「白い結婚」をする予定だったのに!
『白い結婚をしたいのです』
『白い結婚?』
『はい。どうかお願いできませんか』
『……承った』
フランドル王家の長女のレティツィアとザンぺルラ公爵家の次男シルビオの結婚式が終わった直後。
夫婦の寝室となる部屋でレティツィアはこの世の終わりとばかりにさめざめと泣いていいた。
彼女の傍には困り顔の夫シルビオがいて、慰めたいが声をかけていいのか判断しかねて眉を寄せている。
「せっかく白い結婚をしていただきましたのに!」
真珠のような涙をぽろぽろと流しながら、レティツィアが嗚咽を上げる。
彼女には心を寄せた男性がいたが、相手の身分が子爵令息の三男と低すぎた。
王女であるレティツィアが結ばれることは困難で、色々と考えを巡らせた結果、彼女は『両親が決めた婚約者』であるシルビオに『愛人を作ること前提』の『白い結婚』を打診したのだ。
彼は彼女の願いを聞き入れ『白い結婚』を了承した。そして今日、王家の姫と公爵家の令息が結ばれる結婚式は国を挙げて大々的に行われ、二人は夫婦となった。
なった、のだが。
結婚式後の王侯貴族が集まるパーティーで、彼女が心を寄せている子爵令息リナルドはそれはもうたくさんのご令嬢を侍らせていた。
それだけならばまだしも、彼が複数の令嬢を妊娠させていることが発覚したのだ。
知った瞬間、レティツィアの表情も強張った。
培ってきた王族教育の賜物でどうにか愛想笑いは浮かべられたが、さすがの彼女も彼が築くハーレムの一員になりたいとは思えなかったのだ。
「あんまりですわ! わたくしのこと! 愛していると仰っていたのに!!」
ベッドの上でわんわんと泣き続けるレティツィアの耳にシルビオがそっと息を吐いたのが伝わってくる。
呆れられて当然だ。
幼い頃に一目ぼれしたリナルドを諦められないからと『白い結婚』をお願いしておいて、失恋していては意味がない。
せめて結婚式を挙げる前であれば、まだどうにかなったかもしれないが、いくらなんでも王族が結婚したその日に離縁などできるわけもなく。
ましてや『愛人を作ること前提』の『白い結婚』など、父である国王に告げられるはずがない。
八方塞がりだった。
涙の止まらない彼女の頭を、大きな手のひらがなでる。
そっとレティツィアが突っ伏していた涙の後が滲む枕から少しだけ顔を上げると、困り顔のシルビオが眉を寄せつつ苦笑していた。
「俺ではダメか?」
「……え?」
シルビオはあまりに必死なレティツィアを憐れんで、自身に利のない結婚を承知してくれた。
いや、あるいは彼にとっては王家に連なることはメリットではあったかもしれない。
だが、それ以上の感情など存在しない。
そんな風に理解していたからこそ、彼女は驚いてぱちりと瞬きをした。涙が目じりから零れ落ち、また一滴の染みを枕に作る。
「俺が君を愛すよ」
そう告げて、シルビオは甘やかに微笑んで彼女の額にキスを落とした。
「白い結婚だったはずでは?!」
『白い結婚』という条件で結ばれた相手に、大変美味しく初夜を頂かれてしまった。
途中で気を失ったレティツィアは目が覚めるなり、シーツを体に巻き付けて頭を抱えるしかない。
「そんな方便、本当に通ると思っていたのか?」
先に起きてすでに身なりを整えているシルビオがベッドサイドに座って呆れた顔で告げるので、彼女は咄嗟に噛みついてしまう。
「ですが! そういう約束でしたわ!」
「泣いていた君を慰めただけだ。お互いに気持ちはよかっただろう?」
「うっ」
確かに、大変良かった。だが、それを素直に認めたくない。
ぐぬぬ、と王女にあるまじき顔で葛藤する彼女に、シルビオが小さく噴き出した。
「最初は愛する人と、と決めておりましたのに!」
「俺のことは愛せないか?」
悪あがきのように騒ぐと、シルビオが真摯な色を瞳に乗せてレティツィアを見つめてくる。
まっすぐに心に響くような言葉に、思わず口を閉じてしまう。しかし、すぐに反論のセリフが飛び出した。
「貴方だって! わたくしのことを愛していないではないですか!」
「愛しているが」
「え?」
「ずっと貴女だけが好きだった」
シーツを握りしめている穢れを知らない手を取られる。
箱庭で大切に育てられた、苦労を知らない手。白魚のような手を取って、彼は口づけを落とした。
宝石のように煌めく瞳にはどこまでも深い独占欲が見え隠れしている。
