魔族の少女ココ編⑤
クリストロフ王国西部ラゲルクーリエ。活気に溢れた夜の町には、様々な人々が行きかっていた。しかし、その多くがお酒に酔った男女。彼らは皆、千鳥足になりながらも夜の町を歩き回り、夜を謳歌していた。
「いやぁ、魔龍騒動も収まって……景気も良くなってきて……ハッピーハッピ~! 今日は、いっぱいご馳走しちゃおうかなぁ~」
1人の男が、そんな事を言いながら両サイドに若い女性達を連れて歩いていた。彼女達は、男の言葉に嬉しそうに笑いながら甘えたような声で告げた。
「すてきぃ~。アタシを何処までも連れてって~」
「いやぁ~ん、私もぉ~」
3人の男女が、そんな会話をしながら二次会へ向かおうとしていたその時だった。彼らの向かいから歩いて来ていた大きな体をした中年の男が、端っこに立っていた女の方にぶつかる。途端に女は、ぶつかった男に対して怒鳴り声をあげるのだった。
「ちょっとぉ! 何すんの!? アンタ、謝んなさいよ!」
女が、そう言うとぶつかった男の方は、しばらく口を開かず、睨みつける。
「……何よ? ぶつかったアンタが悪いんでしょう? 文句があるなら言ってみなさいよ!」
しかし、女が威勢よくそう言えたのもこの時までだった。次の瞬間、ぶつかった男は、強烈な目で睨みつけたまま彼らに言った。
「……俺を誰だと思って言ってやがんだ? あぁ? 俺様は、この王国の騎士……マクドエル様だぞ? 生意気なメス豚だ……」
刹那、マクドエルが真ん中に立っていた男に襲い掛かる。彼は、強烈な拳で男を殴りつけると、そのまま男の事をコテンパンにしてしまった。びっくりした女達は、悲鳴をあげながら固まっていた。
顔中傷だらけで意識も朦朧としている様子の男にマクドエルは、告げた。
「……逝っちまう前に最後に質問に答えろよ。この町に……棺桶引きずった男が現れたりしなかったか? 名前は……ジャンゴっていうんだがな」
だが、男は意識が朦朧としていてマクドエルが言っている人物の事など最早、思い出す気力すらない。そんな中、1人の女がマクドエルに告げた。
「……ジャッ、ジャンゴって……もしかして……」
「知ってんのか? お前」
女は、震えた声で言った。
「……ええ。ギルドで働いている時、この前見かけたわよ。魔力を持たない冒険者として有名で……そういえば、この前来た時はなんか……女の人を1人連れて来ていたわ。なんか、その人の冒険者登録をしていたし……」
「それで?」
「えーっと……あっ、そういえば魔龍討伐に行くとか言っていたわ。結局その後、報告に来たのは、その女の方だけど……。こ、これで終わりよ! 私もこれ以上はもう知らないわ!」
女が、そう言うとマクドエルは男の事を地面にポイ捨てするように手を離した。そして、彼は空を見上げて、自分の手をかざすと掌の上に魔法陣を出現させた。そして、次の瞬間に彼は雷の魔法を発動させ、空高くに向かって細い糸のような小さな雷を発生させると、彼は告げた。
「……スターバム第一騎士団長、聞こえるか? 俺様の独占生配信ラジオの時間だ。情報によると、ジャンゴって男は、女一人連れてこの町に来たらしいぜ。そんで、魔龍を倒したって話も本当みたいだ。その後何処に行ったのかは、不明だ。それと、この前言った王家の棺桶とジャンゴの関係性について確信的な情報は、今の所なし。引き続き、調査を続けるぜ」
そう言うと、マクドエルは魔法陣を消して魔法を解除した。彼のその様子を見ていた女は、率直な疑問を彼に言った。
「……い、今のは?」
すると、マクドエルはゆっくり歩きながら2人の女達の傍へ近づく。女達は、恐怖で体を硬直させていたが、マクドエルはそんな女達の肩に手を回すと告げた。
「……俺様は、雷の魔法が得意でな。さっきのは、それの応用で、雷の電波を発信させて遠くにいる奴に情報を伝える事ができるんだぜ」
女達は、最初こそマクドエルを拒絶する様子で嫌そうな表情をしていたが、しかし彼の恐ろしさを思い出してからは、彼女達も大人しくなり、やがてむしろマクドエルに媚びるように自分達の胸を押し付けて、上目遣いで彼の事を誘惑した。
マクドエルは、言った。
「……さて、んな事はどうでも良い。それよりも情報提供に感謝するぜ。テメェらには、褒美をやらないとなぁ……。俺様が、そこのへなちょこの代わりに今日は、たっぷり可愛がってやる……!」
マクドエルは、そう言うと女2人の両肩を大きくてゴツゴツした手で持って行き、夜の町の中に消えて行った。
