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goodbye MR ライディ  作者: 富永 真一
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口座の残高


 ATMの現金引き出しのパネルに触れようとしたが、隣の振込みのパネルを指は触れてしまう。指がなかなか思うように動かない。微動を止めようと何度も試みるが、力めば力むほど、指先は言うことを聞かなかった。もう一度慎重に『現金引き出し』と書かれたパネルの上に指をそっと乗せるように置いた。上手くいったようでカードを入れるように促す音声が流れた。それに従いカードを入れようとしたが上手く入らない。


「すみません!」

「はい、どうされましたか?」


今度は男に手を貸した若い男性行員がやってきた。

「おたくの機械がおかしいんだよ!カードが入らないんだ。間違いなくおたくの銀行のカードだよ」


男は苛立ちをそのまま言葉にして吐き出した。

「さようでございますか、お客さま、もう一度入れてくださいますか?」

「ほら、こうやって入れているのに入らないじゃないか!」

「こちらの挿入口はローンカードの挿入口でして、キャッシュカードはそのよこの挿入口になります」

よく見るとカードの挿入口の上に『ローンカード』と記してあった。

「あ!これは気づかなかった。どうもすみません。歳を取ると細かいところまで見えなくなってしまって」


カードを入れなおし、男は暗証番号を入力した。亡き妻の誕生日を頭からそのまま暗証番号にしている。番号を入力しても、その番号は黒い丸印に変わるために、妻の誕生日を正確に入力できているか知ることはできない。四つ番号を押した途端に出金額を入力する画面に変わった。やはりしっかり押せていたようだ。


15万円と出金額を入れた。

残高1,523円。

残高が出金額に達していないと引き出せないとの表示が目に飛び込んで来た。

顔面から血の気が引くのが判り、眩暈がした。


おい、冗談はよせ―。


視界が狭くなり、ぐるぐると旋回し始める。気持ちを落ち着かせよう―。思いとは裏腹に鼓動が激しくなり、心臓が打つたびに視界が少しぼやける。


おかしい、おかしい―金がないなんて!―


男は時計を見た。九時十五分を少し回っていた。九時丁度に年金が入金されているはずだ。


「ちょっと!ちょっと、すみません!」


男の大きな声が再び静かなフロアに響いた。


落ち着こう―。


男はまた自分に言い聞かせた。しかし動悸は収まるどころか、さらに激しくなった。定まらない視点を宙に巡らせてから、自分を落ち着けようと男は下を向いた。

「どうなさいました?」

その声に男は顔をカーペットから上げ、声のほうを見た。先ほどよりさらに若く、新入りらしき男性行員が走ってきた。


お前なんぞに、この事態が処理できるものか、バカにしおって―。


男の動悸がさらに激しくなった。近づいてきた若者を値踏みするように、男は鋭い視線をぶつけた。彼は少し怯んだようだったが、構わず男は凄んだ。


「どうしたって、ねえ!おたくの機械がおかしいんだよ!残高がないはずはない」


 「はい、少々カードをお借り致します。確認して参ります」


新入りの目は少し泳いだように見えたが、思いのほか芯のある声が返ってきた。求めに応じ、男は若い行員にカードを差し出した。男の前から気持ちよく伸びた背筋が遠ざかっていく。その背中が奥のコンピュータにカードの情報を入力しているのが見えた。その横でさっきの若い女の行員が何か手伝いながら新入りと話をしている。しばらくしてその若い女がカードを持って出てきた。

「お客さま~」

 女は困った顔をしている。

そんなに困った顔をするな、お前は悪くない―。

「お客様の口座から、もうご出金されているようなんですが」

誰が金など引き出すものか―

「そんなはずはないんだけどな~」

「九時七分にご出金されている記録がこちらに残っておりまして・・・もう一度ご確認くださいますか」

確認も何も俺は金を引き出すなどしていない―


「そんなはずはないんだけどな~」


狼狽しながらも、男はこの女が自分を欺くようなことを言うとは思えなかった。男は女の顔を改めて見た。踵の高い靴が自分よりも背を高くしているので実際の背丈は自分より少し低いくらいだろうが。色白の肌が透き通っていて、化粧が要らないくらい若い。男は上着のポケットから櫛を出して左の額にかかった髪を後ろに流しながら思った。何も話さず黙って自分を見ている男に、若い女はにっこり笑って見せた。


この娘が嘘を言うだろうか……また出直すか―


その女子行員に笑顔をくれて、男は銀行の出口へ向かった。動揺が治まった後も、小さな細波が男の胸に打ち寄せていた。自分に頭を下げる女子行員を背中に感じた。主を送り出すかのように、自動ドアが静かに開き、帆に追い風を受けて進む船のように、男は揚々と銀行を出た。ありがとうございました、という後ろからの声に右手を肩まで軽く上げた。精一杯大股で歩き、肩で風を切る。

 外へでると、強くなった陽の光が目に沁み、眩しさに一度狭くなった視界が再び広がった後、視界全体が白く濁った。銀行の階段を下りたところで、目の前にいつかの黒塗りのリムジンが一瞬見えたが、すぐに消えた。リムジンに乗っていたのはどれくらい前のことだったか、過ぎ去った月日を数えようとして、男はやめた。眉の上の痛みは消えていた。


                   つづく

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