思わず息を飲んだ彼女の前で、はちみつを煮詰めてもここまで甘くはならないだろうという愛を滲ませた表情で、彼が微笑む。
「愛している、レティツィア。愛人など、許さないからな」
現実を受け止めきれず、彼女は卒倒してしまった。
▽▲▽▲▽
本当に幼い頃から、レティツィアだけを愛していた。
シルビオはザンぺルラ公爵家の次男だ。
上には国で一番優秀だと呼ばれる五歳年上の兄がいて、彼はいつも長兄と比べられて育った。
『兄のサムエル様は教えられる前に全ての問題を解いてみせられたのに』
『シルビオ様は秀才ではあられるが、天才のサムエル様には敵わないのですなぁ』
『しっ、ご本人の耳に入ってしまうわ』
屋敷のいたるところで、そんな会話がこそこそと交わされていることを幼い彼は知っていた。
いつだって劣等感が付きまとっていた。
父も母も、優秀な兄にばかり目をかけてシルビオをかまってはくれなかった。
家庭教師は常に彼と兄を比べてため息を吐いていた。
使用人たちもまた、両親が贔屓するサムエルばかり気にかけて、彼の世話は後に回されていた。
生まれた時から比較され続けて、七歳の誕生日もろくに祝ってもらえず。
シルビオは疲れ果てていた。
(どんなに努力をしても、僕では兄上に叶わない)
諦観が常に心を支配していた。
それでも根が真面目な彼は、侯爵家次男の責務を投げ出すこともできずに苦しんでいたのだ。
そんな頃、年が近いからと母に連れていかれた王宮のお茶会で、二歳年下のレティツィアと出会った。
彼女はシルビオが出会った人間で唯一、彼と兄を比べなかった。
屈託のない笑みを浮かべて、彼の手を引いて庭園を案内してくれた。
一凛の慎ましやかな花を渡されて「そのおはな、とってもすきなの」と微笑まれたとき、シルビオは恋に落ちたのだ。
以来、彼女に相応しい人間であろうと努力し続けてきた。
シルビオが十五歳、レティツィアが十三歳の時、婚約の話が持ち上がった。
王家と公爵家の繋がりをより強固にするために、という理由でサムエルかシルビオがレティツィアの婚約者候補として話が上がったときには、兄に負けぬように自身を売り込み、血の滲むような努力の末にレティツィアの婚約者の座に収まったのだ。
その時は心底嬉しかったし、これで将来彼女と結ばれると思えば、幸福でたまらなかった。
だが、婚約が正式に結ばれる二週間前に。
レティツィアは、恋に落ちた。
相手はシルビオではなく子爵家三男のリナルド。顔は整っているが、女癖がとにかく悪いと評判の男だった。
リナルドは当時十五歳、シルビオと同い年だった。
彼の悪い噂は腐るほど耳に入っていたのだが、きらきらと目を輝かせて初めての恋を語るレティツィアには伝えられなかった。
水面下で二人の婚約は内定していたから、流石に婚約者に収まれば振り向いてもらえるだろうという慢心もあったのだ。
だが、彼女の心は変わらなかった。
果てに『愛人を作ること前提』の『白い結婚』を打診されるほどに、レティツィアの心はシルビオではなくリナルドに向いていたのだ。
悔しかった。
死ぬほど悔しくて、彼女の提案を飲んだものの、その夜は生まれて初めて記憶をなくすまで酒を呷った。
(どうにか振り向かせたい、そう思っていたが)
同じくらい一途に人を想う姿も素敵だと思った。惚れた欲目だったのだろう。
とはいえ、やはり自分を見てほしい。
強く願っていたからこそ、意図せぬ形ではあったが、リナルド子爵令息の醜聞が彼女の耳に届いたのは行幸だった。
慰めるふりをして、美味しく頂かせてもらった。
慰めたかったのは嘘ではなかったが、体を繋げたのは意図的だ。
(今後も励んで、子を孕めば)
さすがに彼女も現実を直視して、シルビオを見てくれるようになる。
そう考えて、彼はうっそりと笑った。
レティツィアの妊娠が分かったのは、結婚して三ヵ月が過ぎた頃だ。
頻繁に体調を崩すようになった彼女を心配して、侍医に見せた。
様々な検査の結果『妊娠』の一言を告げられた時、シルビオは柄にもなく彼女を抱き上げてその場をくるくると回った。
嬉しすぎて浮かれる彼を見て、レティツィアは少しだけ眉を寄せていた。
けれどその表情は、決して彼や腹に宿った子を厭っているわけではなく――ただ、素直に喜びを表情に出せないだけだと古い付き合いの彼は知っていた。
だから、差して気にせず彼女をぎゅうと抱きしめたのだ。
一方で、彼女の妊娠が水面下で広がった頃、王宮内を奇妙な噂が席巻していた。
