九十章《果枝中佐》
「制約の言語回路」九十章《果枝中佐》
夜の運動場で、窓架は道綾と個別に演習をしていた。
緻里は夜間の文学部の講座を受け持っていて、帰り際にたまたまその様子を見た。
窓架の剣撃には炎が宿る。魔法にも個人の特性が出る。その特性が乗り切った時、道綾のように優れた前衛ができるだろう。
道綾の方も、個人的に窓架から、魔法についてのあれこれを聞いていた。
緻里と道綾が身につけた大陸の術式が文学に理論を置くものとしたら、魔法は科学に根ざすものだった。
元素のような素子に働きかける。
理論はまだ完全ではなく、仕組みがわからないまま使う、技術先行の理論でもあった。
基本的に英語で術式構成をする。だから、とは言わないが、そのために第十二特別小隊の面々は、英語にかなり秀でていた。
大学序列三位の大学中心で学んだ新兵たちは、おそらく中高生の頃から魔法に親しんできたに違いなく、驕りを別にすれば、極めて優秀な人材だった。(その驕りは、緻里と道綾によって矯正されつつある)
迷炎や窓架が、個人的に研鑽に勤しむのを、彼ら新兵たちは、指をくわえながら待つわけにはいかなかった。
夜の文学部の講座に、何人かの新兵たちは堂々と潜っていた。
大陸事情から大陸語、大陸文学や漢詩に至るまで、緻里は大陸術式のヒントになる概念も含めて詳らかにした。
難解ではないが、少しコツがいる、癖のある授業だった。
かつて言情研で発表した論文の引用もし、ついでに西都大学の言雅の論文で書かれていることも噛み砕いて説明した。
七割の学生が寝ていたが、疲れているはずの新兵たちは、貴重な座学を拝して聞いた。
一つの大きな理論体系を緻里は話していた。
「これは、受験勉強ではありません。そこで、受験秀才のみなさんには、もうひとつ別の脳を、持っていただきたい。でも、受験で培った技能は必ず生きると思います。これから大陸と戦う時、これらの文学的体系は、必ずみなさんを守ります」
緻里は研究室で、日夜、魔法の習得に時間を費やした。
風雨雷の異能だけでも十分すぎるほどなのに、大陸術式や魔法を備えれば、無敵と言っても過言ではない。
防御魔法を学ぶのは、緻里にしてみれば必須と思われた。風壁は物理攻撃は打ち消せるが特殊攻撃には弱い。接近戦、敵前衛と刃を交えるなら、防御魔法は必須だった。
それと同時に、雨のフィールド展開に、魔法が、大陸術式より効果的に応用できる気がしていた。
日々魔法陣を考えて、計算式を描き、試行錯誤する。
***
研究室には候郷という故南出身の留学生がいた。
故南の立ち位置は微妙で、大陸語の圏域ではあるものの、島国とのやり取りも密で、ちょうど緩衝地帯のように、大陸と島国との間で、外交的に重要な位置を占めていた。
故南の留学生は、故国へ帰るとその闊達な島国の言葉を生かして、多くは外交官になる。
候郷は緻里とは大陸語で話した。大陸術式には興味がないらしく、日本文学史に傾倒していた。
道綾とは顔見知りで、少し歳は離れているが、お互い仲のいい話し相手だった。
道綾は、第一学府出身らしく、教養が深くて、大概のことを話題にできたから、候郷はかなりありがたかったらしい。
「道綾さんはすごいです」
と、ことあるごとに言っていた。
道綾とは、師範大学繋がりで、師範大学の研究室の先輩後輩だった。
学年は一年しか重なりがない。年齢も少し離れている。ちなみに候郷は修士課程での島国留学である。
候郷の専門は哲学だが、哲学は島国ではいにしえの学問の様相を呈している。そのため日本文学史に研究対象を変えた。
哲学にも明るい道綾のような先輩は、島国ではかなり珍しい。
「小粒でいいのであれば、島国にも優れた哲学者はいるわ。でも、島国では哲学は生み出せない。解釈するのに一杯一杯で、自分で考える歴史的文脈は存在していないと言ってもいい」
「その優れた小粒の哲学者は、島国では文学者、というのではないですか? 協働することなく、小さな空間を世界とし、妙味を閉じ込める。読むと彼らが孤独だということがわかります」
「孤独というのはいいことよ。いつも鏡に映る自分を見て、変顔するような、喜劇的な省察は、孤独で滑稽でなければ生まれない。その愚かさに気づかないのが第一条件だもの」
「哲学はコメディですか?」
「哲学に幾分か関わると、そんな気がしてくる。ロマンスの後の気だるさにいつも襲われるわ。汽冬は元気?」
道綾の故南留学時代の同学の消息を尋ねる。
「最近博士号を取られましたね」
「なかなかすごい」
「でも、道綾さんも、博士号取られるのだと思っていました。まさか軍人になられるとは」
「私は、勉強があまり好きではないの」
「勉強ができる人のおよそ七割が、そのように言いますね」
「あら、私、マジョリティでしたか」
***
「緻里少佐」
後ろから声をかけられた。果枝中佐だった。
「緻里少佐は、私たちの作ったシールドを破壊することができるの?」
「雨が降っていれば、もしかしたら」
「そうか。今度対空砲火訓練を行うから、もしよければ付き合って」
敬語を省くのは親しさからではない。
「もしよければ子飼いの新人さんたちも。対空砲火にさらされることは、きっと勉強になると思う」
淡々と話す。血の通ったコミュニケーションをするには、かなり時間がかかりそうだった。
対空砲火訓練と、簡単に言うが、追尾があるのはもちろんのこと、防御魔法の侵食・無効化、各種特殊効果を備えている。
「実弾で?」
「練習砲でやることもできるけど、実弾の方が楽しいんじゃないかしら」
ニコリともしない。
生身の人間ではなく、機械やシステムと関わって、相当の地位にいる果枝中佐の感覚は、およそ緻里が理解できるものではなかった。
「対空砲火設備を攻撃してもいいんですか?」
「できるのなら」
挑発でも煽り文句でもない。できるのなら。本当にそう思っているのがわかる。
後々、正式に通達された、陸海空の合同演習では、陸海から対空砲火が行われ、飛行機を援護する形で緻里たち第十二特別小隊も配備されることになった。
海には夕辺少将が出て、指揮を取る。飛行機からは爆撃が行われ、それを撃ち落とす、または弾くことが予定されていた。
飛行機部隊と演習をすることは重要だった。敵基地を攻撃する際には飛行機を伴うことは必至であり、飛行機を守り通すことは必須の任務だった。
フォーメーションを組み、仲間に手の内を明かして、緻里たちは合同演習に臨む。
まだまだ煮え切らない新兵たちも、今度の演習が分岐点だということがわかる。分岐点。このチームで戦う時、自分は何ができるのか。撃墜されないか。死なないだろうか。
本当の戦いに引きずられていく感じがした。少しずつ、戦争の姿が見えてきた。
「ぞくりとするね」
窓架は唯菜に言った。
「窓架なら大丈夫です。最近道綾少尉と特訓してるんでしょ? 私こそ、撃ち落とされないようにしないと」
ぽかんとした顔で、千歳は一人ポツンとしていた。