表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
98/183

九十八章《北城市の空》

「制約の言語回路」九十八章《北城市の空》


 北城市の空を、緻里と道綾は飛んでいた。


 雨を降らすだけだからと、小隊では動かず、忍んで行った。


 空は綺麗に晴れていた。


 15分後に爆撃機が飛んでくる。


「少佐?」


「あそこは胡同。あそこは北城市大学の湖で、今も学生が勉強している。北府外語大は、僕が教えていた大学だよ」


「それでも、雨を降らすんですね」


「遠くに第二中高がある。そこで僕は留学していた」


「懐かしいですか?」


「変わらないね。僕の気持ちは、全然変わらない」


 三十機の爆撃機と聞いていたが、大陸側の迎撃で二十機に減っていた。


 雨は珍しい。乾いた北城市にしとしとと降る雨に、人々は笑顔すら見せる。


「不思議な術式ね。味方が降らせた雨かと思った。その大陸語のコード面白いわ。緻里」


 思純だった。隣に若い魔術師を連れている。


「月書と申します、緻里さん」


「わざわざお迎えありがとう。どうして?」


「天港で皮肉の効いた雨を降らせた島国の人がいると聞いて。島国の人は強欲だから、北城市も狙うだろうと」


 思純は言った。「まだ軍人をやっているの?」


「思純は?」


「私はボランティア。今、第二で教えてる」


「そっか」


「昔、あなたとデートした時、雪が降っていたかしら。緻里、その指輪、昔私があげたもの?」


 緻里は口を真一文字に引っ張って、何も言わなかった。


「そう。気が引けるわ」


 爆撃機と戦闘機が押し寄せる。地上では空を見上げる人、空襲のアラートが鳴り、北城市の郊外から撃墜を目標とする砲撃が行われた。


 果枝中佐が施したシールドに守られて、飛行機たちは悠々と爆弾を落としていく。


 月書が動いた。高速の呪文詠唱とともに、爆弾を撃ち落としていく。


 緻里も道綾も、成り行きを黙って見ていた。緻里たちと思純たちの間には驚くほどの緊張が幅を持ち、戦闘に移行するまでに、何十秒も何百秒もあった。


 月書は一発も漏らさなかった。


(動けません)


 道綾は念じた。


(僕もだ)


