対にやってはいけない卑怯な真似をした。


 彼女に好かれるために、慕ってもらうために、そして優越感を得るために、彼女がいじめられているのを見過ごした。その時の快感と罪悪感、相反する感情がずっと心の中に残っている。


 その罪はめぐりめぐってリンカネーション。遠い輪廻の果てに、いつか償わなくてはいけない時が来る。

 だがその前に俺の打算と彼女の狂気の全てをここに記録しておかなければ。


 スマホから真島さんの声が響いてくる。


「望月さん。別の本の伝承ではN県にはかつて「百足モモタリ」と呼ばれる正体不明の集団が棲んでいたそうです。


 この集団の特徴が『萬蟲蒼海』に記載されている「あれ」と一致している。百足は、近隣の村々から成人の儀を済ませた若い男のいけにえを差し出させていた。


 車を降りた直後に望月さんと市村さんが送ってくれた地図を調べたんですが、そこはもう何十年も前に廃村になっています。かつて人間が住んでいたところに、今は人間じゃないものが人間になりすまして住んでいるとしたらどうです?


 『萬蟲蒼海』によれば捕食イコール「婚姻」ですよね? かの一族のメスはオスの肉と種を捕食することで自らの肉体を変質させ受胎する。生まれた娘たちの体には節足と、猛毒を司る顎があります。


 なぜ村人が女性だけなのか。おそらくは単為生殖の限界でメスしか産まれなくなっているからだと思います。この集団は数十年に一度、オスの新しい遺伝子を取り入れることで種を更新するんです。


 おそらくは誘惑フェロモンでターゲットの脳に直接働きかけて理想の女性像に擬態して獲物を村へとおびき寄せ、生きたまま少しずつ食べて「結合」する。オスもメスと同様の形状になる。これを「婚姻」と呼ぶのだと思います。


 望月さんが連れて行かれたのは、日織さんのおばあさんの村というよりもはるか昔から続く「神聖な産卵場」です。


 ってあれ、おかしいですね。警察がまだ来ません。さっきはすぐ来るといってくれたのですが」


 スマホ越しに聞こえてきたのは、パトカーのサイレンではなくあの音だった。


 かちかちかちかち。


 嘘だ、嘘だ。絶対に信じたくない。


「真島さん何を言ってるんだ。人一倍現実的で、不可思議な事象を理系脳で全部推理して結論を出すあなたが何を非科学的なことを」


 かちかちかちかち。


 真島さんが続ける。


「今、窓の外にとても美しい女性がいます。その影が、月明かりで無数に割れて見えます。なるほど。人間の皮を被って、すでに世界中に拡散されていると。そういうわけでしたか」


 スマホの向こう側から、女性の狂ったような高い笑い声と、あの機械的な音が聞こえてくる。


 かちかちかちかち。


「真島さん。いったい誰からそんな話を聞いたんですか。いま誰と一緒にいるんですか」


 俺が叫んだ時、真島さんからの通話が途切れた。


……来ている。

 真島さんのところに、「人間に擬態」した「奴ら」が。

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