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五十七章《密度》

「制約の言語回路」五十七章《密度》


 言雅が大学中心での大学院生活を終えて西都へ戻ると、父親が殺されたことをまず初めに知った。


 何人もの妾がいる中で、言雅の母も一緒に殺されていた。


 というか、そこに言雅がいたのなら、同様に言雅も殺されていたのだろう。


 皆殺しだった。


 妾も下女も一人も残らない。


 城山のようにそびえ立つ言雅の父親の屋敷は、一年捨てられて朽ちていた。死体はそのままで、熱と雨と風で風化していた。


「まるでシチリアを旅しているようだな、あるいはアルジェリアとか。まるでカミュの『異邦人』の世界だ」


 死んでいる下女や妾を《爆縮》で葬る。


 石段を上り、父親の刃に串刺しにされた姿を見た。


 刃を抜く時、そこに込められた呪いに、手が焼かれる。


「これは我が父でも抗することができなかったか。そうか……」


 言雅は手を合わせた。


 爆縮は言雅の父親をこの世から跡形もなく消し去った。


「我が父も、死んでしまっては、私の空間に編み込んだ言葉でもって、空間から消え去る。夢だったのにな。生きている間に、我が父を、葬り去るのは私だと、思っていたのにな」


 言雅は、呪いのかかった刀を、しばらく見つめていた。呪いの言葉がまだ効力を持ち、その存在がある座標に言葉を編み込むことができない。


「この呪い、記憶にないな。誰だろう?」


 言雅はしばらく考え込んだ。


 屋敷には生気がなく、廃墟となっていたから、そこにとどまることはできず、言雅は、知り合いの歌谷うたやという貴族の元へ転がり込むことにした。


***


「おかえり」


 歌谷はその別荘の扉を自分で開ける。海のそばにある邸宅で、真に貴族である歌谷は、まさに有閑的な生活を「余儀なく」されていた。府京を言雅と出た後、大学に行くことなく、働いてもいない。


