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制約の言語回路  作者: 府雨
府月の時間割篇
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七十九章《受験》

「制約の言語回路」七十九章《受験》


 全国共通高校水準考査。水考と呼ばれる大学入試の一次試験。


「うーん」


「あややぁ〜、どうだった?」


「二問、間違えてた」


「人生二周目ですか?」


「それなら一問も落とさない」


 夜宵は少し悔しそうにしている綾衣にかける言葉がなかった。二問しか? 自分は何問間違えたかわからない。


 夜宵が秘密裡に得た教員からの情報では、やはり、綾衣が学年で一位だった。それも、圧倒的に。


 やがて判明することだが、水考のその年の最高得点は、府陽と府京に一人ずつ、一問間違いの997/1000。末凪と喩喩だった。満点は一人もいない。


 府月であることで驕る人は、府月にはいない。綾衣が驕らないのだから、誰も驕らない。実力主義の世界であり、頑なにエリートだった。綾衣は府月を作る系譜に、間違いなく連なる者だった。


 綾衣と飾絵の関係に、気づいた生徒は一人もいなかった。綾衣が飾絵を気に入っているのも、飾絵が綾衣に恋情を抱いていることも、誰も彼もが知っていることだったから、むしろ逆に。


 綾衣が飾絵と談笑している。いつも笑っている綾衣だから、ことさら違和感はない。


「ずっと一位だったね」


「飾絵が不甲斐ないから」


「そんなこと言われても困るよ。大して対策してなかったんだろ?」


「末凪さんと喩喩さんに負けたくなかったから、ちょっとはやったよ。でも、二問だと完敗かも。府学対話で会った時、微妙そうだったから」


「なにが?」


「勝てるかなって。末凪さんは意志の強い人だし、喩喩さんは紛れもなく天才。私じゃちょっとなぁって。一番じゃない私は好きじゃない?」


「まさか」


「ほんとぉ?」


 背の高い綾衣が体をねじって下から飾絵を覗き込んだ。挑戦的な口元の笑みがとびきり魅力的で、中性的な声もなぜか可愛かった。


 飾絵はたじたじだった。


「一番じゃない私を好きじゃないなんて、そんなせりふ、綾衣さん以外言えないよ。ある意味とても可愛い」


 世辞を言うのは好きじゃない。でも精一杯好意を寄せて飾絵は言う。


「綾衣ちゃんおつかれー。飾絵くんじゃあねー」


 早引け組が廊下にいる綾衣たちに挨拶して帰っていく。彼らとて二人の仲には気づかない。いつものことのように見える。


「ポニーテールとツインテール」


「それ、間違えると死ぬやつ」


「大丈夫、殺さない」


「じゃあツインテール」


 綾衣は驚いた顔で飾絵を見た。


「どうして?」


 ポニーテールとの答えを予想していたのに。どうして?


「たまにやってるよね。レアだから」


「わかった。化粧室で整える。今日もサービス残業?」


「ごめん、今日、塾」


「……いってらっしゃい。浮かれてた、ごめんなさい」


 手を振って彼氏を見送る。最後の追い込みだ。


 飾絵は府月でも三位の好位置につけているから、第一学府も余裕で受かる。でも本人は気が気じゃない。満月に近い満ち満ちた綾衣を毎日見ていると、足りないことだけを意識して、自分が欠けた月のような気がしてくる。桁違いに頭がいい府月の中でも序列があり、桁違いの頭脳がある。飾絵とて水考で落としたのは八問くらい。


 頭から煩悩を振り払いたい。塾もサボってやろうと思っていた。でもカッコつけたいし、そうでなくとも体裁は整えたい。綾衣はなんでも許してくれるだろう。だからここは、飾絵自身で、線を引かなくてはならない。


***


 11時のファミレスで勉強していたら、父親が迎えに来た。綾衣はびっくりして「どうしたの?」と聞いた。


「もし何かあったら事だ。もう十分勉強している。いつも通りの生活を送っていれば、結果は自ずとついてくる」


 第一学府の入学試験の前日で、そう言われれば確かにそうかな、と、綾衣は思った。


 朝起きると、テーブルの上にお弁当箱が巾着袋に入れられて置かれていた。「頑張ってこいよ」とメモしてあった。それは何かの切符のように見えた。メモを財布に入れ、綾衣はお弁当箱を携えて第一学府のキャンパスに向かった。


「がんばろう」


 飾絵からひらがなでメッセージがあった。綾衣はスタンプで返した。


 全国の府学から集結した英才たちが同じ教室に集まる。府陽の末凪の顔もあった。


 小柄なショートカットの末凪は、試験前、府陽の何人かと談笑していた。近くで見ても、オーラがあるとかそういう雰囲気の人ではない。メガネをかけていて、小顔で、可愛い感じ。口数から考えると綾衣よりさらに話す、快活な様子が見て取れる。


