九十六章《天港会戦2》
「制約の言語回路」九十六章《天港会戦2》
火傷を負ったのは迷炎だった。霞の中で座標計算していて、後衛として離れたところにいたのが災いした。
頼土に担がれて空母へと戻る。
敵の十人のうち九人までは討ち取ったが、一人逃してしまった。
空母からは爆撃機と戦闘機が発艦する。
いくつものミサイルがイージス艦から撃ち放たれる。
艦隊は霞を抜ける。レーダーに異変があった。
今航行したルートの後ろから、少数の機影と潜水艦、いくつかの艦船が追いかけてくる。
今、艦隊を転回させることは、非常に困難だった。しかしこのままなら、ステルス航行の艦船と敵岸に、挟み込まれてしまう。
***
「小生この程度なんともありません」
「火傷は軽微です。しかし体の各機能が低下しているのは、私でなくともわかることです」
医務室のヒーラーは男性だった。
体の各機能というのはとても文系的な説明だった。疲労している、衰弱している、ということの優れた言い換えだった。
「しかし小生は」
「しかしも、でももございません。弱ったところから狙われる。他の将兵に迷惑です。お休みください」
道綾はその場でニコリと笑い、「連れて行きたいけどね、お医者さんにそう言われるんだから、休めばいいんじゃない?」
「しかし、っ」
「しかしもでももないんですよね?」
道綾はヒーラーに聞いた。
「そうです」
ヒーラーは断言した。
「お兄さんがこう言っている。なにもあなたの見せ場を作ることが、この戦争の趣旨じゃないの。元気になったらまた力を貸して?」
「……はぃ」
***
「少尉、迷炎くんは?」
「君付けなんですね。何ともなさそうでしたよ、後方で待機することには不満があるようでしたけど。顔を見せにいってあげれば、よかったのに」
「気づかなかった」
「嘘はほどほどに」
「少尉は、何でも知っているんだな」
「ええ、ほどほどに。よくよく勉強したので。少佐もそうでしょう?」
「少尉には敵わないよ」
こんこんと廊下を叩き、甲板に出る。
「挟撃」
と、緻里は言った。
「我々は挟撃されている」
そう言った。
「後ろから艦艇が接近している。ステルス航行機能を持つ最新鋭と見ていい。だがここで転回して、イージス艦一隻が足止めされるのはあまりに悔しい。ゆえに我々の任務は単純明快、敵艦船の司令機能を叩く。いわば、豪邸で強盗するようなものだ。強盗がどうあがいても、豪邸を破壊することはできない。でも」
緻里は一呼吸置いた。
「豪邸の主人を殺すことはできる」
道綾はぞくりとする声音でそれを引き継いだ。
「前衛は司令塔に強盗に入る。少尉の指示に従うこと。僕は外で見物しているよ」
***
「見物とはよく言ったものですね」
「巻き込まれないようにね」
西洋魔法の念話。全員に聞こえるオープンチャネル。「巻き込まれないようにね」とは何のフラグなのだろうか。意味深な表現だが、精鋭たちも何となくわかる。
海上の湿度と、偏西風の順風が味方してくれる。霧の持つエネルギーを吸収して、低気圧を作り出す。それはもはや「作る」という簡素な漢字では表現できない、一種の創造行為だった。
「風が、強うなってきましたねー」
「そうでございますなぁ」
精鋭たちもこの風が「偶然」できたものではないということに、思い知らされる。
30キロは離れた遠くの海上に、低気圧の渦を作り出す。
「こんなんじゃ飛べないまである」
「それなー」
「唯菜さんは、遠距離から来る砲撃を撃ち落とすなり弾くなりしてほしい」
緻里は言った。
「唯菜ご指名じゃーん」
「羨ましくねえぞ」
「私と強盗じゃ不満ということね?」
道綾が膨れた。
「そんなこと一言も言ってませんぜ、少尉」
「勘違いしてもらっちゃ困りまさぁ」
「私の強盗の手際をよく見ておくことね」
「この目にしっかと映します」
窓架がやけに清楚な声で言う。男子たちは、ホゥ、とため息を漏らす。
船の前進する方向に突如として現れた低気圧。勢力はどんどん増していく。
海鳥の鳴く声がした。
「いくよ!」
道綾は勢いをつけて出撃した。綺麗な隊列が降下していく。
敵艦「玉衛」の管制に取りつく。まるで虫がついたみたいに、べたっという音がして、玉衛の面々は叫び声を上げた。
「敵だ!」
道綾以下第十二特別小隊の精鋭たちは、奇襲するはずが奇襲をかけられた大陸の軍人たちの断末魔、その恨み言を聞き届ける。
道綾の風の矢は精確に喉を貫いた。
「階級章からするにここの親分ね」
「制圧しました」
「次っ!」
艦艇の低い階層にいる敵は、目もくれないとばかりに、敵管制だけを狙う。「本当に強盗をやっているみたいだ」と誰かが言った。
ザクザクザクと風の矢を射て、バリンと侵入する。張り巡らされた大陸術式は、手際よく中和していく。
打ち合わせ通りにまず通信設備を破壊する。術師が紛れているなんてこともなく、全ての手順がスムーズに進む。
どれもこれも、緻里が低気圧で海を揺らすおかげだった。作戦に支障が出るくらいの、大荒れの海に驚いて、さらに春霞の中に入ったものだから、大陸側は何も視認できない。
一隻、艦列から離れる艦船があった。
「唯菜さん」
「はい」
「君の長距離砲、あの逃げている艦艇を撃つことはできる?」
「おそらくできると思いますが」
(メインディッシュは唯菜に任せる)
(道綾了解。各員帰投せよ)
(了解。帰投します)
大がかりな魔法陣だった。緻密に構成され、演算速度も速い。
いくつもの砲門を開いて、焦点に収束させる。
今回の「艦隊狩り」は、唯菜を以て白眉とする。放出されたエネルギーの量は凄まじく、艦艇の横っ腹をぐぐいと押すと、引き波に引っ張られた艦艇は横転した。
帰投のために隊列を作った第十二特別小隊に、銃砲が向けられた。荒れる海では精確に照準を合わせることはできないが、いくつもの砲門がこちらを向いていた。
唯菜がシールドを展開する。
「唯菜さん、撃ち漏らさないでね」
「少佐、私もいるんですよ?」
「頼んだよ、少尉」
これでもかとばかりに撃ってくるが、波浪の影響が甚だしく、直撃コースに乗るのは秒間二十発ほど。
唯菜のシールドは、砲撃を喰らってもびくともしない。
「ヤバっ、飛ばされる」
海上の低気圧の強風域は、味方を吸い込まんばかりだった。
管制を失った艦艇はぶつかり、ギリギリと波間で船体を軋ませる。
バチリと雷電が空に走る。鉄の塊に向けて、緻里は雷を落とした。
微かに敵艦のシールドが起動する。出力を上げた二発目は、守りきれなかった。
舵が効かなくなった船体は、多くの乗員を巻き込みながら倒れていく。波高く、風強し。天候は雨、雷を孕む。
何機かのヘリコプターも、緻里の風に乗ることは叶わず、やがて機体を海につけ、沈み込んでいった。
青空が顔を出し、空気は湿度を落とした。海鳥が鳴いた。