「月書は第四の首席。彼女は間違えない。あなたのように中途半端ではないの」


「辛辣だね」


「今は、あなたに優しくする必要がないから」


 飛行機が襲来する。そばを通る。思純はそれを串刺しにした。


 物理的な物質を生み出す思純の魔法。思純もまた緻里が異能に術式で味付けしたように、島国の言葉で果枝中佐のシールドのコードを破った。


 氷の牙が飛行機の腹を突き破る。ざくりと、それだけで爆撃機は爆弾とともに爆発する。恐ろしいほどの物理魔法だった。


「道綾さん」


「はい、思純先生」


「懐かしい。あなたはとても優秀な学生だった」


 道綾の声は震えていた。保持している魔素の量が違う。


 一つ一つ、爆撃機は腹を抉られて、無力にも散っていく。緻里も道綾も動けなかった。


「安心したでしょう?」


「ああ」


「二人は私たちの街が好きだから、きっと、空襲なんて嫌だったんじゃない?」


「ああ、嫌だった」


「安心して緻里。北城市は、あなたの国のように神に奉じたりしない。私が守る、物理的現実なんだから」


 向き合った瞬間空間が爆ぜた。


 物質と反物質が一瞬で生成し消滅した。


 音の遅れた雷撃が、思純の作った絶縁フィールドで防がれる。緻里は雷を纏い、移動を高速化する。


 道綾が置いた、空間上のクリスタルネットを、空気中の水蒸気で溶かす。


「やるわね。さすがすぎる。そういうの、とってもセクシーだと思う」


 足を止めさせて、雷速を緩和する。


 思純による島国の術式中和と、緻里による大陸語の術式中和が、膨大な演算を経由して行われる。


 おそらくこれまでにない、天才同士の計算力勝負だった。


 自分が持っている研究済みの式を次から次へと「切って」いく。いくつもある切り札を、出し惜しみなんかしていられない。


***


「道綾さん、ですよね」


 月書は道綾に声をかけた。「私たちも、と言いたいところですけど、一つだけ聞いていいですか?」


 道綾はうなずいた。


「陽成って、知ってますか?」


「知ってる」


「私は彼の友達です。どこかで聞いた名前でした。道綾」


「世間は広いようで狭い」


「その大陸語の美しい発音は、思純さんに習ったんですね?」


「ええ。故南で陽成くんと会った時は、彼の北城方言に惚れ惚れしたわ」


「陽成は音楽的な男ですから。第四でも一流の男だった。少し勉強はサボっていたけど」


「故南ではそんなことなかった」


「まあ、そんなことはいいんです。準備ができたので」


 道綾を焦点に合わせた魔法陣が、遥か遠くに設置されていた。球状に配置された魔法陣は、道綾が知っている魔法陣と違った。


 それは魔法の異能だった。術式とか計算とかではない。呪いのや祝福の類。計算の痕跡がない。手がかりがかけらもない。


 道綾も魔法を使い、その高出力の魔法砲撃を防ぐ。術式を侵食する効果はなく、かなりの出力を要求するが、なんとか耐えた。


 砲撃の煙が晴れる。道綾はお得意の風の矢を放つが、届くことはなかった。


 接近戦に活路を見出し、道綾は風に乗って月書に近づく。


 英語術式の魔法で至近距離から撃ち抜こうとする。風で切り刻む。風圧で威力を上げた蹴りも、ことごとく弾かれた。手数を稼ぐと、月書も対応を迫られるから、弩級の魔法攻撃は襲ってこない。


 風の流れから、道綾も月書の出だしがわかる。お互い決定打がなかった。


***


 思純の物質生成の異能と、緻里が言雅から盗んだ虚無の魔法。それ以外にもお互いの言語で演算する術式の応酬。


 物質生成、化学的特性の一時的な召喚は、緻里の異能を封じ込める。雷を絶縁物質で防ぎ、雨は凍らせる。


 霧を撒き、大陸術式でフィールドを支配しようとしても、思純は最速で反転術式を組み立てる。


 思純は少し笑っていた。


「好きだわ」


「もう、差し上げられるものがないよ」


 爆縮で体を食おうとすることはできない。やはり言語が渦巻いていて、島国の虚無の術式を立てることができない。それは、思純の物質生成の異能もそうだった。内部から突き破ることができない。


 お互いに体を体たらしめているのは、生物物理的な元素でありかつ、術式を駆動する言葉だった。


「あなたのことが好きだわ。本当にお人好しなんだから」


 緻里の指輪は、思純が昔に贈ったものだった。恋愛の具象、誓いの証、思い出の結晶だった。それを媒介にして、思純は簡単な術式を構築した。


 指輪は、複雑に練られた魔法のアーティファクトだった。瞬間的に緻里の体を巡る言語回路をショートさせた。


 それは一瞬で、緻里はそれをすぐに正常化した。その一瞬で生成された刃が緻里の片肺を抉る。


「あ、がッ、」


 息ができず、うまく言葉が出てこない。頭の中に言葉が生まれない。言語回路を回復させる。鋭い痛みと枯渇する空気。言語回路を回復させる。それは意識下で行われる。でも、体のどこが欠損したか、緻里は把握できない。反射は言語回路で行われるわけではない。


 貫いた刃を消滅させる。尋常でない量の血液が吹き出しあふれこぼれ滴る。


 思純は笑った。勝ったのだと安堵した。瞬間、ぴちゃりと音がした。返り血がついた。なんだ、と拭おうとした際に、道綾はその血液に織り込まれた術式に気づく。気づいても遅かった。


 速さではなく密度に追いつかなかった。


 一滴の血液に描かれた術式。血液は霧と化し、赤い球状の空間を作る。緻里が異能を意識的に発しなくても、その血液の球体は自発的に高密度の雷を生成した。


 一方向からの雷撃ではない。周囲全てが雷と化し、その雷撃は防ぐことができなかった。


「まさかっ」


 轟音とともに思純は撃墜された。


 それを見届けて、緻里も意識を落とした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