⑥3月28日(土) 豪雨 N県:某村【手記メモ(自動送信):N県・某村の集会所へ】
【手記メモ(自動送信):N県・某村の集会所へ】
真島さんの家周辺が円形のグレイアウトになっていた。市村のスマホを持たせてもらった瞬間、その範囲があっという間に広がり画面全体が灰色になった。
エラーで地図が表示されていない。
「なんだこれ。さっきのカーナビと同じ現象が起きてる」
ひおりんと俺のスマホで真島さんの自宅周辺を検索したが、すぐにグレイアウトしてしまった。
「まいったね。これだと真島さんの位置がわからない。あっち側から僕たちの居場所が分かればいいけど」
「ちーくん、市村さん。真島さんの位置がわからないと何か不都合でもあるの?」
ひおりんに聞かれて、俺と市村は口ごもった。あなたのおばあちゃんの村付近には、怪しげな風習や民間信仰なんかが残っていて不気味な影の生き物も出没するんですなんて失礼な事は言いづらい。ましてや俺たちを待っていてくれているであろうおばあちゃんにも申し訳ない。
その後みんなでスマホの設定をいじったりもしてみたが、真島さんの自宅の地図が表示されない理由は結局分からなかった。
いよいよ俺たちは鳥居を抜け、その先にある集落へとたどり着いた。
村に入ってすぐ、違和感に気づいた。窓ガラスが光を反射しないように黒い布で覆われている。まるで村全体が喪に服しているように、あちこちで黒い布が揺れている光景が異様だった。
「何かが落ちてる」
市村が指差したところを見ると、道の脇に何かが投げ捨てられているのが見えた。
駆け寄って来たひおりんを、俺は制した。
「見ない方がいい」
それは死んでまもない小動物の死骸だった。生きたまま食われたのだろう、肉を大きくえぐられて、残っているのは骨と毛皮ばかり。
──野ウサギ。
人里近くで、ウサギを捕食する肉食獣が出るということか。クマよりも大型の鳥類あたりが可能性が高そうだ。
市村の言っていた『影』。いやありえない。俺は怖くなりその考えを振り払った。
激しく降る雨の中、日織に古びた集会所に案内されると待っていた村人たちが無言で一斉に俺たちを見た。
いや、おかしい。村人たちが、全員「女性」しかいない。どういうことだ一体。
しかも並んだ女性たちの姿を見ると、老婆から少女まで、全員が同じ表情をしている。彼女たちは一言も発さず無表情だ。ただ、喉の奥でかちかちと硬質な音を鳴らしている。
一瞬電波が戻った隙に、真島さんからLINEメッセージが届いた。
──望月さん。『萬蟲蒼海』の解析が終わりました。すぐに市村さんを連れて逃げてください。『百足日織』の百足は『ももたり』じゃなくて『むかで』と読みます。
『萬蟲蒼海』には人間でも昆虫でもない奇妙な生物が登場するんです。それは涼しい顔で人間に擬態し、数十年ごとに外の世界から「肉」と「種」を取り込んで、吐き気がするくらいおぞましい方法で種を繋ぎます。おそらくそれが日織さんの一族の始祖です。
望月さんあなた婿じゃなくて苗床に選ばれたんですよ
ひおりんが? 彼女は泣き虫でレッサーパンダ好きで頑張り屋さんでリアル賀喜遥香で俺の彼女なんだぞ。ムカデ人間だなんてありえない。いくら相手が真島さんでも都市伝説やB級ホラーじゃあるまいし、そんな嘘臭い話、信じられるか。
集会所に置いてある太鼓が鳴り、視界の端で天井の梁が黒くうごめいた。見上げるとありえない角度で無数の足をしならせ、逆さまに張り付く不気味な虫達がびっしり張り付いている。
思わず悲鳴を上げかけたとき、暗闇の中でひおりんの背中が波打つのが見えた。
「ちーくん、私がどんな姿でも好きでいてくれるよね。昔から千歳くんは私が泣いてる時に助けにきてくれる王子様だもんね」
かちかちかちかち。
まるで誘導尋問でもするかのような彼女の声は、もう賀喜遥香のそれではなく、例えるなら無数の昆虫が羽を擦り合わせるような、多重録音のような耳障りなノイズへと変貌を遂げた。
「え? い、いや俺は……」
それ以上、言葉を継ぐことはできなかった。小学生の頃に己の孤独と支配欲を満たすために彼女を助けていただなんて死んでも言えない。
いや、まさか。まさかな。
ひおりんは全てを知った上で、わざと俺にこの言葉を投げかけているのだろうか。俺の醜い部分を彼女が本当は知っていて、俺を脅かし懲らしめようとしているんじゃないか。
少女のあどけなさを少しだけ残したその瞳が俺の全てを見透かしているかもしれないと思うと冷や汗が出てきた。
かつて俺がずるくて卑怯な人間だった事実を誰にも知られたくない。
俺と市村が恐怖で動けないでいると、ひおりんの祖母だという骨と皮ばかりの老婆が、五人くらいの若い女たちを連れて現れた。
みんな無表情で同じ顔だ。
「お前さんにはこの娘らをあてがうから。子種を絶やさねえよう、励みなさい」
老婆が嬉々として市村に言った。
子種? 励む? 今、ここでか?
市村がいきなり集会所のパイプ椅子をなぎ倒した。
「……ふざけるな! おかしいよこの村! 全部狂ってる!」
パイプ椅子が転がる音と市村の悲鳴にも似た叫び声が、静まり返った集会所の空気を引き裂いた。顔を真っ青にした市村が、過呼吸気味に俺の肩を掴んだ。
「思い出した千歳。僕が車の中に隠れる瞬間、影が一瞬薄れて、奴らと目があったんだ。かちかち言ってた。恐怖のあまり長い間忘れていたよ。あの時の影。全員、日織ちゃんと同じ笑い方をしてた」
市村が子供の頃、東京から親の車で旅行中に、N県の山道で迷い込んだあの時見たのはこの人たちだった。
市村はとっくに連れ去られていてもおかしくない。ならば彼はなぜ生きながらえたのか。
俺の思考を遮るように、老婆がかちんと喉を鳴らした。
「放した種が大きく実って戻ってくるのを待っておった。【縺ェ縺様】が喜んでおる。めでたいのぉ。いぬ・うす・みま・かく・き・たゆ・ももたりまかり」
幼かった市村は見逃され放たれた。生殖可能になる青年まで成長させるために。
集会所の奥の暗がりにある襖が音もなく開いた。そこにはやはり同じ顔の女性たちが五人くらい立っていて、俺と市村をあっという間に取り囲んだ。
「市村さん、おかえりなさい。『放流』から戻って来てくれてありがとね。そしてちーくんは私が見つけた王子様。二人揃ってきてくれて、おばあちゃんも喜んでるよ。いぬ・うす・みま・かく・き・たゆ・ももたりまかり」
ひおりんの声が、闇に溶けるように響く。その声は、湿った多重録音のようなノイズにまみれていた。
腰を抜かし、ただ女たちの波打つ影を見つめることしかできない市村と俺の目は絶望の色に染まっていたと思う。
相手がこの人数じゃ無理だと本能で察しているが、とにかく隙を見て逃げ出さないと。
この集会所から鳥居の参道を抜けて車まで十五分くらいか。
女たちが一斉に市村を取り囲む。 彼女たちの服の下から、節くれ立った「何か」が蠢き、布を突き破って外へ突き出してきた。
その時、俺のスマホが震えた。
真島さんからの電話だ。