「びっくりしたよ」


「普桜の料亭にもう行けないことかい?」


 普桜ふざくとは言雅の父親の名前。名前で呼べるのは歌谷くらいのもの。


「料亭、ね。我が父の料理は確かに美味しかった……、とはいっても、彼は私たちにその腕を振るったことはほとんどなかったけど」


「俺は何回かいただいたよ。高かったけど」


「歌谷、仕方ない。私が珍しく料理を振る舞ってやるよ」


「きゃはは、楽しみだな。言雅、昔高校の家庭科室で、火柱を立たせて火災報知器を鳴らしていたっけ」


「歌谷、どうせろくなもの食ってないんだろう? とりあえず住まいが定まるまで、食わせてやるよ」


「普桜の娘の料理か、まあ、楽しみだな。……兄弟姉妹も?」


「妻妾の子供どもは全滅だった。恨みがこもっていたよ」


「君がいたら、そんなことにはならなかっただろうに。君の不在を狙ったんだろう」


「誰がやったのか知ってるのか?」


「それは、誰もいえないだろうな。もしそれを言って、本当に戦争になったら、誰も無事では済まない。仮に知っていたとしてもね」


「戦争ね。……うちのものは誰も、抵抗した跡がなかった。よほど強いんだろうな」


 言雅はこきりと首を鳴らして、指の骨でも音を鳴らすと、食材と調味料を見定めて料理を始めた。


 皿を順々に出して、歌谷の舌を満足させる。一緒に食卓を囲むというのではなく、給仕するという感じで、デザートやコーヒーも用意した。


「いい豆を置いているじゃないか」


「物はあるんだよ。ところで、言雅、うちの本宅は訪れないでくれよ」


「わかってる。この別荘でも、……無理をお願いしているよな」


「君のことは好きだ。だから、このことで俺が死ぬとしても、構わないけどさ、家族には人生があるから」


「わかってるよ。ごめん」


「戦うのか?」


「知っての通り、我が父は西国の一柱の神だった。死んだらそりゃあ《地殻変動》くらい起こるだろうさ」


「怖い怖い。強いのは不幸の始まり。俺は別に死んでもいいけどさ」


***


 歌谷の別荘で眠る時、言雅はその言語回路による空間の座標的な把握を範囲を、最大一キロ程度まで広げていた。


 海の波が聴こえるくらい、静かなその別荘の周囲で、動くもの、車の駆動音、熱源、さまざまなものを探知していた。


 大陸術式と異なる原理で、言雅の言語回路は、情報を処理していた。仕組み的にはエコーのようなもので、言雅の発する言語的な呪力に対する反発で、対象を感知していた。


 空間を言葉で埋め、言葉の流れを感じる。それは大層な術式だった。


 しゃあん、しゃあんと音が鳴る。西国では大して珍しくもない、僧都の夜の修行の音。近づくわけでもないから、最初言雅は眠りを優先していた。


 トントントントンと、廊下を歩く音に、言雅はハッとする。歌谷がリビングまで降りてきて、ソファに寝ている言雅を起こした。


 貴族と僧侶は対立関係。遠巻きに鳴らす仗の音に歌谷は反応する。


「結界が張られた」


 言雅の術式の探知範囲外に、大きな結界を、何人かの僧侶が協力して張った。


「地殻変動だね」


 言雅は言った。


「僧侶たちは俺と言雅が手を組んだと思ってるのかもな」


「歌谷、下がってていい。私が殺る」


「物騒なやつだな。ことによると西国は、本当に戦争状態になる」


「私は一人戦っているだけだ。奉じる国家も、守るべき国民もいない」


「言雅、饒舌になったな」


 それは、この緊張状態の中で最も必要なユーモアだった。


「饒舌?」


 三人か。と、言雅の脳は索敵を終える。


「昔は静かだったじゃないか。『雑魚どもには興味がない』というふうに」


「そうかもね、……じゃあちょっと外に出てくる」


「俺も出るよ。僧侶か、100%抒情院。流れ弾が当たって、なんて」


 かちゃりと歌谷の刀のつばが鳴る。


「唯宇、来ているかな」


「あいつは抒情院でも変人だから。それに、あいつ府京時代、言雅のこと好きだったから、今回来てたらサクッと殺れると思う」


「私を好きとか、変人すぎるだろ」


 別荘の二階のバルコニーの扉を開き、外へ出る。


「結界か」


 雨模様を憂うみたいに歌谷はため息を吐く。吐き終わると同時に跳んだ。


 距離にして200メートルもない。言雅は笑った。僧侶の口に上るのが、呪詛だということを文字通り、そして言葉通りに感覚する。


 僧侶たちの張った結界と領域を重ねるようにして、言雅の術式が走らせる言語回路が、巧妙に呪詛をはね返す。物理的な爆縮が、呪詛の密度で無効化されるとしても、僧侶如きに、博士号資格者の言語回路が、遅れを取るはずがなかった。


「ざくり」


 感覚的な音声によってスイッチを入れる。


 まずは小手調べ。一人の僧侶の片腕に「くさび」を入れる。言語回路の密度が薄かったからか「片腕を落とすことしか」できなかった。そんなことは誇ることでもないというふうにもう一度。


「ぐさっ」


 きぃんという高い金属音がした。僧侶が杖を身代わりにした音だった。


「ばき」


 金属杖を手折る。僧侶たちの結界の密度が薄まる。爆発的に言雅の言語領域が広まり、あっという間に宇宙になった。


 歌谷と僧侶の一人の刀と金属の杖との立ち合い。白刃が僧侶の喉を突き刺した一瞬で、言語回路的優勢は決定的になる。ここまでくると、言雅は全てを掌握する。


 敗走する僧侶二人のうち一人を、歌谷は後ろから刺した。


「後ろから刺すなんて、さすが貴族ね」


「武士ではないと、……ハッ、そんなもん気にしたことねえよ」


「最後の方に、事情を聞く?」


「知らない方が楽だと思うぜ。誰が俺たちのこと嫌いなのか知ってるクラスルームほど、いやなところないじゃん」


 じゃあ、と、言って、空間に周密する言語の質を《反転》させて、虚無を作る。


「さよなら」


 最後の一人となった僧侶は、そこに吸い込まれていった。


「あっけないわ」


「言雅、お前を敵にしたくないな」


 二人はコツンと拳を合わせた。


「血、ついてる」


「シャワー浴びるよ」


「意外ね、歌谷、昂ってないんだ」


「刀が代わりに昂ってる。刀の手入れもしないとな」


「確かに、あなたの刀、話しているみたい。声がする」


「声ね。俺は単に、昂る刀を想像しているだけだ。声なんか聞こえない」


「いい刀ね。歌谷のことが好きなんだ」


「相棒だよ」


 歌谷が血を落としている間、ソファに寄りかかり、空間三次元的な探索に代えて、言雅は十秒に一度、同心円状の「ソナー」を出した。できるだけ遠くまで、それを飛ばす。


 自分の世界と空間の境界を探るような精神統一。ソファに体をあずけて、目をつぶる。


 歌谷が戻ってくると、言雅はまた眠りについた。

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