三十七章《麻婆茄子》
「制約の言語回路」三十七章《麻婆茄子》
解析術式は方位や距離を正確に教えてくれる。計算が正確なのは、第二で徹底的に叩き込まれたから。
八百キロ先の北城市に、どうやって接近するか考える。
とりあえず、クラハにもらった車を走らせ、国境付近の町を訪れる。
大陸軍の戦車が駐留していた。欧州車は珍しいらしく、兵士たちに声をかけられる。
「どこから来たんだ?」
「戦争が始まるとは知らず、祭石から」
「祭石はすごいことになってたぞ。あれの報復だな、今回の戦争は」
(先にミサイル撃ったの、そっちじゃなかったっけ?)
「ん?」
「いや、何でも」
「しかしいい車だな」
「ありがとう。友達がくれたんだ」
「太い友達だな」
「そうだね。でも、雪国が可哀想だ」
「そうなんだよ。負けるはずがないぜ」
「それじゃあ」
国境付近の検問には、スッと金を握らせた。車の効果もあって、単なる金持ちと勘違いしてもらえたようだった。
「そういう感じなんだ」
不銘は感心したように言った。
「まあね。いまどき身分証なんて流行らない」
「これからどうするの?」
「故湖と福接を経由して、北城市に」
「うんうん」
「お昼ご飯どこかで食べる?」
「ナスが食べたい」
「麻婆茄子?」
「もしそれであれば言うことないよ」
「食堂に寄ろうか」
***
雪国で大規模な戦闘が起こっているはずなのに、雪国近くの小さな町「余永」は、特別なことは何もない、いつも通りの風景。
油と酢、醤油のにおいが緻里を迎える。
中華鍋で揚げ、炒め、焼く音がする。
緻里にとって十年ぶりの大陸だった。
緻里と不銘が会話をしていると、店員はチラチラと二人を見た。
最初は気づかなかったが、北城市訛りがここでは滅多に聞かれないからだと、緻里は後から知った。
麻婆茄子、甘辛だれのかかった鳥唐揚げと空芯菜の炒め物、豚の角煮、胡麻団子。
不銘は水を得た魚のように、皿を蹂躙していく。
唇が油にまみれてツヤが出る。緻里とニンニク臭い息を交換しながら、不銘は満足に浸る。
「お腹減ってた?」
「そう! よくわかったね」
人差し指で緻里を指す。
「旅行かい?」
店主がコトリとお茶のポットを置いた。
「ええ」
不銘が答えた。茶器に茶を注ぐ。
「この辺りはさびれたもんだったが、雪国侵攻の駐屯基地になるらしい。最近ちとガヤガヤしてる」
「楽しみだねぇ」
「軍人なんか来てくれても嬉しかねえよ。姉ちゃん、粋な言葉遣いじゃねえか。彼氏の方も。標準語っつうの?」
「まあね。でも北城市は中学までだよ。報道官みたいなカッチリした発音は、なかなかねぇ?」
茶に口をつける。
「彼氏の方はもしかして外人か? だとしたら標準語上手すぎるが」
「もしそうなら?」
「あんまり警戒すんなよ。警察に突き出したりなんかしねぇよ。姉ちゃんのとは違って、実にカッチリした標準語だ」
「ありがとう。北城市の中学に一年留学していたんだ。正統か我流かは置いておいてほしいけどね」
「余永には立ち寄っただけか?」
「僕らは旅の帰り道なんだ」
「雪国から?」
「そう。逃げてきた」
店主は笑みを濁した。
お会計を払って、停めていた車に乗ろうとすると、二人組の輩が車を囲んでいた。
「カネくれよ、カネ。持ってんだろ?」
ギャハハ、という笑い声が高らかと響く。女の前で恥をかかせてやりたい、あわよくば女を手にしたい。綺麗な車を傷つけるようなことはしないだろうと、弱みにつけ込んだ巧妙な手口。外車の持ち主には効くだろう。
