六十三章《精神侵蝕》
「制約の言語回路」六十三章《精神侵蝕》
「神様だと思っていたものが悪魔だったり、またその逆のこともあるよね」
嬢憂は、凛咲の真向かいに座り、凛咲の手を握った。
暖かい流れが凛咲の体を巡った。
「別に説明しようとしなくてもいいよ」
嬢憂は、穏やかにそう述べた。「説明できるのは物事の一側面でしかないし、説明できるのなら最初から救われているでしょ? ふふ、まさか負けるなんて、って顔。いい経験ね。島国最強も大陸最強には敵わなかったのね」
「悔しくないです」
「そりゃそうだよ。だって誰かに止めてほしかったんだもんね?」
凛咲はうなずいた。
「結局、私は死ななくてはいけないんでしょうか?」
「いいこと教えてあげる。医者は最高の弁護士なんだよ。病気のことであっても、家族のことであっても、社会のことであっても、その病理を暴き、患者のことを第一に考える。それが医者というもの。あなたを守るわ。約束する」
「殺したことを、正当化するのでしょうか。病が理由になっても……殺された人の命は」
「こう考えるのはどう? 殺さなければあなたが死んでたって。正当防衛とはもちろん違うよ。でも、凛咲さんは、助けを求めていたんでしょ? 誰か強い人に、殺してほしかった。それがあなたの救いだった。理解できないわけじゃないわ。それと同時にあなたは自分の命を常に守ろうとしてきた。殺されようとして強者と対峙し、並行して自分の人生を賭けていたの。命を賭してきた。そんなこと簡単にできることじゃないわ。壊れながら若いながら、よく頑張ったわ。言雅さんの手を焼いた呪い、実は研究していたの」
「研究?」
「弱さの裏返しかな?」
「はい」
「私はこう考えているの。神か悪魔かがあなたに取り憑いたというよりも、あなたの心の蝕まれた部分が、超自然的な精神現象を生み出したって。だいぶ落ち着いたね」
凛咲はうなずいた。
「言雅さん、いい先輩よね」
「はい」
「あなたを恨まなかった」
「それは、私のことをよくわかっていたから」
「そう」
嬢憂は凛咲ににっこりと微笑んだ。
「恐怖に打ち勝つの。温かいものを飲んで、親しい人と話して、協力して人の間で生きるのが、とりあえずの処方箋。凛咲さん、いつでもおいで。あなたは私のいい研究例。遠慮せずいつでもね?」
凛咲は笑った。負い目まで取り除いてもらえた。
***
「言雅さんは無い? 自分の凄さに驚いちゃうこと」
「無いわけないじゃ無いですか」
「そうだよねぇ。まあ僕たちの場合は勘違いだけど、あの凛咲ちゃんに関しては、事実だったわけだ。そんなはずない、そんなはずないって深掘りすればするほど、周りは凡庸に見えてくる。普桜さんは残念だったね。でも、……」
「まあ我が父は、私の目の上のたんこぶでしたから」
「そうだよねぇ」
御笠は普桜の骨のない墓に手を合わせた。
「唯宇さんも。不幸だったねぇ」
「これからどうするか」
「君が」
「私が?」
「そうだよ。君が」
御笠は笑った。歯を見せて無邪気に。
「どうして私が」
言雅もつられて笑った。
「君は強いじゃないか」
涙がこぼれてきた。ここ最近で本当に久しぶりの涙だった。(強いわけあるかよ)
「お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん。お父さん。どうしていないんですか。最後の言葉がなんだったのかも私覚えていないのに。あんなに、強かった、お父さんが、なんでこの墓の下にいるんですか、お父さん、お父さん、私の神様だったのに。あなたが刀を折らなければ、私はここに立っていない。あなたはどこまで、どこまで見透かしている。お父さん、お父さん、最後に一言だけでも、言葉をかけてほしかった。生き残ってしまいました。ありがとうと言いたかった。お父さん。強くなんかない、強くなんかないのに」
「君は強いじゃないか」
「御笠さん。すみません、お見苦しいところを」
「言雅さんは気づいているかわからないけど、最初に普桜さんを狙ったのは、きっと普桜さんが最強だったから。それはでも強い弱いじゃないよ。普桜さんがリーダーだったからだよ。あの家父長的なところといい、秘蔵っ子の言雅さんの強さといい、ね」
「まあ、今回は結果的に思純さんに助けられたわけですが」
「幸運だったねぇ」
わいわいと声がして城山を上がってくる一向。愛橋に歌谷、穂緩、そして懐記だった。
大きな花束は穂緩のもの。懐記は深々と頭を下げた。
「姐様泣いてるの?」
「泣いてない」
「泣いてるじゃん」
「泣いてない」
意固地に否定するところが言雅らしかった。目尻の雫を拭う。
「この度はご愁傷様でした」
穂緩が言った。
「父が生前大変お世話になりました」
全員で深く黙祷する。
「姉が」
「懐記くん、その、……」
言雅も懐記も言葉を探る膠着した時間が流れる。
「高校生には荷が重い案件だね」
御笠が助け舟を出した。
「気にしないで、懐記くん。お姉さん厳しい風を受けるだろうから、支えてあげるんだよ。それに、君は大丈夫なの?」
「大丈夫です。たぶん」
少しかすれた笑みだった。
「最弱のメンツかもな」
歌谷が言った。
「違いない。府京出身でこんな体たらく」
穂緩も賛同する。
「姐様、こんなざぁこたちですけども、みんなで一緒にやっていきましょう。西都に、言雅あり!」
「「「西都に言雅あり!」」」
「おーぉ?」
普桜の城山を下りる。
狂い咲きの桜が花びらを散らしていた。




