五章《機識》
「制約の言語回路」五章《機識》
全てが白紙になった後、緻里は初めて文学に傾倒した。
村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』(古典的な作品だった)を読んで、なんとなく胸が苦しくなった。武器がないまま戦うのだ。戦うのだと自分を奮い立たせた。
ジョン・ウィリアムズの『ストーナー』を読んで、人生に、選択肢がそれほど多くなく、でも確かに選択肢があることを知った。
胡適からは大陸の強靭さを学び、劣勢の中で身を処す方法を読み取った。
苦しみがそのまま自信になるには、まだまだ時間は必要だった。緻里は言葉に触れ、言葉に宿る力を感じ、養分としてそれを吸収した。言葉には魔素があった。文字には呪力が込められていた。それに気づいたのは、緻里が大陸で「詩歌」の授業を受けたからだった。
この島国で、文学に力があるとする人は、わずか一握りだった。それはこの国が科学技術の国であり、サイエンスを信奉しているからだった。古典を除いて、この国に文学はなかった。あるいは産業として、文学というものは形を残していなかった。
緻里は文学を志した。それが、緻里の長い鬱のトンネルを抜けるための第一歩だった。
緻里は、文学部がある国立大学を受験して、不合格をもらった。それは、でも織り込み済みのことで、淡々と浪人生活を送った。不確かな学力を確かなものにした。
浪人期間中、勉強は参考書を使って自分で進めた。もう自分のあやふやな能力で自己愛撫するのには飽きたのだと言わんばかりだった。
一つの殻があり、それを破ろうともがくのは、苦しいけれど楽しかった。
嬢憂が西都(緻里たちの地元を離れた遠くの町)の医学部に入ったと聞いた時には、何とも言えぬ感情が去来したが、もう関係がないのだと思い込むことにした。
友人もおらず、孤独で、何の資格もない。だがそういう時期があっていいのだと、緻里は自分に言い聞かせた。
夜寝る時は、思純のことを思い出した。触れた体の柔らかさ。細い指先が絡む感触。大陸語の甘美な響き。龍の背から眺める夕陽の詩情。それは映像の記憶としてはかすれても、経験の事実性という意味では強く緻里を掴んで離さなかった。
そういう記憶を燃料に、何十年も生きていく。そういうことが予見された。緻里の未来を把持した。それは、端的に言って思純への愛に他ならなかった。記憶が増幅する想いが、思純との間の物理的な隔たりが、思純のかけがえなさを緻里に強固に突きつけて、緻里に迫った。答えることができない問いであり、解くことのできない知恵の輪だった。そこに思純はいなかった。そして、よくよく考えると、思純との思い出は量としては大したことなく、質として特異なものでもなかった。でも確かに、どんな文学も愛に理由が必要だとは、決して言わない。理由を説明できる愛は、それ故に理由がなくなると解消される。
メランコリーは突き詰められ煮詰まって、緻里の一つの肯定的なアイデンティティになった。
緻里が目指した大学は「大学中心」。「中心」と呼称される大学だった。大陸との交易が盛んな島国の臨海部に位置する国立大学。大学の序列は高くないが、総合大学であることと、キャンパスの施設が定期的に新しくなることで有名で、全国から学生が集まる。
臨海都市はそのまま「海都」と呼ばれた。
緻里はその中心の一年に配属され、文学の研究を始めた。
中心で初めて話した人は一つ上の先輩だった。一・二年共通のゼミナールで、隣の席に座った人だった。
機識という男性で、発表の意見に重なる部分が多くあったことから、四回目の授業の後で軽くお茶をした。
機識は海都の出身で、街に精通していたから、二人はキャンパスを出て、街で食事を取ったり、本屋に行ったりした。
機識は美学哲学の専攻だった。
近代の哲学に詳しく、緻里が全く知らない分野の文献を渉猟していた。哲学は廃れて久しいが、海都の図書館には、大陸や欧米の近代哲学の文献がたくさん所蔵されていて、機識からすると天国だった。
「昔の島国の文献がさ、もう我が国の言葉では残されていなかったりする。でもそれが翻訳されて、大陸や欧米に伝わって、それがまた再翻訳されて逆輸入される。そういうの、考えるだけで涙が出るよ。歴史に価値があるって、心から感動するんだ。西田哲学、京都学派の文献なんて、もう我が国には残っていない。でも、命脈は保たれている」
緻里は、文学部で詩を学んだ。
詩は、島国にはもう音楽に載せるものとしてしか残存していなかった。散文と韻文の垣根が崩れ、韻文はほとんど見られなくなった。韻文という概念を習得するのに、緻里は一年かけた。島国と大陸の韻文を暗記し、情景を詩文から想像して膨らませることを、まるで潜水するように何度も何度も潜り、海面に戻ってきて呼吸するようなことを繰り返した。
大陸で学んだ基礎的な詩の理論が、島国の大学で、もっと簡単な形で授業になるのが、緻里には面白かった。
機識はしばらくすると緻里を家に呼んだ。
海都のマンションの一室。それは込み入った建築で、家具のしつらえ一つ一つにお金がかかっていた。
気の利いた形のグラスに、機識はアイスコーヒーを注ぎ、緻里に差し出した。「家人はいないのか」と緻里は尋ねた。
「いない。今は僕だけだ」
でも家族の気配はした。女の感性で選ばれた食器や調度があった。広いリビングの壁は一面書棚になっていて、国内外の文献で埋め尽くされていた。全てを機識が集めたとは考えにくい。目につくのは品のいい美術品や工芸品で、機識のことを知らないまでも、その品々が機識の集めたものではないことが何となくわかった。おそらく機識の父親が、その趣味に任せて蒐集したものだろう。
機識の部屋には壁一面のコルクボードに、文字や絵が貼られていた。
「趣味でね、お絵描きをするんだ」
緻里の体をめぐる血液が急にその流れを強くした。その部屋は確かに術式が施されていた。
大陸の術式とは異なる。でも確かにそこには科学では捉えられない、呪力が満ち満ちていた。
「入りなよ。なにも、取って食ったりはしない。僕にしては珍しく、人を気に入ってしまった」
「ここは……」
「どうした?」
「この絵は、機識さんが?」
「うん」
「どうしてこんなに、意味に溢れているんだろ」
「意味? 僕は何かを表現できてるかな」
機識は興味深そうに緻里を覗き込んだ。
緻里はその術式を解析しようとする。大陸式の解析方法は、言語がベースになっているから、機識の「芸術」を理解するのに及ばないことはわかっていた。でもそれでも。
人の顔が描かれた絵は、確かにこちらを向いている。それが緻里を見つめている気がする。
海の絵は、海洋を航行する巡洋艦を克明に描いているが、見たままの景色というより、機識が巡洋艦の仕組みを理解しているということを伝える。
裸婦像には様々な意図が忍び込んでいて、大学のキャンパスの建築は、その美しさが切り取られていた。
神社の絵もいくつかあった。社や鳥居、神社の鳥瞰図のようなものは、その空間の神を顕現させてさえいるような気がした。
機識は確実に神を把握している。
にこにこしながら、絵を紹介する機識は、天然なのか、意図があるのか、神に言及することはしない。
緻里に作業机の椅子を勧めると、自分はベッドに腰掛けて、海都の話をした。