ある真夜中のかくれんぼ
とっさに僕は階段の裏側に身を隠した。
そこにはトイレを使った後に手を洗う洗面台がある。僕はその洗面台の前で息を潜めた。母親が階段を下りて一階で家の中の気配を探っている。母親は夜の暗闇の中で耳を澄ませている。誰もいないよ、僕以外には、と僕は思った。だから大人しく二階の寝室に戻ってくれないか。
僕はジーンズのポケットからナイロンの紐を取り出した。母親の背後に回って彼女の首に紐をまわして絞める用意だ。子供に気づかれずに絞殺することができるか。イエスよ、どうか隣びとに対する僕の罪をお赦しください。どうか神が僕を鞭で懲らすことなく赦してくださいますように。
母親は僕がドアを開けてしまった居間に入った。居間には母子が蝋燭を使った形跡がそのまま残されている。母親が隣の台所に歩く気配が伝わった。台所の床のパネルはちゃんと蓋がされている。
僕は足音を消して階段の周囲の廊下を歩いた。母親に見つけられないように階段の死角から死角へと身を潜める。母親は廊下に出てトイレのドアを開けた。だが僕はトイレの中にはいない。僕は階段を中心として、女の死角へと移動している。足音も立てず。呼吸の音も潜めて。
母親がトイレのドアを閉じて廊下を歩いて移動した。僕はそれに合わせて死角になる台所へと回り込んだ。
やがて母親は再び階段を上って寝室へ戻って行った。僕は密かに安堵の息を吐いた。母親を殺さずに済んだ。
母親が寝室に入ったのを耳で確認してから僕は台所の床のパネルを開けた。そして僕は再び床下の住人へと戻った。ここに来ればもう安心だ。母子が起きているというのに居間の引き戸を開けてしまうなど、僕は全くのところ不注意だった。僕はまだ家の中の母子との隠れた共同生活に慣れていないのだ。
至らないところも多々ありますが、これからもよろしく、と僕は密かに呟いた。そして首絞め用の紐を再びジーンズのポケットに仕舞った。イエスよ、お護りくださって心から感謝しますと僕は祈った。
翌朝、僕はのんびりと外の住宅街を歩いた。台所の床下から出ると海の香りが心地よい。
岩手沿岸の町はどこまで行っても海に面している。地元の子供たちだけが集まる海水浴場の岩礁に弁財天の祠があった。
僕は大人になった今も週に一度、岩礁の弁財天にお参りする。そしてお参りを終えるとコンクリートの岸壁に腰かけて祠に向けていろいろな話をする。
僕は弁財天に向けて、妻と離婚したことも話したし、妻が家を出て行ったことも話した。自分が仕事を失って借金を抱えて自己破産したことも話した。裁判所の命令で家を手離さなければならなくなったことも話した。
その時期、あらゆる災難が僕を襲った。しかし弁財天の祠に来て相談に乗ってもらうと僕は安心することができた。
僕はおそらく本物の信仰心を持っているのだと思う。その信仰心が僕の受けた災難を全てクリアーしてしまったのだ。弁財天に全てを話した上で、僕は家の床下に自分の部屋を掘って隠れて暮らしていて、住む場所には困っていませんとお参りして祈った。自己破産はしましたけどこれで借金はなくなりましたし、生活も贅沢をしなければ今までと変わらずに続けられると思いますと。
多くの無宗教の日本人は気づいていないかもしれないが、信仰心というのはどんな災難を受けている時にも拠り所となるものであって、小さな災難ごときで揺らぐことはないのだ。信仰心を持って生きることは百億円持って無神論者として生きるよりもずっと、ずっと幸せなことだ。
だが全ての人間が僕のような揺るぎない信仰心を持てるわけではない。本当の信仰心を持つには『運』が必要なのだと僕は思う。子供の頃に遊んでいた岩礁に弁財天の祠があって、神に見守ってもらっていたという幸運が僕の信仰心の核となっている。
僕は家の床下に自分の部屋を掘って裁判所やら不動産屋から隠れて暮らしながら、結構幸せに生きている。やはり『家』なのだと僕は思う。家があるかぎり人は幸せに生きることができる。家を手離して、家を失って、家から追放されて生きるなど僕には絶対に容認できない。僕は自分の家から出ていくつもりは一ミクロンもない。自分の家にどこまでもしがみついて、床下に這ってでも暮らしてみせる。僕にはその覚悟がある。
床下生活に革新が起こった。
僕は家の外壁の内側に、まるで分厚い掛布団が詰まっているかのような空間を見つけた。それは昭和の時代の厚い断熱材だった。アルミのような表面のシートの中に中綿のような断熱素材が詰まっていた。
僕はその断熱材を壁から取り除いてどかしてみた。壁に結構な隙間ができた。痩せ型の体格の僕ならばその隙間に入ることができる。そして僕は外壁と内壁の隙間を自由に移動することができた。
母子が車で外出するや、僕は家中の壁の断熱材外しに熱中した。断熱材は浴室の床下に集めて押し込んだ。
こうして僕は壁の中を移動する自由を手に入れた。僕は居間と台所と仏間と洋間の壁に先の尖ったドライバーで小さな穴を開けた。僕は壁の中から『僕の』家の中の様子を見ることができた。
僕は台所下の部屋に戻って母子が外での食事から帰るのを待った。うとうとと微睡んでいると家の庭に車が停まる音が聞こえた。それから玄関のドアが開いた。子供が家の中に元気に駆け込んでくる足音が聞こえた。
その日の午後に引っ越し屋のトラックが停まる気配があり、家の中が足音で騒がしくなった。母子の引っ越しが始まったのだ。
僕は床下から居間に面した壁の中に移動して、壁にごく小さな穴を開けて家の中を覗いた。引っ越し業者がたくさんの家具と段ボール箱を運んで来る。
母子は廊下にいるのか姿が見えない。誰も僕の存在に気づいていない。僕は優越感と満足を覚えながら床下の部屋に戻った。それからのんびりとユーチューブを見ながら時間を潰した。何だ、楽勝じゃないかと思った。




