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五十八章《世襲》

「制約の言語回路」五十八章《世襲》


 歌谷と連れ立って西都の繁華街、矢尾商店街を訪れる。


 貴族の歌谷がつれている女が、西国から抹消された普桜の娘とわかると、驚くほど早く噂は広まった。


 府京出身の二人は、人目を引いた。


 高校の頃、肩で風切って矢尾を歩いていた二人が、また矢尾を歩くのだ。


 こういう言い方は誰も好まないが、彼らは選ばれた者だった。


 タピオカ黒糖ミルクティーを片手に、言雅はちらちらと周囲を窺う。


「矢尾も変わったね」


「そう思うか?」


「違うのか、変わったのは私か。矢尾、あんなに大きかったのにな」


「せやなー」


「なんや、歌谷、いきなり訛りおって」


「西都しばらく離れてたから、忘れてへんやよな? って、確認や」


「忘れへんて」


 矢尾を訪れることは、儀式みたいなものだった。何の意味もない形式的な手続き。「たとえ父親が殺されようとも戦い続ける」こと内外に知らしめる。


「こんにちは、おかえり姐様」


 後ろから声をかけられた。言雅の「ソナー」を無効化して、低い位置から聞こえる声。


「愛橋!」


 警戒から一転、言雅の声が跳ねる。


「こんにちは〜、おひさしゅう、会えて嬉しおす。姐様〜」


「まなちゃん」


「お貴族様、まなちゃんはよしてくださいな」


「愛橋、後ろから声かけるなよな」


「びっくりさせたろ思いまして」


 愛橋まなはしはふわりと浮かぶと、言雅のタピオカストローをいただく。


「あまぁい」


 嬉しそうだ。


「愛橋、大きくなったな」


「おかげさまで」


 愛様だ、愛様だと周りは沸き立つ。


「もう高校生?」


「姐様の薫陶のおかげで、無事府京に」


「誰か、好きな人とか」


「いややわ〜、姐様」


 愛橋は小さな背を伸ばして、言雅の耳に言葉を添える。


(好きな人、西都最強かも)


「最強? つまり?」


(つまり、姐様より強いかもって)


「私から乗り換えるわけね。後悔するぞ」


(楽しみだなぁ、懐記、姐様とやり合うためなら何だってするって、この前言ってたよ)


 懐記なつき、言雅はその名前を知らなかった。


「お貴族様、お父様はお元気?」


 愛橋は半分ほど飲んだタピオカを言雅に返すと、歌谷へ笑顔を向けた。


「さあ、そういえばそろそろ祭りも近いね」


「愛橋はまだ《依代》をやっているの?」


「私以外誰が神になれます?」


「愚問か。これからどこに行くんだ?」


「友達とカラオケ」


 と言うと、待ち合わせ時間が迫っていたのか、またふわりと浮くと、雑踏の向こうに消えていった。


「唐者さん、お祭りいつも大変ね」


 唐者からしゃは歌谷の父親。西国の貴族筆頭。でも優しい。多くの人の面倒を見て、封建的なところのある西都西国を盛り立てている。近代的な教育制度にも関心と理解があり、府京を支える太い柱だった。


「あんなに優しい方が、あんなふうに西都を盛り上げているんだから、不思議なものね」


「言雅、祭りに出たら?」


「私? どうして?」


「昔はよく一緒に稚児をやっていたじゃないか」


「笛でも吹けばいいの?」


「そうさ。誰がまなちゃんを守るのさ」


「歌谷だって」


「おれ?」


「唐者さんが引退したら、歌谷が貴族を率いるのよ」


「言雅はどうするんだ? 普桜さんの後を継ぐのか?」


「どうすればいいのか、まだわからない。我が父が残した城山を、一つ一つ整理して、弔って、やっぱり悲しいよ。私は我が父と仲が良くなかったから、大学中心で長い間過ごした。でも我が父がいないのなら、西都で大学に奉じるとか、そんなふうに小さな居場所を作って、」


「わかったよ。応援する」


 歌谷は言雅の言葉を打ち消した。歌谷がこれほど強引な言葉遣いで話すのはほとんどないことだったから、言雅は自分の言葉を反省した。歌谷は何に引っかかったんだろう? だが幸い、歌谷はその種明かしをした。


