六十五章《花籠》
「制約の言語回路」六十五章《花籠》
あまりに現金なことに、凛咲は殺人に取り憑かれていた。
目の前に殺せる対象があるなら、喜んで殺す。それをカルマとは思わなかった。殺人は凛咲にとってまるで薬物のよう。
凛咲は将棋の駒運びを読むように、数十秒先まで人の動きが読める。その読みに従って、俊速の移動を試みる。速さが全て、兵は拙速を貴ぶ。
悪魔が力を貸してくれるのがわかる。沸々と呪いが湧いてくる。そして意識は深く沈潜して、凛咲は殺人という「概念」に成り変わる。
敵が強くても弱くても、やることは変わらない。なにせ凛咲は「殺人そのもの」なのだから。
圧力を高めるためにつま先を敵のこめかみに打ちつける。速度がバカみたいに大きいから、それだけで七メートル敵が吹き飛ぶ。脳震盪を起こすことはまず間違いない。置き去りにされた仗と、胸元から落ちた小太刀を見て、凛咲は我が意を得たりとばかりに、歪んだ笑みを浮かべた。
とことこと見せつけるように歩き、小太刀を手に取る。すぐに、凛咲の悪魔が小太刀に呪いを移す。
小太刀が導くように、僧兵の起きあがろうとする喉元をざくりとえぐった。
ざざっ、ざざっと残りの僧兵が現れる。内部で足の引っ張り合いでもしているんだろう、まさかとは思うが作戦でもあるまい。
一瞬という短い時間を三回重ねて、残りの僧兵を片付ける。
言い訳なんか必要ない。逡巡も後悔も介在しない。からんと小太刀を捨てると、拍手が鳴った。
パチパチパチ。おめでとう。
「やあ、才能じゃないですか」
「だれ?」
敵意を感じない。でも、一般的に間合いといわれる領域に、出没者を入れたくはなかった。
「いい子にしているのは疲れません?」
「そう、ね。確かにそうかもしれない」
「人には特性というものがあります。殺すのが特性なら、殺人を否定する社会のルールの埒外に、身を置いてみるのはどうですか?」
「怪しすぎる、はは。試しに、殺してもいい?」
小太刀を取って間合いを詰める。肩から抉って腕を切り落とそうとした。がちりと、鉄が噛む音。
「なるほどね、対策済み、と」
「夢宿といいます。凛咲さんには殺して欲しい人が山ほどいる」
「強いの?」
「凛咲さんにかかれば、大したことはないでしょう」
「それじゃあ意味がないんだよ」
「でも、お偉いさんを倒すのは、楽しいと思いますよ」
(お偉いさん? テロ組織なのかな?)
「もちろんお金は弾みます。とりあえず一千万。難易度に応じて出来高制の報酬もつけます」
体が軽くなった。凛咲は久々にまた、澄み切った心で前を向いた。
戦いの中で命を落とすことは本望だったし、強い相手と戦えるのは、楽しみだった。物理なんかに時間を費やして、みみっちい仕事に就くのはまっぴらだった。金は、もらえるならもらえるだけもらいたい。
「一千万もらってから考えるよ」
「これはコインロッカーの鍵です。西都駅のコインロッカーに金が入ったバッグがあります。地図を付しますので、そちらへ行ってもらえれば。受け取り次第、夢宿まで連絡をください。連絡先はバッグの中のメモを参照してください。連絡は、一千万の使い道がわかってからでいいですよ」
「親切」
「マフィアは身内には優しいものです」
***
たかだか二十やそこらの学生に、一千万の使い方なんかわからない。
ありがちなことに、それが殺人を請け負う対価としては破格の安さだと、凛咲は気づかなかった。末端の鉄砲玉には格別の待遇かもしれないが、人殺しを容認するほど世間は甘くない。それに、仮に政府の要人を殺害するとなれば、殺人自体は遂行できても、彼らが現実世界で生きている以上、関係する人々の感情や、追っ手の存在から来るリスクは、うなぎのぼりだ。
