九十五章《天港会戦1》
「制約の言語回路」九十五章《天港会戦1》
演習で緻里を見ると、白龍と紛うことがある。
飛行する姿はまるで尾を携えているかのようで、速く高く天空へと上り詰める。
多面的に展開する術式も、あまりに美しいその式と、体系化され秩序立った言葉へのコミットメントから、緻密に練り上げられている。
敵も味方もその姿に畏怖を覚える。
ああ、少佐が敵でなくて良かったな、と、演習の後、笑いながら新兵たちは会話する。
新兵訓練はほとんど終わった。
「いつも一人で飛んでいた空なのにな」
「不安ですか?」
道綾は緻里の独り言を受け取った。
「いや、頼もしいよ。だって、……」
「?」
「だって、みんながいれば、できなかったことができるじゃないか」
「少佐らしいですね」
「君のおかげだよ」
「まさか。少佐が強いから、みんな少佐に憧れています。私もです。少佐の風には乗りたくないですが」
「僕の風は荒ぶってるからね」
「いえ、やけに上品なのが嫌なんです」
「上品?」
「わからないならいいです。私はそう思うというだけです」
「わからないな。風は風速と、方向だけしか持たないはずだけど」
道綾は首を振り、軽く否定する。
「合戦だね」
「そうですね。甲板に吹く風は、やけに熱い」
「少尉は詩人だな」
***
海上には霧が出ていた。春霞というのだろうか。膠着していた戦線を打開する、好戦的な作戦で、珍しく島国がイニシアチブを取ろうと画策していた。
首都北城市の玄関口「天港」の強襲。対空設備も、術師も備えた天然の良港。海都が大陸に面しているために重要な要塞なように、天港もまた島国に面し、幾百幾千の戦いの皮切りになっていた。
およそ七隻の大小の艦艇、総勢二千人が関わる大きな作戦だった。飛行機の数も多い。空母も出陣する。
「春霞……」
緻里は甲板に出て少し飛んだ。霧の範囲は遠くまで。船舶はレーダーにも映らず、目視でも確認されなかった。
緻里が広範囲で索敵をする。術式の反応があった。
「少尉」
上がってきた少尉に緻里は声をかける。
「お出迎え、ですね?」
「見える?」
「術式の探知はできました。でもその所為で、こちらも索敵されています」
カンカンカンとかかとで廊下を叩き、夕辺少将の元へ行く。
「先遣隊が来た模様です」
「距離は?」
「およそ十キロ」
「何人だ?」
「十人ばかり」
「第十二特別小隊の準備は?」
「完了しています」
「発艦を命じる。死ぬなよ」
「拝命します。ありがとうございます!」
歩いている間に指令が通ったらしく、小隊のたむろする広い会議室には、軍服を着た精鋭たちが勢揃いしていた。
「諸君、初めてのお披露目だ。緊張しているか?」
「演習での絶望感とは程遠いものがあります」
我心が言った。みんな笑った。
「絶望の原因は何か知らんが、いつも絶望が背後にあることだけは忘れぬように」
「今日は霞がすごいですね」
道綾はとぼけたように言った。半分はその独白の真意を知り、半分は解釈し損ねた。
「では行こう」
コンコンと甲板を叩くと、緻里は風に乗り上昇した。
緻里の上昇スピードは尋常ではない。しかも異能を使っているから、敵は術式での索敵が困難だった。
精鋭たちも魔法術式で空を飛ぶ。
目視ではなく座標を確認しながら、敵に近づく。
「ああ、少尉。昔はよくものを覚えて、いろんなことを言葉にしたのに、今手元に残っているものといえば」
「私たちがいます」
緻里は速度を上げた。道綾がそれを追う。ものすごいスピードで交差する。敵が追いつくことのできない速度。道綾は風竜巻で二人を堕とした。
「堕ちたのか-Zhui luo xia qu ma-?」
「よくわからない-Bu ming bai-」
「何があったんだ-Chu le shen me shir-!?」
(語尾がアル化してますね)
(耳ざといね少尉)
西洋魔法の念話を使うのは、わずかでもこちらの情報を漏らさないため。
(北城市生まれかな?)