曰く『レティツィア王女が孕んだ子はどこの馬の骨のものかわからない』『レティツィア様とシルビオ様は白い結婚だから、子を宿すはずがない』というものだった。
レティツィアの評判を落とす悪評に、すぐさまシルビオは調査に乗り出した。
噂を囁きあうメイドたちに金を握らせ、時には脅して、そうして突き止めた噂の発生源は。
彼女の妹姫、ヴィットリアだった。
「あら、いらっしゃいませ。貴方が私を訪ねるなんて、珍しいこともあるものだわ」
王宮の中庭の庭園で、優雅にお茶をしていた彼女の元を訪れる。
涼しい顔でシルビオに微笑むヴィットリアに、彼は単刀直入に問いただした。
「レティツィアの悪評を流されたとか」
「あら、お耳が早いわね。鈍感なお姉様とは大違い」
レティツィアは正妃の子だが、ヴィットリアは側室の子だ。
彼女が姉のレティツィアを嫌っていることは有名な話でもある。
姉妹の仲に亀裂が走っていることを嘆いているのは、姉であるレティツィアだけだった。
くすくすと可憐に笑うヴィットリアは、美しい花に思えて毒を持っている。
彼女の纏う毒に侵されないように気を付けながら、シルビオは彼女が紡ぐ言葉に耳を傾ける。
「お姉様って馬鹿よねぇ。王女と子爵なんて身分違いなのに夢を見て。最初は愛する彼を奪ってあげようかなって思ったけど、あの人は私の趣味じゃないし、女癖も悪いし。だから、方向性を変えたの」
からころと。全く悪いことをしているとは思っていない様子で笑い続けるヴィットリアの悪意ある言葉に、少しだけ眉を潜める。
敏感にシルビオの纏う雰囲気が変わったことに気づいた彼女は、にぃっと王女にあるまじき毒のある笑みを浮かべた。
「貴方だって『契約結婚』と『白い結婚』の約束をしたのでしょう? 本当はお姉様が嫌いなのでしょう? 私が満足させてあげますわよ?」
ねっとりと絡みつくような視線を送られ、シルビアはあえて穏やかに笑って見える。
怒りを見せない彼の様子になにを勘違いしたのか、ヴィットリアは満足そうに頷いた。
(内通者がいる。レティツィアの侍女の誰かだ)
『契約結婚』も『白い結婚』も二人の間でだけの話だ。
当然である。表沙汰になれば、レティツィアは立場を失うし、シルビオだって糾弾される。
二人の話を盗み聞きできるものは限られる。
侍女の誰かがヴィットリアの手先なのだ。
「私は、これで」
「お姉様に飽きたら、いつでも私の部屋をお尋ねくださいね」
にこり。笑みだけ浮かべて背を向ける。彼女のメイドが控えているから、表情は崩さない。
静かにその場を去ったシルビオの脳内は、裏切り者をいかに炙り出すかの計画が巡っていた。
三日後、王家主催の夜会が開かれた。
レティツィアは直前まで出席する気でいたが、ドレスを着る前にコルセットを巻いたところ吐き気を訴えたので、大事をとることになった。
シルビオはエスコートするパートナー不在のまま、夜会に足を運んだ。
王家に婿入りした身としては、王妃主催の夜会を欠席すれば角が立つ。
それに、彼には一つの考えがあったのだ。
「あら、さっそくお姉様を置いてきてしまわれたの?」
くすくすと鈴が鳴るような声音がシルビオにまとわりつく。
視線を向ければ、華やかなドレスを身に纏ったヴィットリアが笑っている。
「お久しぶりです、ヴィットリア様」
一礼し、挨拶を口にする。
レティツィアの伴侶になったとはいえ、生粋の王族であるヴィットリアのほうが彼より立場は上だ。
「そういえば、今日はお一人なのですね」
「どういうことかしら?」
「リナルド子爵令息のエスコートは断られたのだな、と思いまして」
さらりと混ぜた名前にヴィットリアが眉を潜めた。
周囲で聞き耳を立てていた噂好きの貴婦人たちが少しだけざわめく。
「心当たりがないお話ね」
「貴女の侍女が大変嬉しそうに話してくれました。『やっと姫様が想い人と結ばれるのだ』と」
にこにこと笑みを浮かべ続けるシルビオの話に、いら立ったヴィットリアがばさりと扇を広げて口元を隠す。
「どこのだれかしら、その侍女」
「貴女が姉を思いやって遣わしてくれたものですよ」
昨日のうちに突き止めた内通者を匂わせる。
メイドは泣きながら土下座をして「どうか姫様にはご内密に!」と叫んでいたが、シルビオの知ったことではない。
話の内容は嘘だが、人物に心当たりがないはずもなく。ヴィットリアが微かに眉を寄せる。
