母子の彼女とのデート
僕は毎朝、ジョガーの振りをして家の前で待って母親に挨拶をした。
「困ったことはありませんか」と毎日問う僕の優しい心遣いは母親にゆっくりと伝わり、その心を温め始めたようだった。僕の目的は家だ。母親と仲良くなって母娘がいる間も堂々と家を訪れられるようになりたいのだ。
僕と母親は短い世間話を交わすようになった。僕は自分がせいぜい近所の親切な男に見えるように振る舞った。
本当の僕は親切でも何でもない。僕は他者の都合に気が回る人間ではない。ただ愛はある。まるで台所の床下の暗闇の中から思いを寄せるような暗い愛はある。僕は母親の顔を見て話をしながら、いつも頭の中では彼女の全裸の姿を思い描いていた。
ある日、母親は郵便受けの中のチラシを手に出て来た。そして僕が『偶然に』通りかかって母親に話しかけた。母親は町で開かれる花まつりのチラシを手にしていた。
「花まつりか」母親はぽつり、と言った。
それが女の誘いだ、とは僕にもすぐにわかった。僕は内心でほくそ笑んだ。それから言った。「よかったら一緒に花まつりに行きませんか」と。
僕と母親は近所の人間ということで互いに名乗り合った。母親の名前は彼女のスマートフォンを調べてもう知っていた。彼女が裸族であることも、彼女のお尻のラインが少し垂れ気味で彼女がそれを気にしていることも僕はすでに知っていた。彼女についての多くを僕は壁の中から観察して知っていたから、何もかもを初めて聞く演技をしなければならないのが面倒だった。
この町はかつて捕鯨の基地として栄えた町で、町外れに捕鯨の記念館がある。その周囲にチューリップ畑がある。町役場が観光客誘致のために業者に頼んで作った花畑だ。もともと計画では広大な花畑になるはずだったのだが野生の鹿が球根から出た多くの新芽を食べてしまった。そして当初の計画の四分の一だけが花畑として残された。
僕は鹿を憎んだ。僕と彼女の初デートは広大な花畑で祝福されるべきだった。だが愚かな野生の鹿がその祝福を球根のまま食い漁ってしまったのだ。
花まつりの日、残された四分の一の花畑を僕と彼女は並んで歩いた。それから我々は春の最中の砂浜に行って並んで座った。この町は町のどこからでも少し歩けば海に出る。
海は自民党が予算を投じて造った堅固な防波堤と広い砂浜付きだ。砂浜では高校生の運動部がランニングをしていた。砂浜を走ると足を怪我しないで済むのだ。
仕事は何をしているのか、と彼女は聞いて僕は適当なことを答えた。僕は町の米屋で、農家から籾殻付きの米を買い入れて精米して売ったり配達する仕事をしている、と言った。大した給料にはならないが農林水産省に庇護された食に関係する安定した職業だし、少なくとも毎日食べる米に困ったことはないと。
自分でもよくそこまでの嘘がすらすらと出てくるものだと自分でも感心した。僕は人を傷つけないほら話ならいくらでも頭に浮かんでくる。元妻と離婚の話し合いをした時にはほとんど何も主張できなかったけどな、と僕は皮肉に思った。米は好きですか、と僕は体裁を保つ上で尋ね、お米は大好きです、と彼女は答えた。
彼女は筍の食品加工会社で働いていた。冷凍保存しておいた筍を解凍して捌いて皮を剥いで大きな釜で湯がいて灰汁を取ってから食品加工するのだと。他に六人の主婦が働いている小さな食品加工会社で、売り上げの半分以上をネットでの販売に頼っているのだと。
彼女がそうやって毎日働いて、僕が台所の床下の部屋で使う電気代も彼女が払ってくれているのだと思うとありがたい気持ちがした。
「今度、筍と米を合わせて筍ご飯を一緒に食べたいですね」と僕は言った。「初めての共同作業だ」
僕は結婚式を匂わせることを言った。彼女は会話の合間に化粧のコンパクトを開いてメイクを確認した。彼女は僕のことを男性として意識していた。それが僕の男としての自尊心をどれだけ満足させたことか。
僕は彼女の夫となって『僕の』家で彼女とルルと一緒に床上で住むところを想像して悦に入った。もう僕の目には他の女は見えなかった。僕の目には彼女一人と、彼女と一緒に家の床上に一緒に暮らす生活しか見えなかった。
僕は手広く浅く人間関係を作ることには向いていない。僕は外向型の人間ではない。僕は内向型の人間で、一人の人間と深く関わって仲良くなるのが得意だ。それは女との恋愛においても同じだ。それは種の生存戦略の問題だと僕は思うのだ。広範なメスと性行為して広く種を残すか、それとも一人のメスの傍にずっといて確実に種を残すことを目指すか。僕は明らかに後者の内向型の人間だ。
我々は仕事以外にも、子供の有無を話し(僕にはもちろん子供はいない)、互いの過去の結婚生活などを話題にした。彼女の元夫の暴力のことはすでに僕は知っていたが、彼女の話を聞いて元夫に対する僕の憎しみはさらに増すことになった。
「あっ、鹿」と彼女は気づいて言った。「初めて見る。かわいい」
「あの鹿、まだうろついていたのか」僕は野生の鹿に憎しみの目を向けた。僕は大声をあげて鹿を追い払った。この花畑は彼女と僕のものだ。鹿程度の下等生物によって失わせはしない。
僕の鹿への怒声に彼女はひいていた。
「あ、鹿は花畑の球根を食べて畑を駄目にしてしまうんです」僕は誤魔化した。「だから地元の人間は見つけると大声で追い払うんですよ」
彼女は納得してくれた。
僕と彼女は、彼女の車に乗って家に帰った。「愉しかった」と僕は言って彼女と別れた。彼女は僕の家に玄関から入った。僕はベランダの下から床下に帰った。久しぶりに愉しいデートができたと思った。
僕は台所の床下からいつものように壁の中に移動した。そして彼女の部屋を覗き見た。
彼女はその日、上機嫌だった。僕とのデートが愉しかったようだ。
いい感じだ、と僕は思った。彼女はいつものように家の中で裸になった。僕はその裸をいつも以上にじっくりと拝見させてもらった。彼女は衣服を着ている時よりも裸の時の方が、肉感が強まるようだ。彼女の胸の膨らみと腰から太ももにかけての肉の豊かな付き具合はどうだろう。
僕はその場の壁の中で彼女にデートのお礼のLINEメッセージを送った。(普段は人に見せない部分も見せてくれてありがとう)と僕は書き送った。
我ながら意味深なメッセージだ。前々から僕ひとりで確信していたことだが、あの母娘と僕はもう他人ではない。人生の表の意味でも裏の意味でも他人ではない。




