八十八章《親方》
「制約の言語回路」八十八章《親方》
緻里が捕虜となり、また帰ってきてから第一学府で教鞭を執っていた間に、異能から魔法への能力の体系の変遷があった。
欧米との人的交流の中で、欧米の大学の教育の中にあった魔法の体系が、島国にも輸入された。
魔法は単純だった。出力勝負。蓄えたマナ=魔法素を魔法陣に託して出力する。
緻里からすると目から鱗だった。大陸の解析術式で応用できるのだ。
「みんなお疲れー」
寮の食堂で道綾が音頭をとる。
「「「お疲れ様でーす」」」
新米たちは苦笑いで返事をする。
「米を食べ肉を喰みよく遊びよく寝てくださいね。かんぱーい」
「「「かんぱーい」」」
今日はカレーだった。
「少佐、お疲れ様でした。手応えは?」
「少尉は?」
「初々しくて可愛いっ!」
「チームで戦うのは久しぶりだから、勝手がわからないな」
「以前はどちらで?」
「藤宮島。離島防衛だった。懐かしい」
「あれも少佐だったんですね」
「あれもとは?」
「藤宮島も、海都・大学中心と同じように、かなり強化されたって聞きます」
「僕はありがたかったよ。台風も、海風も、湿潤な気候も、僕の異能と噛み合っていた」
道綾は何回かうなずいた。
新米たちも、上官に気兼ねするようなメンタルは持ち合わせていないらしく、楽しそうに食事していた。
年齢は二十代がほとんど。
大学中心での座学的な能力開発だと、限界があることがわかった。
魔法を使う新米たちからは、魔法の要領を聞き出さなくてはな、と緻里は思った。
「魔法、道綾少尉は使えるのか?」
「我々ロートルは彼らから学ばなくては。私は最初に戦功を上げようとした、唯菜-Weicai-がやはり一番の優等生なんではないかと思いますが」
聞き耳を立てている人がいるやも知れぬと、名前は大陸語で発音する。
「それはどうして?」
「魔法陣が精密な気がしました」
「少尉も解析していたのか」
「僭越ながら。緻里少佐に大陸術式を教えていただき、前所属での演習では無敵でした」
「鬼に金棒か」
「ふふ、鬼ではありませんが」
「ハードルは大陸語か。話せるのは少尉だけだものな」
「緻里少佐が講座を開けばいいのでは?」
「何年もかかる。それはわかるだろう?」
「大陸語が少し話せるだけでも、彼らの生存率は上がります。敵は大陸なんですから。それに……」
「ん?」
「論文を拝見しました。理論はもう組み立てある。そうじゃないですか?」
「少尉、そつがないね」
「参考にさせていただいています」
優秀な副官をあてがってもらえたことに、緻里は感謝した。
「魔法か。なんだか楽しそうだな」
「いくつかキーと言える論文が公表されているみたいです」
「調べたのか?」
「頼土と我心から聞きました」
「怖がっていただろう」
「そんなわけないですよ。年上美人のお姉さんのお願いを嫌がるなんて、そんなそんな…………なんであんなにビビるんでしょうね?」
「そりゃそうだよ。彼我の膨大な戦力差を悟ったんだから」
道綾は緻里の端末に論文の情報を送った。
「どうぞ」
「ありがとう」
***
論文中の単語で目を引いたのは、「神」という表現だった。魔法は神の恩寵だという「設定」に、緻里は眉をひそめる。
信仰を要求する能力は、緻里の感覚では受け入れ難い。
ただ、緻里の方も、敵の理論に乗っかって、術式を構築しているのだから、それを「ニュートラルな能力」として誇ることはできない。
砲としての火力、身体能力の増強、遊撃手としての飛行能力。
「魔法もとりあえず及第点か」