「言雅、お前疲れてるだろ」


「へ?」


「この前もやけに饒舌だったって。躁鬱みたいな、とは言わないけど、空元気はほどほどにしろよ」


「空元気……?」


「金はあるのか?」


「あんまりない。貧乏なんだ」


「言雅、お前といるとさ」


「わかってる、ごめん」


「活動するなら、就職する前にしろよ。普桜の忘れ形見。口座番号変わってないか?」


「へ?」


「変わってないか?」


「いやいやいや、流石に悪いよ」


「もう振り込んだ。別に遊びに行くならいつでも誘ってくれよ。でもお前も色々準備があるだろう? 先生になるにせよ、その前に笛の練習もしなきゃいけないし。穂緩のところなら、しばらくは落ち着けると思う。なにせ堂王の領域者だからな」


「我が父とも仲が良かった」


「堂王のホテルは高いぜ、せいぜい楽しむんだな」


 矢尾の商店街の入り口で、歌谷は別れた。


***


 穂緩ほゆる。堂王の領域者。堂王は西都の臨海部の経済都市。経済規模は真珠市には及ばないものの、西国一の喧騒と、洒落た商業施設、トップからミドルまで楽しめる街の表情が売りだった。


 地方財閥というのが正しい表現なのかはわからない。鉄道、ホテル、百貨店、不動産、数え上げれば限りなくあるグループの、頂点に君臨するのが、穂緩な一家だった。


 まだ三十前半の「皇太子」が、前線に出て活躍している。穂緩の父や祖父、曽祖父は、戦国の西国を治めた「王」であり、昔から神事を司る「聖」、愛橋のような存在を経済的に支える「俗」の代表だった。


 臨海のホテルを予約する。


「すぐにお車をご用意いたします」


 予約の電話でクラークはそう言った。


 ハイヤーが言雅を迎えに行く。


 府京の同期とはいえ、いい加減にしてほしいものだと、ため息が出る。でも、安全が脅かされている言雅にしてみれば、その物質的支援が、何よりありがたかった。


 三十分ばかりの車中で、言雅は深く深く眠った。


 ひと月ほどの宿泊費を、歌谷に都合してもらった金子で払う。それでもずいぶん余った。籠城するのにはもってこいだが、対抗者からすると監禁しているような意味合いも持つ。


 情報を集めなくてはならない。


 誰が普桜を殺したのか。


 誰が味方で、誰が敵で。


 自分は何をすればいいのか。


 本が欲しかった。時間をかけて研究するような、分厚い本が読みたかった。


 部屋に入ると本があった。壁一面が本棚で、趣向の凝らされたラインナップだった。どれもではないが、何冊も、興味を刺激する本が散りばめられていた。


 もう一面は港が見えるガラス張りの窓。


「はぁ、持つべきものは……」


 電話が鳴った。


 言雅は珍しく緊張して、電話を取った。


「もしもし」


「こんばんは」


「懐かしい声だ」


「僕も同じ感想だ」


 二人してくすくすと笑う。穂緩の声は昔と変わらなかった。


 しばらく電話口は膠着していた。「あの……」という声が、二度ほど重なってまた笑って、「おかえり」と言われて、それが本当に心から無事を祝うように聞こえて、「ありがとう、ただいま」と言う声が濡れて滲んだ。


「忙しいんだろ? 早く切れよ」


 久々の野郎言葉が言雅の口をついて、また二人で笑った。


「博士号取ったって」


「そんなほやほやの情報どこで仕入れるん

だ?」


「普桜さんのことを聞いた時、調べたよ。並べることじゃないか。ごめん。でもおめでとう」


「なんか、心当たりある?」


「ないね。少なくとも《我々》ではない」


「真実か? この前抒情院の襲撃を受けた」


「抒情院はそもそも普桜さんが嫌いだった。それに、唯宇さんが意図していたのは、言雅の殺害ではなくて、粛清だった」


「粛清?」


「気に入らないやつを言雅に殺させただけってこと。理由をつけて必ず死ぬ戦いに送り出しただけ。きっと後でお礼に来る」


「迷惑な。混乱したよ」


「それが唯宇さんの卓越したところだ。見事なカモフラージュ」


「そんな話はどうでもいい。いつ私を抱いてくれるんだ?」


 電話口で一瞬息が止まる。


「必ず娶りに行く」


 二人はまた笑った。こんなやり取りを高校生の頃からしている。どちらも臆病で、忙しかった。


「何年前から言ってるんだ? もう気が変わりつつあるぞ。それに、穂緩、君は偉くなりすぎた」


「世襲世襲世襲世襲。僕と結ばれる人は不幸になるね」


「まあそれが、西国だろう?」


「第一都市の明るさからしたら、あまりに旧弊に映るかもな」


「私は好きだ。勝利が決まっている戦いに、スパイスが添えられて美味しくなるのが、いつもいつも楽しかった」


「貴女の強さに敬意を」


 ノックの音がした。


「どうぞ」


 電話が切れた。

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