五十六章《カッコ》
「制約の言語回路」五十六章
高度を上げて、術式で敵を探知するのは、しばらくやっていなかった。
積乱雲の裏から、爆撃機が現れる。
「七十ですか?」
「七十二」
「目視ですか?」
「いや、索敵。雲に隠れているやつもあるよ」
演習に参加した緻里は、第一学府出身の道綾の指導教官になった。
長い髪を味気なくまとめて、道綾は軍服に身を包む。
同じ風の使い手として、また同じ大陸語の話し手として、年齢の多少はあるにせよ、概ね同じ方向を向いて話ができた。
道綾の風は鋭く、刃物のように空間を切る。密度が濃く圧力が大きい。
緻里が得意とするような天候操作や雷の召喚はできないが、近接戦闘ではまず間違いなく敵なしだった。
今回の教練で、緻里は探知術式と解析術式の移植を試みた。探知や解析は緻里が高校生の時に半年ほどかけて身につけたものだから、短い教練では間に合わないかとも思ったが、道綾の大陸語の運用能力の高さから、あまりにあっけなく移転することができた。
「少佐は、大陸で過ごされたんですよね」
訓練後の宿舎での夕食で、道綾は緻里の隣に座った。
「捕虜としてね」
「この前の捕虜交換の際に帰ってきた私の知り合いは、少佐の大陸語に助けられたとしきりに言っていましたよ」
「それは恐縮だが、そんなものは大陸側の捕虜の管理の一環でしかない。島国の言葉が話せる大陸人は少ないから、僕は都合のいい存在だっただけだよ」
「そんなものですか」
道綾は文官と武官の間を行く、幹部候補の筆頭だった。頭がいい。そして強い。生真面目だがコミュニケーションにも長けて、軍人で終わらすにはもったいない。
そこまでは言ってやらないが、緻里は道綾にネガティブな評価をしなかった。
第一学府の特異性を加味して、仮に「天才」と呼ばれるようなものではなかったとしても、他の人のノウハウを傾聴することで獲得していく凄さと、あくまで謙虚な姿勢が、彼女を作り上げていた。
「僕はマクロな気流操作が得意だから、なんだろう、ゲームでいう前衛後衛の配置だろうね。道綾少尉との位置関係でいうなら」
「肉弾戦、私は好きです」
緻里は笑みを返した。
「今度僕と風の演習する?」
「恐縮です、よろこんで」
「冗談だよ。僕はまだ風に切り刻まれたくない」
「私も雷に打たれたくはありません」
周りの将官たちは震え上がっていた。
「……それにしても私たちは何で大陸と戦っているのでしょう?」
「さあ。そっちの方が都合がいい人がいるんだろうね。道綾少尉、自分の命と国を天秤にかけた時、どちらを優先するかは今のうちに考えておきなよ」
「国ではありません、国民に奉じているんです」
「国民の代わりに殺すの?」
「殺されないために。私も国民的側面がありますから」
こういうせりふは、強いからこそ吐ける。緻里は海の上ではイージス艦さえ転覆できる。道綾は陸では一騎当千の戦力だろう。そういう人たちが幹部として上に立ち、明るい視野で島国を導いていく。
際どいところは大陸語の難単語でそよそよと口にする。道綾の笑いが止まらないくらいの皮肉を、緻里は暗号にして舌に載せる。
「哈哈哈哈哈-hahahahaha-」
周りが怖気を催すくらいの、異国的笑声。緻里からすると懐かしいその大声、道綾が発すると、氷にアイスピックが立てられたみたいに空気を壊した。
「Is that your original atmosphere? Or are you a serious barbarian?」
道綾は耳を動かすと、にんまり笑って質問者に回答する。
「Do you want me to cut your hair?」
道綾の意図するところは「バーバー(床屋)」と「バーバリアン(野蛮人)」の発音の差異を的確に突いたものだった。英語が話せるのは何もお前だけではない、と。
大陸の言葉は息をよく吐く。声が口の中で丸まる島国の言葉と違い、声がダイレクトに空気を震わすから、「野蛮」という人も確かに一定数いる。それは、大陸揶揄のテンプレートだった。
「You cannot feel the atmosphere of melodious continental language, that’s disappointing.」
階級を襟元から判断するに、少尉ということがわかる。
「你的同学年-Ni de tong xue nian-」
緻里は道綾に聞く。
「大概是-Da gai shi-」
