六十七章《瞬桜線》
「制約の言語回路」六十七章《瞬桜線》
瞬桜線に乗って、第一都市に降りると、凛咲はすぐにコンビニでコーヒーを買った。
首都らしい雑多な雰囲気と、人を喰うようにそびえるビルの威容に、何となく納得する。
財布と端末ばかりで手荷物はない。とりあえず、夢宿の用意した住処に身を寄せる。
凛咲は第一都市に一度も来たことがなかった。初めて踏む土に何となく違和感を覚える。
環状線を半周して、副都心まで出ると、マップを見ながらホテルへと向かった。
受付で馬鹿正直に名前が言えるのは、その速さを捉えられる人が存在しないから。
カードキーを受け取って部屋802号室へ。扉を閉めて軽く部屋を検分する。検分、といっても目を散らすだけ。何かを疑っているわけではない。
本当なら、友人と、楽しい旅行の一コマにありそうな「ホテルの検分」も、どちらかというと億劫な仕事に成り下がる。
落ち着けなければとわざわざ思う必要もなく、落ち着いている。
それでも、何日間かかけて、第一都市に慣れなければなと、凛咲は漠然と思っていた。
暗い沈鬱とした面持ちの人が多い印象。それは島国だからかと、敢えて言ってやる必要もないのかもしれないけど。
副都心から伸びている私鉄に乗って、小さな街に降りると、そのことは明らかだ。
でも、案外違うのかもしれない。
芸術的なまでの雑多さが詰め込まれた、この島国大都市圏は、一つの答えなのかもしれない。
何の?
おそらくその芸術性の。
足りないわけでもないのに与え、欠損はむしろ補わない。
補われないからこそ成長し、与えられるがゆえに危険を回避できるのだとは、二十歳の凛咲は思わない。
おかしさを受け入れることはできるが、おかしさの根拠まで遡ることはできない。
深くまで探らないから、なんとなくの感覚で、異同を判断してしまう。
規模が膨らみ、複雑な社会が現れることに、凛咲は何のセンサーも働かせていない。違う場所で育った二人が同じように成長するはずがないのに、なんとなく同じ感じがする。表面的な同質性が、まるで凛咲を立派な都会人に仕立て上げているような錯覚。都会を意識せざるを得ない。弾き出されたくない。
でも、凛咲を弾き出す最大の要因は、凛咲がどこで生まれ育ったかではない。凛咲の空間的な感覚は、ことごとく見当はずれ。凛咲が今、二十歳という若さでそこに立つことに、第一都市は強烈な不満を吐いている。それに凛咲は気づかない。
***
凛咲は、批判的思考に富むタイプではない。
批判的思考とはその実、肯定するべきものを肯定するためのツールなのだから、批判的になることに力点が置かれては本末転倒。
懐疑的と批判的は言葉の意味が違う。
そういう意味で凛咲は、懐疑的な人間だった。……どこが? と思われるかもしれないが。
批判は常に対象を外に置く。懐疑は内心の動揺でしかない。早い話凛咲は、そんなに強い造りをしていない。
「今の、この国の、首相を、殺す?」
「ええ」
「ど、ど、ど、どうして?」
「戦争を終わらせるためです」
「そんな、首相一人死んだことで、この戦争が止まるなんて」
「止まります」
夢宿は強弁した。
「画鯨首相、嫌いじゃないんだけどな。マフィアなんじゃなかったの?」
「左翼的なマフィアなもので」
「はぁ、結構。どこで殺すの? てか、いくらもらえるの?」
「一億、が限界です。我々が画鯨首相の死から得られる利益というのは、そう多くはないので」
「戦争の方が金になるのに」
「金は命をかけてまで追うものではない」
「何言ってんだか」
ホテルの部屋で、凛咲は夢宿と電話していた。
タバコを吸うのは、フィルターを噛み潰してしまいそうで控えた。夜も近づく時間で、コーヒーも飲みたくない。仕方なく凛咲は爪を噛んだ。
「凛咲さんには大変なことですが、我々も微力ながら《お手伝い》いたします。場所ですが、第一学府の卒業式、演壇に登った首相をざくりと」
「それでわざわざ第一都市まで呼んだんだ」
「パスや衣装はこちらで用意します。一応振袖にしておきますね。胸元に小刀を忍ばすだけで、アサシンの出来上がりです」
「簡単に言うよね」
「普桜さんを討ち取った姫に、できないことなんてないですよ」
「暗殺を試みるにはあまりに単純」
「だからこそ。……だからこそですよ。年齢的にも卒業式にいておかしくない。議会に乱入するのは侵入コストが桁違いですが、野外の集会場ですよ?」
「いや知らんが」
「鮮血が第一学府に舞うのを、楽しみにしてますよ」
電話が切れた。手順手筈が、追ってメールで送られてくる。目が潰れそうなくらいの細かい指示で、凛咲は思った。
「まぁ、夢宿さんの説明も、一応要点は押さえてたよね。いいことにしよう」
***
翌日、凛咲は第一学府のキャンパスを歩いていた。一週間前にできる準備なんて、そう大したことはできない。
タバコを吸っていると「ここは禁煙ですよ」と職員から注意される以外、誰とも会話せず、効果の定かでない下見を終えた。
西都大学に通っていた身としては、一位と二位の差なんてと思ったが、それは序列もそうだが、質的な差でもあった。
病気を理由に、ほとんど授業に出なかった凛咲も、西都大学では、そんなに人目をはばからなかった。
「ここではやっていけないだろうな」
なんとなくそういうことがわかった。
洒落た服装に、洗練された言葉遣い。
「いやよくここで」
ここで大学生なんかできるな。最後は呆れ果てる。都会的で虚構じみた言葉が、この島国の論理を牛耳っているのか。
凛咲はくくくと笑った。下卑た笑いだった。
別に孤立させられているわけでも何でもないのに、疎まれている気にさせる。嫌だ嫌だと頭の中で音頭が鳴る。そうするともう止まらなかった。
ふつふつと憎悪が湧き、呪いが生成された。カハハ、ガハハと空気を渦巻き、喉に絡ませた。
けほっと可愛い声を漏らすと、凛咲はホテルへと帰った。
「関係ないんだな」
(何が?)
「世の中の仕組みとか、普通の人がどう生きているかとか、私と何の関係もないんだな」
(すると?)
「なんでもない。なんでもないよ」
凛咲は枕に頭をあずけて、タバコを口にした。火はつけなかった。考え事をしている時の、凛咲を捉えた風景は、それは格別可愛らしいものだった。
まるでピエロか絵描のように、道化でありながら屈託をにじませていた。古い小学校の廊下の、木の敷板みたいに、矮小化されるのに愛惜を伴う。そんな風景だった。
首相を殺すのは、そんなに大したことじゃない。そもそも島国に、首相なんていたのかよと、そう思ってから笑い転げた。ニュースなんか見ないし、今、そんなものを見ている人がどこにいるんだとまで言う勢いだった。
電話が鳴った。凛咲はそれを取らなかった。画面には狂翠の名前。
月の裏側まで来た感のある、気の抜けた電話の着信音。
二分ばかり続いた着信音が途切れると、少しだけもったいない、寂しい感じがした。