 綾衣は友達が少ないので、教室の中に府月生も多いが挨拶程度、声をかけられるくらい。多くの府月生は、綾衣と話すのさえ畏れ多いと思っている。


 末凪は綾衣を見つけると、手を振って笑顔を向けた。


 綾衣も少し微笑んだかもしれない。


 同じ部屋に飾絵がいないのは、少しありがたかった。


 理科と歴史が午前中にあり、昼休みを挟んで数学と外国語が午後にあった。夕休み(と黒板に書かれていた)の後、午後の八時まで国語の試験が課せられている。


 お昼の休み時間に一人でお弁当を食べる。


 府陽の面々は我が物顔で自前の解答速報を唱えている。綾衣はそれを聞きながら、「それは間違っているのでは?」と首を傾げる。その場にいる末凪も指摘してやらない。仲間の心をくじくことは本意ではないから。


 夕休みに巾着袋に入っていた飴玉を口の中で転がして、あっという間に試験は終わった。


 第一学府の最寄駅は人でごった返していた。


 綾衣は飾絵の後ろ頭を見つけて、隙間を見つけては前に進み、なんとか追いつこうとする。「綾ちゃんお疲れ様ー」の声も聞こえない。


「飾絵」


 綾衣からの声は聞こえていても、飾絵から綾衣は容易には見つからない。確実に飾絵。こちらに見せた横顔が、「私の好きな」飾絵なのだ。


 群衆の中立ち止まった飾絵の手首を、綾衣はつかんだ。


「お疲れ様」


 飾絵は笑った。


「お疲れ様です」


「どうだった?」


「いつも通り。飾絵は?」


「難しかったな」


「いつもそんな顔して」


「え?」


 聞きつつ飾絵は笑った。「何のこと?」


「ホントは余裕なんでしょ?」


「まさか」


「謙虚なふりが上手なんだから」


 綾衣は飾絵の指に指を絡ませた。飾絵が柔らかく握ろうとするのに合わせて、ギュッと握った。驚く飾絵の肩に肩を当てる。


 綾衣の指は小さかった。そんなところが華奢なのかと飾絵は意外に思う。指なんて見た事がなかった。綾衣の指にペンだこがあるのを知ると、飾絵は恥ずかしくなる。


「謙虚なふりなんてとんでもない」


「与えて。私はもっと欲しい。だって頑張ったんだよ」


 飾絵は目を見開いた。


「頑張っているって、そんな」


「私に限って頑張ってるはない?」


「そんなこと言わないけど。でもその含みはある」


「与えて。私は欲しい。ご褒美を頂戴。我慢していたの」


 言葉が色を帯びる。まるで冬の雨の中に吐く息のように、白くそして頼りなかった。


***


 綾衣が家に帰ったのは、深夜三時だった。


 テーブルの上には食事が用意されていて、「チンして食べてください」と父親からのメモが置かれていた。


 端末のメッセージに何も残っていなくて、ただ父親は待って、それから自室に帰ったのだ。冷蔵庫には小さなケーキが入っていた。


 父親は全てを知っているのだろうか。それともやはり何も知らないのだろうか。


 キッチンから包丁を取り出して、食事の載った食器に突き立てた。何度も何度も、割れるまで綾衣はそれを続けた。


「どうした」


 父親の声に振り返った綾衣は泣いていた。


「危ないだろう。包丁を離しなさい」


 それから綾衣の髪を見た。いつもきれいに落ちている髪が、わずかに乱れていた。


「それは、私が君のお母さんと買った大切な食器だ」


「知ってる、だから壊すの。思い出なんかどうでもいいでしょうって」


「君が壊したいのは私の作った料理だ。間違えないで欲しい」


「無理だよ、もう無理だよ。知らないふりをして、間抜けな役回りで、天然を装うのは」


「誰も君にそんなこと求めていない。君がやりたくてやっているんだ。それが君の生き方で、正論なんか役に立たない。君の生き方なんだ」


「どうしてそんなこと言うの?」


「寝なさい。君のために作った食事だ。君の好きにすればいい。人を傷つけて喜ぶのはいいが、残念ながら私は傷つかない。片付けは私がする。私は、君の壁か? 君だって十分強いじゃないか」


 カランと包丁が落ちた。


「強くないよ」


「いいや、強い。よく頑張ったよ」


「もういいのかな」


「まだだよ。まだずうっと続く」


「誰も、私を知らない」


「みんなよく知ってると思うよ。府月の生徒はみな君を尊敬している。私は先生からそう聞いた。君だけが君のことを知らなかった」


「ケーキ食べてもい?」


「どうぞ、君のだよ」


 綾衣はケーキを皿に載せると、自室へと持ち帰った。カチカチと、割れた陶器を片付けて、父親はまた眠った。


 石のように沈黙を保つ父親がこんなに話してくれたことが、綾衣は嬉しかった。

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