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九十三章《府地》

「制約の言語回路」九十三章《府地》


 冷玲の冬はとても寒い。


 除雪車が雪を片づける。


 冬は暖かい家の中で暮らし、豊かな農作物の恩恵を受け、遠い異郷を想像ばかりする。


 大学中心のある海都でも、雪が降った。寮の雪かきで千歳と道綾が早起きしていた。


 道綾も千歳も、物のいいダウンコートを羽織り、ブーツを履いて、異能や魔法も使いながら、効率よく雪かきをしていた。


「あれ? 誰が雪かきしたんだろう?」とすら、男たちは思わない。お寝坊さんだからだ。


 温かい紅茶を飲み、朝ごはんのサンドウィッチを食べながら、道綾と千歳は談笑していた。


 道綾は、最近象棋を覚えた千歳と、軽く練習試合する。ゲームに強い千歳は、簡単には負けなかった。


 まだ外は暗い。


 窓架は早起き第二陣だった。


「ダウンコート……、外、出たんですか?」


 窓架は道綾に聞いた。


「そうだよ」


「まさか、雪かきとか?」


「私たちは雪国育ちですから」


 千歳は少し誇るように言った。胸を張る。


「それは……すみません。これからやろうと思って、上着を着てきたところだったのですが」


「甘いね」


「甘いです」


 道綾の言葉に千歳はお囃子をつける。呼吸をつかんだのか、かなり自然だった。


「はああ、そんなあ。早起きしてポイントを稼ごうと思いましたのに。まさか上官に先を越されるなんて」


 窓架は肩を落とすと紅茶を淹れ、道綾と千歳の席に座り、サンドウィッチをかじった。


 窓架は千歳の手に触れると、魔力を込めて温めた。


「あったかい」


「私にもやって」


 冷たい手を、道綾は窓架の頬に当てた。


「冷たいです」


 頬に当てられた手に手を重ねる。


「道綾少尉、手が大きい」


 道綾の指の谷間に指を絡めて、窓架は言った。


「ピアノと水泳が好きだったからかな?」


 言われ慣れている訳ではないようだった。


***


 冷玲の雪より重い、水分を多分に含んだ海都の雪は、じっと降り注いでいた。


 窓架を誘って、道綾と千歳は新雪を踏み締めるために散歩に出かける。


 タバコを吸っている男の新兵に手を振る。新兵は道綾に敬礼した。


 どこへ向かうか決めていなかったが、大学の方へ足を向けた。


 しゃくしゃくと雪が小さな音を立てる。


「窓架さんは、どこの出身なんですか?」


 千歳が聞いた。


「この近くです」


「《裏》?」


「私は、《裏》と呼ばれるのは嫌いです」


 島国の裏、大陸に向いた海岸。雪の降る海都。「でも、《裏》です。樹々に雪が積もって、太陽の光でキラキラと輝く。戦争がなければ、もう少しだけ田舎っぽかったのに。飛行機が飛び、砲撃音がして、敵が攻めてくる。……私、もしできたら冷英に行きたかったんです。でも、第一都市で下宿するのも、私立に行くのも親は許してくれなくて。もし、第一学府に行けるくらい力があったら、親の意見なんて気にせずに、ねえ?」


「この大学では不満ですか?」


 千歳は素朴に質問した。


「そうね。千歳は?」


「頑張りすぎました」


 千歳は自嘲気味に笑った。「もっとさびれたところでよかった気がします。身の程をわきまえて、もう少し小さくなっていたかったです」


「そう? でも、道綾少尉と話している時、楽しそうにしている」


「ふるさとが一緒なもんで」


「窓架、緻里少佐も大学中心なのよ」


「そうなんですか。意外ですね、でも、この前まで第一学府で先生をやられていたんですよね?」


「ええ。でも学部は、海都の大学中心。府月で落ちこぼれたって、一緒に呑んだ時言っていたわ」


「府月なんだ。あの感じだと、むべなるかなって感じですが。…………実は私も、府学なんですよ。府陽と府月、府京には敵いませんが、府地はこの辺りにあるんです」


「窓架、上品ね。自慢は最後まで取っておくんだ」


「まあ、そうですね。今でも、第一学府に行けなかったのは口惜しいです。道綾少尉が羨ましい。ちょっとだけ」


「府天とか府地の子はあんまり知り合いいないけど、結構第一学府に進学するの?」


「頭のいい子が二十人くらい。地方の国立高校だと、やっぱり都会まで出るのは大変で。……ご案内しましょうか?」


「どこへ?」


「府地高校。すごく古いんです。今は冬休みだから、きっと先生しかいません。府地の先生は皆いい人です。顔を出したら喜んで受け入れてくれますよ」


***


 車を駆る。


 近くと言っていたが、車で一時間ほどかかった。旧市街地まで窓架が運転する。


 慣れたもので、雪道行でも車体はぶれなかった。窓架は築六十年を超える府地高校へ案内してくれた。


 旧市街地はほどほどに近代化し、ほどほどにさびれていた。府地はさびれている中でもよっぽどの部類で、観光地としては一級の装い。荘厳な時計台が正面を向いていて、煉瓦造りだった。校舎は木造ですこぶる寒そう。実際中に入ると極寒だった。