「Could you speak in Japanese?」
「もちろん。失礼しました。でも大陸語の音楽的な雰囲気を解されないのは、大変残念です、少尉」
「うるさいだけだろ」
「声調、有気音、奥鼻音。おわかりにならないのは致し方ありません。島国の言葉にはありませんものね。同期でしたっけ」
覚えてないのかよ、と、空いた口が塞がらない。
「敵国の言葉で、恥ずかしくないのか」
「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず。大陸のことわざですが、まさに当てはまるのではないでしょうか。敵の言葉を知らないまま、どうして敵を殺せるのですか? 兵器に頼る人は、敵が人ではなく肉塊に見えている。殺すのは責任です。恨みを負って、憎悪を受けて、……それが私たちに向けられる最も恐ろしい刃です。私が大陸語を学ぶのは、最も効率的に《殺し》最も効率的に《守る》ためです」
「捕虜になって尻尾を振るくらいなら、死んだ方がマシだ」
チクリと緻里を刺す。緻里は「透明」なまま、笑顔を崩さない。
「命は大切に。外聞の代わりに死ぬなんて、もったいないですよ、御同期、お名前は?」
「発令見てねえのかよ」
「《名無し》でのご登録をご希望。なるほど。綺麗な英語でしたよ。少佐、私は行きます。大陸術式は難しいですが、これも数学。私、数学は好きだったんですよ」
可愛い敬礼を残すと、道綾は食膳を片付けた。
***
言情研で修士号を取った、美雨という女性は、文官として外務省に着任することが決まった。
ささやかな壮行会、その場に御笠がいないのを、美雨はとても残念がっていた。
言情研では、「音声の印象的好悪」を研究テーマにして、いわゆる「かっこいい声とは何なのか」を言語横断的に調査した。
大陸語を学べる数少ない大学である第一学府に来るくらい、大陸語フリークであり、そのほかに雪国の言語についても緻里とともに研究を積み重ねた。
英語には興味がないらしく、かなり省エネで勉強を進めた。英語文献を漁るくらいなら自分で理論を作る方が百倍早い。
辰柿の秘蔵っ子で、美雨はとても可愛がられていた。
ところで、呼ばれていた軍の合同演習を終え、言情研での研究に、緻里は満を持して「術式解析」を加えた。
術式についての意見交換は、辰柿とも度々行ってきた。
本当は美雨とともに研究したかったと、酒が入ってこぼした。
「私にはわからないものですから。数学みたいなものでしょう? 別世界を想定して、そこで働く言語を《想像》する、私には理解できないですよ」
美雨の言ったことはまさに術式の本質で、「それがわかるなら」と緻里は言葉を繋いだ。
「わかるのと使えるのとは違いますよ。浮力を知っているだけでは泳げないし船も作れません」
的確な比喩だった。
でも正確に第二の先生に倣うなら、やはり数学ではなく「詩」というべきなのか。詩をわかるのと詩を吟ずることができるのには千里の隔たりがある。
異能の研究は、遺伝学との絡みで、島国にその蓄積は十分あった。でも、術式的な系統の能力開発は、島国にほとんどなかった。
緻里は短い任期の間に、島国に術式を導入する橋頭堡を築くことを望んだ。
それをするには、人材も知見も足りていない。言葉を移植するようなものだから。島国の言葉で術式を構成することはできないのか。術式と大陸語は不可分のものなのか。
「そういえば、西都大学の准教授になられた方で、そんな島国の術式のような雰囲気の研究をされている方を一人知っていますよ」
酒が回って言葉もほどけていく。美雨は言った。
「西都大学」
「ええ、私、西にも友達多いんです」
「昔住んでたとか?」
「あそこの言葉は独特ですから。風雨のようなものです。《肌触りがする》んですよ」
「物理的なものということね」
「でも、西では虚空がテーマみたいですよ。言雅さんが西に戻られて、だいぶおさまったみたいですけど。あそこの《地殻変動》は、第一都市の比じゃないです」
「ところでその《カッコ》の使い方教えてよ」
「えー、いやですよ。こういうのをとっかかりにするんだぁ、緻里先生は耳ざといっ!」
ちょっと待って。と、緻里はこめかみを押さえた。
「げんや?」
「あ、もしかして私読み方間違えていたかも、げんがと読むのが標準語かな」
「言雅」
「緻里先生?」
「虚空の……」
「知っているんですか?」
「十年くらい前に。大学中心にいた、今西都大学の……?」
「はい、准教授」
「しばらくぶりの名前だ」




