見えている女と見えていない男。
ホラーではありません。
今日の俺、最近娘がハマっているデコ弁の練習台という名の可愛いお弁当を、元社員食堂の休憩室で食べている。
作りたての頃より上達して、すでに練習の必要もなさそうなので、早くカミさんの美味しくて馴染んだ味の弁当のみを食したい。
娘の作る弁当、味が濃いんだよ! 中年というのは、胃腸が仕事をサボる時があってだな……。
なんて、10代の娘には理解できないんだよな……。
「ねぇねぇ、イトちゃん。聞いて聞いて、大発見!」
俺の後ろから聞こえるこの声は、宮原だな……。
おそらく向かい側には、伊藤がいるはずだな。
「どうしたの?」
「これ、このサイト見てみて」
「うん? テトラクラマシー? なにこれ。グラデーションの画像?」
テトラくらまし?? なんだそれ……目隠しか何かなのか?
ちょっと食休みしつつ検索してみるか。お茶うめー!
口の中、リセットされた気がする。
えーと、テトラくらまし……検索っと。
……テトラクラマシーだった……。
ひらがなで打っても、カタカナでちゃんと検索結果出てくれるんだな。
お、伊藤が言ってたように、グラデーションの画像が出てきたぞ。
なんか自然な色移りじゃなく、縦のラインが並んでいるっぽいな。
「そこのグラデーション、何色あるように見える?」
宮原の声が弾んでいる。
クイズか心理テストなのかな?
俺も数えてみよう。
「37色あるわね」
えーと25色だ……え? 伊藤と違うんだが……。
「あたしは35色ー」
え、見るタイミングで色数が違うのか、これ?
「はい、スマホ返すね。これがどしたの?」
「これね、旦那にもやらせてみたら、25色しか見えてなかったの」
「ほうほう?」
俺は宮原の旦那……人事部の宮原と同じって事か??
「んで、さっきのやつ、色は39色あるんだって!」
「えー……全部見えなかったのかぁ……」
えーー!! そんなバカな!
伊藤は確かに惜しいから、悔しがるのはわかるな……。
え、俺全部の色のうち、3分の1が見えてないってこと? それはそれでショックなんだが……。
うーん……もう1回。いち、に、さん…………にじゅうご……だよな。これ。
「んで、これがどうかした?」
そうだ、これがなんなんだ??
「前にイトちゃん、旦那さんの掃除が綺麗になりきってないって言ってたじゃない?」
「うん、言った言った。宮ちゃんトコもよね?」
「そうそう。いまだに綺麗になってないし、どんどんくすんでいっても、知らん顔してばっか!」
人事の宮原はちょっとおっとりしてるし、伊藤の旦那……取引先の伊藤さんは、大雑把な面があるからな……。
彼らとは、時折飲み会をするので、それなりには知っているつもりだ。
最近は家事もこなすようになってきたはずなのだが、宮原と伊藤から不満が漏れているな……?
「それでね、この色彩テスト試しにやらせてみたら、あたしと旦那じゃ、見えてる色数違うってのがわかったのよ!」
「……あーー! そういう事?!」
え、どういう事??
「そそ! ちょっとしたくすみの色は、違いとして認識してないってこと!!」
「あーーー、すっごい納得した……。似たような色のものを指し示すと、どっちも同じって言われた事あるわ!」
うん?? あっ! まさか……。
「そうそう! 服を買いに行って、買ったトップスに、似た色のバッグを持ってた時なんて、色かぶってるじゃんって笑われたの!」
「あ、それ、いつものバッグと、今日のトップス?」
「うん」
そういや、通勤中に前を歩いていた宮原は、バッグとシャツの色同じだったな。
「違うじゃない。トップスの方が青み強いのに」
「ね、ね、そうだよね!」
え、伊藤よ、あれは同じ色でしょ?! って、宮原も同意してるよ?!?!!!
「あー、普通に免許とかは取れて、色覚異常には当てはまらないけど、私より、見えてる色が少ない可能性があるのね、うちの旦那も」
「そーなの! だから、掃除が下手でも気にならなくなった……ってか、見えてないから気にならないんだって、気づいてさ……」
「たしかに、微妙な違いが見えないと、ただ妻が細かくネチネチ言ってる、って思いそうよね」
……うーん、もしかして、俺もカミさんにそう思われているのかも??
ちょっとこの色彩テストのページ、カミさんにLINNEしとこ。
「見えないんじゃ、しょーがないって思えてくるわ……」
「ネット情報で、眉唾物だけど、女性の方が色たくさん見える人、多いんだって〜」
それは、女性から見て、男性はあまり色の違いがわかってないって事だよな……。
あー、見え方が違っていたら、細かく見える人の方が、色々気になりそうだよな。
お、カミさんから返事がきた。
――38色までは見えた
――――マジか、俺は25色しか見えなくって……。
――うーん、25色なら普通の色彩感覚だって、送ってきたページに書いてあるから、気にしなくていいんじゃない?
――――な、なのかな?
うーん、ほんとに自信無くなってきた……。
俺、カミさんの見えてる3分の2しか色が見えてない……のか。
いや、免許は取れたんだし、通常範囲ではある……よな。
でも、なんかショック……。
2週間後、人事部の宮原と、取引先の伊藤さんと、俺で飯食って軽く飲む日があった。
なんか、2人とも前より奥さんが家事に関して、神経質な物言いをしなくなったと喜んでいた。
……おそらく、真相を知ってるのは俺だけだ。
教えようかどうしようか迷っている間に、お開きになってしまう。
次の飲み会まで、このモヤモヤを引きずりそうだ……。
そんな俺は、掃除をする時、俺には見えていない可能性を考えて、いつもより丁寧に拭いたり磨いたりを心掛けている。
宮原と伊藤の、あの時の残念そうな声……。
あんなのをカミさんの声で聞かされたくない……。