凛咲はそれをよく考えた。言雅と切り結んだことの、倍するリスク。
でも結局、凛咲は楽観した。というか考えてもやってみなければわからないという結論に達した。
金を使って、田舎に小さな家を買った。家具付き二階建て。
車があっても面倒だと思う、さびれた住宅街の、蔦が塀に絡む一軒家。スクーターを車庫に入れて、家を掃除すると、なんとなく生活している感じがした。
家のある丘から下りて、スーパーに買い物しに出かけ、食材を買うと、またスクーターで丘を上がった。
人の気配がない代わりに、鳥の鳴き声が清流のせせらぎで、雨が土を濡らすと植物の濃いにおいが立ち上がってくる。
窓を磨き、蔦を切り、洗濯物を干す。最初はおぼつかない家事も、やる人が自分だけだと思うと、まあ、やってもいい。
大学からはずいぶん離れたところに身を落ち着けた。
「嬢憂さんには悪いことしたな」
病相は後退して、今一見何の問題もないような気がする。呪いからくる高揚も、病気からくる倦怠感もない。
料理をして食事を取り、シャワーを浴びる。
書斎、という名前にした一部屋で、灰皿を机に置くと、タバコを口に差した。火をつけると香りが散った。
煙が部屋に充満する。ぼんやりと天井を見る。
備え付けられた書架にどんな本を埋めようかと悩んでいると、インターフォンが鳴った。
凛咲は玄関先に出た。
「こんばんは」
二十半ばくらいの、お姉さんだった。
「こんばんは」
凛咲も返した。
「この町内に新しい人が来はるって、よろしゅうに。花籠といいます」
「凛咲です」
「十代二十代なんてこの町にはうち含めて二人。凛咲さん合わせても三人です」
「はは、それは。ご丁寧にどうも。すみません、こんなところに住んでいる人がいると思わなくて、挨拶の品もなく」
「ええよ。お一人?」
「まあ」
細い目で花籠は凛咲を見聞した。
「うちらは家族でやってます。困ったことがあったら何でも言ってください。学校には行ってないんです? 大学生に見えますけど」
「故あって休んでます」
花籠はからからと笑った。
「いいと思いますです。ほんまにそれいいですやん。うちは大学第一都市で過ごしました。厳しい世界でしたよ。這々の体で田舎に閑居してます」
「同じようなものです」
凛咲は扉を後ろ手で閉めて、ポケットからタバコを取り出し、先に花籠に勧めた。
「高いの吸ってはるんやねえ」
「まあ、そうですね」
凛咲は曖昧に返事した。
「もう一人呼んでもいいやろか?」
「いいですよ」
花籠は電話をかけた。
伸びのいい西国方言。電話向こうは、標準語だった。
短い電話越しの会話の後、数分もせずに男の子が現れた。
髪をポニーテールにまとめた可愛らしい男の子だった。
「花籠さん、どうも。あ、どうも。狂翠です」
狂翠と名乗った男の子は、十五、六くらいに見えた。
「タバコ吸う?」
「いいですか?」
凛咲は狂翠の口にタバコを差すと、火をつけてあげた。
まさに田舎という感じで、凛咲は安堵した。何もしなくてもいい。ただ自然の赴くままでいい。
「高校生?」
「はい」
「この辺りの?」
「この辺りに高校なんてないです。いつも家族の車に乗って、山を越え、駅に下り、そこから電車でまた河を跨ぎます」
「ここはどう?」
「友達はみんな、街に住んでいるから、ここだとなんか特権的な?」
「わかる」
花籠がうなずく。花籠はポケットから携帯灰受を出すと、吸い殻をそこに沈めた。凛咲に向ける。
「お言葉に甘えて」
「お酒は飲まはるの?」
「軽いものだけ」
「喉が渇くわ」
「入る?」
夜はもう九時をすぎていた。
凛咲は二人を招いて、紅茶を淹れた。三人のうち誰も、カフェインを夜に摂ることに、抵抗はないようだった。