*
眠りから覚めた時は、既に太陽が昇っていた。私=マリアは、疲れた目を擦りながらゆっくり体を起こしていく。
昨日は、色々あった。ヘクターさんの家を出て行き、旅を再開させた私達は幼い魔族の少女と出会った。彼女は、人間を怖がっており、そのせいで最初は私も光矢も全然相手にしてもらえなかった。
けれど、それから色々あって、ほんの少しだけあの少女も私達に心を開いてくれるようになってきた。
魔族の少女ココちゃんが、ルリィさんと一緒に眠っている。まるで、姉と妹……というより、母と娘みたいだった。2人のすぐ傍では、サレサさんも一緒だった。
サレサさんとルリィさんは、ココちゃんを真ん中にして眠っており、それがまるで本当の家族のように私には、見えた。
しばらくしてから私は、目を擦るのをやめて周りを見てみるとそこには、既に火を起こして朝食の準備に取り掛かっている光矢の姿があった。彼と私の目が合う。
「……おはよう。マリア」
「おっ、おはよう……ございます。……光矢」
彼とこうして2人きりになるのは、なんだか久しぶりの事のように感じる。それが、私に余計な緊張感を与えた。
しばらくの間、私は目覚まし用のコーヒーを準備する光矢の調理風景を見つめながらボーっとしていた。せっかく、久しぶりにこうして2人だけになれたのに何も話さないのは、勿体ないと私も心の何処かでは分かっていた。
しかし――。
「……」
あんな事があったせいか、私はずっと彼と話をするのが気まずくて仕方がなかった。直接本人に、あの時の事を聞いてみようにも……そもそも彼自身は、あの時自分に何があったのかを知らない。それも当然といえば、そうだ。なにせ、彼は一度私達の前で死んでいるのだから……。
――既に、本当の彼は死んでいる。私が出会った時にも既に……彼は死んでいる。……それなら、私が出会った彼は、一体誰なの……。
「ねぇ……光矢?」
私が、彼の事を呼んだ次の瞬間だった。それまで眠っていたはずのココちゃんが起きて、立ち上がっていた。彼女は、私達から少しだけ距離をとりながら眠たそうに目を擦りながら告げた。
「……あ、あの……」
光矢が、振り向いたのと同時に私は、彼女の事を見つめた。すると、少女は体をモジモジさせながら……照れくさそうに私達から目を逸らしていた。
「……お腹、空いちゃった……」
ココちゃんは、まだ私や光矢の事が怖いのだろう。決して一度たりとも私達と目線を合わせたりはしなかった。しかし、明らかに火の番をしていた光矢に向かって言っており、彼もココちゃんに対してクスッと笑いながらコーヒーカップを取り出し、準備を始めた。
「……今準備するからちょっと待ってろよ」
それを聞いたココちゃんは、なんだか嬉しそうだった。彼女は、決して目を合わせてくれなかったが、そこには昨日までと違って僅かな何かが生まれていたように感じた。
光矢は、少し楽しそうに朝食の準備を始める。彼は普段、私達に出してくれる薄切りベーコンと卵をのせたソースがけのベーコンエッグトーストを作っていた。
やがて、その匂いにつられて眠っていたルリィさんやサレサさん達も起き上がり、朝食が人数分完成した頃、私達は炎を囲んで早速、光矢の作ってくれた朝ご飯を食べる事にした。
「さっ、食うぞ」
ココちゃんは、とても嬉しそうにしていた。彼女の食卓には、ベーコンエッグトーストと昨日飲んだ甘いココアがあり、少女は早速ご飯に被りつく。
しかし、少女が一口二口と食事を食べていく中、彼女は向かい側に座る光矢の事を不思議そうに見つめだす。
光矢は、目を瞑って両手を合わせていた。その姿にココちゃんは、目を丸くし、やがて隣にいたルリィさんに尋ねるのだった。
「……何やってるの?」
「あぁ……あれは、殿方様がいた故郷で食事の前にする挨拶だそうですわ。食べる前にいただきます。食べた後は、ご馳走様と言う事で、食べ物へ感謝を伝えるんですって」
「へぇ……」
少女は、不思議そうに光矢を見つめた後、しばらくして今度は自分のかじった後のついたパンをジーっと眺める。そして、少女はゆっくりと口を離して、食べかけのパンをお皿の上に置いた。すると、少女も両手を合わせて言うのだった。
「……えーっと、もう食べちゃってるから……いただいております?」
すると、そんな少女の姿を見ていた光矢は、クスッと笑いながら告げた。