旋回して上を取る。
「上だ-Shang bian-!」
バチンと電光が走る。獲物を持つ敵の手に、ビシリと撃ち込む。
ぐきゃあ、と拳銃を落とし腕を庇う。
「さよなら」
道綾が風で殴る。
ここまでが第一陣。二陣は迷炎や唯菜といった、精鋭たちの中の精鋭。
緻里と道綾は精鋭たちの動線に当たらないように上昇した。
敵の中で一人、緻里たちをめがけて上がってくるものがいた。
下では凄惨な戦いが繰り広げられている。
その一人は、直感的に霞が切れる上空まで上がった。緻里の異能を知っているわけでもないのに、どうしてかと思った。しばらく考えたが、単に視界を良好にしたかったのだろうという結論に至った。
「你叫什么名字-Ni jiao shen me ming zi-」
「緻里-Zhi li-」
「私は道綾-Dao ling-」
「僕は呉読-Wu du-」
「こんにちは」
道綾が言った。
「どうも。霞の中探索するのは骨が折れるけど、でも飛行機が出てしまってからじゃ全てが手遅れだ。と思ったんだけど、そちらの術式編隊のことを想定していなかった。かなり悔しいけど負けな気がする」
「去るもの追わず。という気持ちなのだけれど」
緻里は言った。
「気持ちはそうでも任務はそうじゃない。部下をやられてノコノコ帰ってきた上官に、居場所なんてないからね」
呉読は首を振った。「貴君は、雷を使うのか?」思い立ったように呉読は聞いた。
「そうだね。これは僕の異能だ」
「なるほどね。僕もそうだけど、貴君も、恵まれた才能を持っているんだ」
「少佐!」
道綾は声と同時に大風を吹かせた。
眼下の水蒸気が沸騰する音がした。風で道綾は霞を晴らす。
風が守り遅れた精鋭の一部は、火傷を負った。
敵味方問わずに悲鳴と絶叫が飛び交う。
「区別がない」
道綾はポツリと言う。憎しみがこもっていた。
「奴らでは勝てないからだ。見てわかる。彼らは大陸の術式を解析することができる。手の内は暴かれ、好き放題に殴られている。そんな奴らは、せいぜい足止めくらいにしかならない。道綾さん、私の隊員を助けてくれてありがとう」
「少尉」
「少佐、私の気持ち、わかると思うのだけど」
「少尉、敵はフィールド系だ。僕がやる」
「私が前衛であることに、変わりありません!」
ゴウと風の音がする。気づいたら道綾は呉読の顎を撃ち抜いていた。
「ゴホッ、拳銃なら死んでた」
「ジョークがお得意なのね」
風の風圧で体の骨が折れているはずだった。不適な笑みを浮かべ、道綾のなされるままになっている。
「これで、終わり」
道綾の体が不意に引き戻された。慣性の法則で息が詰まる。
「少尉。雲の中で蒸し焼きにされるぞ」
道綾の肩を掴み、後ろへやった。ジュウという音がわずか前方で鳴った。
「霞の中で私が見えますかな?」
瞬間ピシリと閃光が走った。霞は雨になり、遁走した呉読が、ずいぶん遠くに見えた。雷に作用する異能が、蒸発の異能とかち合ってうまく発動しない。気化する熱が雷の道を歪ませる。
……すず風がそよいだ。
前方の呉読に矢が刺さる。空気の矢、風の矢だった。
緊張した呉読の筋肉は矢を抜こうとする。抜こうとしても矢はどこにもない。やがて失血し、力尽きて、呉読は遠くに堕ちていった。
「さよなら」
道綾はつぶやいた。
下の層でも決着がついているようだった。