論文をさらりと読み、自室でベッドに体を横たえた。
解析した魔法陣の方程式を頭の中で再生する。それができるのは府月や第二で培った計算能力。唯菜の「光撃」には、引っかかるものがあった。
何年も昔のこと。光に撃墜させられた記憶。
「世寂だって言ったっけ。嬢憂に迷惑をかけて。あれはカッコ悪かったよな。おんなじ光だけど、やっぱ異能だとやりにくかったな」
大陸の高校序列一位の、第四出身の世寂に惨敗したのだ。
「なるほど、なるほど。確かにまた世寂が来たら、……」
ぞくりとする。魔法の光撃と世寂の光は似て非なるものだ。前者は解析解除ができ、後者はそれができない。
「だとすると、何かで遮らなくてはいけないよな」
光を遮るもの。
「研究しなきゃな」
***
第二回の演習。自慢の対空砲火で緻里の足を止めようとする。魔法術式の軌道から、体の流し方を計算する。計算通りに体を動かすことは、慣れたものだった。舞う、美しい演舞。武道の型を見ているようで、砲を撃つ方も惚れ惚れする。
小隊の新米半分は、緻里の目を盗んで、雨雲の上に突破しようとする。
緻里はもちろんそれに気づいていた(雨は感覚器の一部であるとすら言える)。
でも、新米が考えたことなのだから、やらせてみる。
彼らが雨の影響を受けない高度まで上昇したことはない。空気も薄く、動きが制限される。
空気の調整は、空を飛ぶ者の必須能力だ。彼ら新米の弱点をまた発見してしまった。
魔法で緻里の軌道計算しているのは、迷炎だった。頼もしいなと思う。術式を当ててジャミングするのは簡単だが、彼らの砲撃を喰らうのもまた、悪くない。
下からの対空砲火で制限された軌道のスポットに、迷炎は砲を撃ち込んだ。
今まで一度もなかった直撃音がして、わっと新米が沸いた。
「手を抜くな、撃ち続けろ!」
迷炎が叫んだ。迷炎はわかっていた。直撃したのに手応えがなかった。
足を止めた緻里の座標を共有して、各人が砲を構えて撃った。今までにないことだった。
爆煙が上がる。これはやったのでは?
「防御魔法!?」
「みなさんのお株を奪ってしまったみたいで、申し訳ない」
緻里は、全方位の強力な防御術式を展開していた。
次の瞬間には緻里はもう見えなくなっていた。
上空の風に乗って、迷炎を堕とした。
強く吹く風を利用した、目にも留まらぬ速さだった。
「拾ってあげて」
照準と追尾の魔法をよたよたとやって、後衛の新米たちは、緻里を追いかけて砲撃する。
「遅すぎる」
「練度の問題でしょうか」
「独り言に乗り込まないでほしいな、少尉」
緻里が雨雲に隠れた。
照準と追尾はそれでも有効。
いくつかの爆裂音がして、新米たちは喝采をあげた。
ちらちらと季節外れの雪が降る。間抜けな顔の新米たちを置き去りにして、道綾は戦場から遠ざかる。
地面は土なのに「キン」という音がした。大きな雹が落ちてきた。
防御魔法で耐えようとする新米たちに絶望のお知らせ。雷撃付きだった。
物理と特殊の合わせ技で、防御術式の一面性を突く。
「親方はことごとく意地悪だ」
「泣き言を言わない。まだ立てるでしょ?」
近接戦闘に振っている新米を、道綾がしごき上げる。
窓架の練習刀は、複雑に走る道綾の風に、勢いを削がれ、方向をずらされ、剣撃の体を損ねていた。
電撃にビリビリにされた後衛型の新米は、雨雲から降りてきた緻里を見て、絶望していた。
さっき追尾させた魔法砲撃で、かすり傷くらいは負わせたものと思っていた。悔しいほどに無傷で、髪一筋も乱れていなかった。
「うそぽよ」
ことごとく通じない。
また、千歳は腰を抜かしていた。