店主はガラス窓の向こうからこちらの動静を窺っている。
「いくらほしいの?」
不銘は緻里を代弁して聞いた。緻里があまり口を開きたくない様子を、不銘は汲み取ったようだった。
「じゃあ一億ー」
「俺百億ー」
「何に使うの?」
不銘は重ねて聞いた。
「車買う。女も、女は金持ってねえとなびいてくんねえからな。お姉さんも彼氏が金もってっから付き合ってんだろ?」
「金で買える女は、たかが知れてるよ。金で人の気持ちが変わると思ってる人は、やっぱり金で変わっちゃうんだよ。どういう意味かわかる?」
「はあ?」
「あなたたちはゴミカスだし、ゴミカスに金を払う人はいないってこと」
流麗な北城市弁。煽り慣れている。
「ナメてんのか、おい。美人だからって調子乗ってんじゃねえよ」
「君たちに美人と言われても嬉しくないね。緻里、私って美人かな」
「さあ、どうだろう。ところでそろそろどいてくれないかな」
(どうだろうって何よ)
「金置いてけよ」
「車もな」
緻里は輩の機嫌をどうしても損ねたくなかった。
警察沙汰になれば、外国人の緻里には不利が働く。ただこういう一悶着は、慣れたものだ。
不銘が輩たちの相手をしているうちに、緻里は雨雲を十分に集めた。降る天気でもなかったはずなのに、ゴロゴロと雷が鳴り始めている。
ポタポタと雨が降ると、輩二人組は焦り出した。もともと本気ではないのだ。
大陸術式を使って雨を弾く。緻里はさりげなく不銘を濡らさないつもりでやったのだが、不銘も、輩たちも口を開けて驚いていた。
「魔術だ」
輩の一人が言う間にも、雨は強く降りしきる。
北の乾いた土地で、こんなに雨が降ることなんてない。それが緻里の魔術性を強める。
「なんで二人で傘入ってんだよ! ざけんなよ!」
緻里の胸ぐらに手が伸びる。緻里は軽くその手を弾いた。緻里の周りに渦巻いていた風が、触れることによって輩の体に移り、その体を飛ばした。四肢の自由はない。骨折したかと思うくらいの音で、弾かれた輩は吹き飛ばされ着地した。
「君もやるかい?」
残った一人は飛ばされたもう一人と緻里を交互に見て、こちら側に向いていた足を、重心移動によってあちら側に向け、駆けていった。
車に乗る。服に着いた雫を取るように、緻里は不銘にタオルを渡した。
***
故湖の町、北城市の北東五百キロの町に、緻里たちは逗留した。故湖の町は温泉が有名で、屋台も軒を連ねて、年中お祭りのようなところ。
緻里は、島国で両親が温泉に連れて行ってくれたことを思い出す。あの時は何が楽しいのかと思ったが、今、不銘と足を運ぶと、確かに楽しいかもしれないと、考えを改める。
旅館で服を洗濯し、その間に温泉に浸かり、上がった後は屋台で買った酒を飲んだ。
「ここ」
「ん?」
「ここ昔は色街だったのに」
不銘は旅館の窓から屋台の明かりを眺めながら言った。不銘は長い髪を乾かす。
「ねえ、耳掃除してあげようか?」
「いいよ」
「遠慮しないで。私耳掃除は上手いの」
「耳掃除に上手い下手があるの?」
「あるよ、ほらほら、お膝においで」
押し切られるように緻里は不銘に頭を預けた。
カリカリと耳の壁を掻かれると、くすぐったくて笑ってしまいそうになる。
温泉に入って温かい不銘の太ももは柔らかくて、下になっている耳が熱を持つ。
耳をふにふにと揉みながら、掻き出した耳垢を息でふっと吹く。
「こういう遊び、私好きだった。でも友達にも耳掻きしてあげたことはないよ」
「友達以上」
「知ってるよ、その後にはこう続く。友達以上恋人未満」