「よくこんなところで勉強できるね」


「心頭滅却ですよ。それに、冷玲はもっと寒いですよね?」


「暖房が効いて暑いくらいだよ、ねえ、そうじゃない、千歳?」


「海通りの人はいつもそうだあ。山脈寄りの貧しさを知らないんだもん」


 千歳はぷんぷんとして首を振った。


「ごめんて」


「わだしのぉ高校だってぇ校舎は木造ですしぃ、何なら今時ストーブなんですからね」


「思いの外前近代的」


「海通りの人はなんっにも知らん。あんなに栄えてるの冷玲では海通りだけなんだよ。山脈寄りに来たことありますよねえ?」


 じたーっと千歳が恨み節を奏でる。


「ごめんて」


「知ってるのにネタにして、少尉いじわるなんだなあー」


「ごめんて」


 同郷の人を得て、くだけた千歳があまりにも可愛くて、窓架は思わず笑ってしまった。


「それに、こんな立派な時計台とか、ありますか?」


「悪かったわ。うちの高校にも時計台はあるけど、さすがに府学ほど立派ではないし、歴史もない」


「あるんだ」


 三人でケタケタと笑った。


***


 しんとした空気、雪の降る音。軋む床板と汚れたガラス窓。


 歩いているとじんわりと液が染み出してくるような、狂おしい郷愁が襲ってくる。


「いいね。窓架、こんなところで勉強していたの?」


 道綾が聞いた。


「大学図書館のようなものです。外の人には静謐の王宮に見えますが、使う人にとっては色褪せて、ありきたりに感じられる」


「なるほど、静謐の王宮ね」


「でも、王宮で会った男の子たちは、みんないい人でした。少し付き合ったりもして、でもどこかに行ってしまってもいて」


「小隊にいい男はいる?」


「我心は、最近凹んでるから可愛いなと思います」


 窓架の提供する話題に、千歳がくくくと笑った。


「我心くんかぁ、話したことないな」


「ふふ、我心、凹んでるんだ」


「緻里少佐に完全に圧倒されて。道綾少尉にボコボコにされて」


「私の所為?」


「昔、大学の演習で一緒だった時は、我が天下みたいな顔でいたのに、今や路傍の石ころ」


「石ころにも意思はあるから。私は、平等に扱ってるよ」


「女びいきと男子からは不満が」


「男は少佐の範疇だから」


「少佐って、何であんなに大陸好きなんですか?」


「少尉も」


 千歳もそれを受けて言った。


「少佐は、たぶんだけど、恋人がいるんだと思う。綺麗で強くて無敵の、北城市の。そんなの誰も掴めない星なのにさ」


「女って、早熟ですもんね」


 千歳が言った。


「四十になってようやく、二十歳の女をものにできる。その通りだと思うわ。女は、徐々に醜く弱くなっていくから」


「少尉は? 何で大陸語を?」


「逆張りよ。逆張り。そんで勉強してたら好きになったの。漢文とか漢詩とか、古代の文学なんか、もうホントどうでもよくて、ただあの国の男の子と話せたらな、って、自然に思えたの。だってそうじゃない? 私が大陸を夢想するなら、島国を夢想する大陸の男の子だっていてもいい。それに、陽成はとても可愛かった」


「大陸の男の子ですか?」


「そう。故南の師範大学で会ったの。赤銅みたいに綺麗な子だった。錆びついてもまた還元される、そんな感じがする」


「きっと、その方も、少尉のことをよく思っているんでしょうね?」


「んー、どうだろ?」


 雪の降り積む校庭の、角に佇む老木が、枝をしならせて、ドサッと雪を下ろした。


「こんにちはー」


 府地高校の男女が、爽やかな声で挨拶した。


「寒いねー」


 道綾は軽く返す。


「ホントですねー」


(知ってる人?)

(いんや?)


「勉強頑張ってねー」


「はーい」


(誰?)

(さあ?)


 仲の良い友人同士のようで、頭一つ分違う体を曲げて、耳と口を寄せていた。


 休みだというのに府地の教室にはちらほら人がいて、話していたり勉強していたり、とても楽しそうだった。

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