3秒遅れる鏡
リサイクルショップで、アンティーク調の姿見を買った。
安かったし、デザインも悪くない。
ただ、一つだけ奇妙な点があった。
その鏡、映るのが「遅い」のだ。
僕が右手を上げる。
鏡の中の僕が右手を上げるのは、ワン、ツー、スリー……三秒後だ。
最初は故障かと思ったが(鏡が故障するというのも変な話だが)、慣れてくると面白かった。
ジャンケンをして、三秒後に鏡の中の自分が出す手を確認したり、
変な顔をして、客観的にどう見えるか観察したりした。
タイムラグがあるだけで、映っているのは間違いなく現在の(正確には三秒前の)僕だった。
ある夜。
僕は風呂上がりに、その鏡の前で髪を乾かしていた。
ドライヤーを止め、鏡に背を向けて、部屋を出ようとした時だった。
ふと、悪戯心が湧いた。
「三秒前の後ろ姿なんて、見る機会ないよな」
僕は足を止め、鏡の方へ振り返った。
計算通りなら、鏡の中には「背中を向けて歩き出そうとしている僕」が映っているはずだ。
僕は鏡を見た。
そこには、予想通り、僕の後ろ姿が映っていた。
なんだ、やっぱりただの遅延か。
つまらないな。
そう思って視線を外そうとした瞬間、背筋が凍りついた。
鏡の中の映像。
背中を向けている僕の、そのさらに向こう側。
部屋の押し入れが、少しだけ開いていた。
そして。
その隙間から、青白い顔をした女が、這い出てこようとしていた。
女は、鏡の中の(三秒前の)僕の背中に向かって、長く黒い手を伸ばしていた。
爪は鋭く尖り、今にも僕の首を掴もうとしている距離だった。
「うわぁっ!!」
僕は絶叫し、その場から飛び退いた。
慌てて振り返り、実際の押し入れを見る。
押し入れは閉まっていた。
女もいない。
シーンとした、いつもの部屋だ。
「はぁ……はぁ……なんだよ、見間違いか……」
心臓が早鐘を打っている。
そうだ。見間違いだ。
疲れているんだ。
僕は安堵のため息をつき、もう一度、鏡の方を見た。
鏡の中の映像も、三秒遅れで進んでいる。
鏡の中の僕は、何かに驚いて絶叫し、飛び退いていた。
そして、実際の押し入れを振り返り、誰もいないことを確認して、安堵しているところだった。
よかった。やっぱり何も――。
思考が停止した。
鏡の中の僕の背後に。
さっきの女が立っていた。
女は、もう押し入れにはいなかった。
僕が目を離した一瞬の隙に、いつの間にか僕の背中にぴったりと張り付いていたのだ。
鏡の中の女が、ニタリと笑った。
そして、三秒前の僕の耳元で、何かを囁いたように見えた。
その瞬間、僕の左耳に、生温かい息がかかった。
「――みぃつけた」