「……偉いぞ。その感謝しようって気持ちが大切なんだ」
彼は、そう言うとコーヒーを一口飲みほしてからパンにかぶりついた。少女は、光矢に褒められて嬉しかったのか頬を赤くさせていた。それを少女の隣で見ていたルリィさんは、何処からか取り出していた白いハンカチを噛みしめて悔しそうな声を上げている。
「キィィィィィィィィィ! やりますわね。アタシも殿方様に褒められたいですわ!」
そう言うと彼女は、既に食べ終わってお皿の上にも何もないのに突然、両手を合わせて言った。
「いただいておりましたわ」
「お前は、もうご馳走様だろ……」
光矢に突っ込まれたルリィさんは、驚いた様子で告げる。
「……はっ! そうでしたわ。……殿方様の故郷の文化は、難しいですわ……」
「日本な……」
そんな2人のやりとりを聞いていたココちゃんが、少しだけ微笑んでいた。私とサレサさんは、ココちゃんの少し幸せを感じていそうな顔を見ると視線を合わせて2人でニッコリ笑った。
――ほんの少しだけ……私達は、昨日よりも良い関係になってきている……。まだ、私の名前を呼んでくれなかったり、目を合わせてくれなかったり、緊張している感じはあるけど……それでも昨日に比べたら大分良くなっている。
*
朝食を終えて、再び歩き出した私達。ルリィさんが、ココちゃんの事を肩車してあげている姿を横目に見ながら私は、光矢の隣を歩いていた。
ココちゃんは、同じ魔族であるルリィさんやサレサさんに対しては、かなり心を開くようになってきていた。
元々、幼い子供で本人も明るい性格だった事もあって、2人と打ち解けあうには、そこまで時間も必要なかったみたいだ。
まぁ、人間である私や光矢には、まだまだ心を開いてくれていないんだけど……。それでも、今日になってから少しずつココちゃんの笑顔も「少し」とか「僅かな」ものではなくなってきており、ルリィさん達が、傍にいる時なんかは無邪気に嬉しそうにしている様子だ。
私と光矢は、そんなココちゃんの事を見つめて少しだけ心を癒していた。
――ここ最近、変なスケベドラゴンとか無口エルフとかが、光矢の近くにぞろぞろやってきていて……私も疲れてきた所だ。もう正直言って……いつ何処であの子達が光矢に何かしてくるか予想がつかなくて光矢の方も何を考えているのかよく分からないせいで、心配な事も増えていたが……ようやく、そう言う感じのじゃない純粋な少女が来てくれたのだ。
いやぁ、可愛い……。ただ、ルリィさんの肩の上でニコニコしてくれているだけで可愛い……。ようやく少し私にも平穏が訪れたって感じだ。
そんな事を心の中で思っていると、急にルリィさんが、前を歩く私と光矢に向かって真面目な顔をして告げた。
「……殿方様! 先輩! ちょっと……」
ルリィさんの傍まで戻ってみると、彼女はココちゃんを肩にのせたまま私と光矢、それからサレサさんの目を真剣に見つめる。
「実は、さっきこの子から聞いたんですけれども……この子の祖父母が、魔族領の国境線付近に住んでいるらしいんです。それで……どうしても祖父母に会いたいらしくて……」
ルリィさんの視線が少しだけ上にいるココちゃんへ移る。少女は、私達の事はまだ見れない様子で、最初は緊張から少しだけモジモジしていたが、やがてゆっくりと自分の口から話し始めた。
「……出かける前にパパとママが言ってたの。もしも、迷子になっちゃったりしたら必ず、じいじとばあばの所に来てって……。そしたら、そこで合流しようって……。私……会いたい。パパとママに。今度こそ会って、パパに謝りたい……。お願いします。途中までで良いので……どうか、そこまで連れて行って欲しい……です」
幼い少女は、そう言う。彼女の綺麗な涙が零れ落ちるのを見ていた私と光矢は、お互いに納得していた。私達は、もう答えなんて決まっている。この子が、そうしたいというのなら……。私は、光矢と目を合わせ、2人で一緒に頷き合った。
光矢は、言った。
「……顔上げな。そうか……お父さんとお母さんがか……。うーん。まぁ、とりあえず行ってみるか。行ける所まで。そこで……もしかしたらパパとママにも会えるかもしれないんだからな」
すると、ルリィさんやサレサさんも光矢の言った事に納得した様子で頷いた。
「……賛成ですわ」
「右に同じく」
「……行きましょう! この子の居場所の為にも……すぐに!」
こうして、私達の次の目的地は……”魔族領”となったわけだった……。