囁かな変化だが、十分な動揺の表れだ。二人を観察していた貴婦人たちの注目がさらに集まる。
「しかし、彼はやめておいた方がいいでしょう。貴族とはいえ子爵令息では、身分が違います」
「もういいわ。私、貴方と話すことはありません」
先日、彼女こそが口にした言葉を繰り返す。
シルビオの意図に気づいた様子のヴィットリアが逃げようと背を向けたので、さらに追撃をかける。
「リナルド子爵令息は、先日平民に子を生ませたとか。他にも妊娠しているご令嬢が複数いるご様子」
これは事実だ。裏もとれている。彼に泣かされた数多の令嬢たちから、連名で嘆願書も届いていた。
「ヴィットリア様、お相手は選ばれますよう」
慇懃無礼に告げたシルビオに、彼女は返答をしなかった。
その態度こそ、疑念を大きくするのだと、彼は内心で笑う。
▽▲▽▲▽
夜会から戻ってきたシルビオを寝室で出迎える。
吐き気は収まったが体がだるかったので、ソファでぼんやりと窓の外の星空を眺めていたレティツィアは、夜会用の紳士服を脱ぐ彼に、呆れた声音で声をかけた。
「貴方って、本当に容赦がないのね」
「……なんのことだ?」
「しらばっくれても無駄よ」
動きを止めた気配を感じて、彼女は小さく笑った。
窓の外から視線を戻し、シルビオへ向ける。
彼は緩慢な仕草で、脱ぎかけの上着をソファの背もたれにかけ、彼女の隣に座った。
「知っているのか?」
「わたくしの情報網を舐めないでくださいませ。王宮での出来事は、風より早く耳に届くわ」
仮にも王族教育を受けているのですよ、と続けると、シルビオは降参するように両手を軽く上げる。
素直に負けを認めた可愛い姿に、くすりとレティツィアは笑ってしまった。
「あの人の悪い噂だって、知っていました。ただ――昔の思い出を捨てられなかっただけ」
(馬鹿な女を演じていれば、振り向いてもらえると錯覚したの)
妹の嫌がらせも、心無い噂も、背信者も。全部把握して放置していた。
だって、その方が彼女が一目惚れした彼の求める『馬鹿で愛嬌がある可愛らしい女』だと思ったから。
(とっても昔。泣いていた私に差し出された手のひらを、忘れられなかった)
王族教育が辛くて噴水の傍で泣いていたレティツィアに気づいた、まだ穢れていなかった彼から差し出された掌の温かさを、ずっと追い求めていた。
けれど、夢を見る時間はもう終わりだ。
彼女には立場があり、夫という伴侶を得て、そして――子を宿したのだから。
「貴方が愛してくれるなら、それでいいわ」
割り切るのに少し時間がかかったのは、夢を見ていた時間が長かったから。
けれど、もう未練はない。現実を直視しなければいけない。
レティツィアは、この国の王女であるから。
王族たれ、と育てられた彼女の矜持が、幼い夢を見る自分を切り捨てた。
これからは過去ではなく未来を見据えていく。彼女を選んでくれた腹の子の幸せのためにも。
母になったという自覚が、彼女を変えた。
結婚してなお、愛されてまだ、最後まで「子どものままでいたい」と喚いていた蹲り続けた心を綺麗に切り替えたのだ。
「あの子にもほとほと手を焼いていたから、いい躾になったわね」
にこりと微笑むと、少しだけシルビオが驚いたようだった。
彼の前では悪意をむき出しにするヴィットリアに対しても、穏やかな態度を崩さなかったからだろう。
とはいえ、思うところがなかったはずがないのだ。
今まで散々妹の我儘に振り回されてきた。
彼女の持ち物を欲しがっては、奪った瞬間に捨てていく姿には辟易としていたのだ。
「いまのわたくしは、貴方との愛を育んでいきたいと思っているの」
穏やかに微笑んだレティツィアに、シルビオが震える声で「本当か?」と尋ねてくる。
その様子は道に迷った子供が親を見つけた時に似ていた。
無性に愛おしくて、彼に両手を伸ばす。
そっと頭を胸元に抱きしめるが、シルビオはされるがままだ。
「本当よ。愛しい人」
憎からず思ってはいた。
信頼できると感じていた。
だからこそ、彼と婚約を結んだし、無理のある『白い結婚』を打診したのだ。
けれど、夢から覚めたから。現実から逃避していた乙女は母になったから。
(これからは、貴方とともに生きてく)
レティツィアのために、並々ならぬ努力を続けてくれたシルビオをこそ。
将来国を率いる女王になる女として、愛すると決めたのだ。
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