二十八章《精神力》
「制約の言語回路」二十八章《精神力》
春の雷鳴は、雲を紫に染めた。「雷槍」が何本も降ってくる。
雷電が緻里の周りを漂う。
「雷鳴。名に恥じぬ」
影が線となり点となり刻まれる。
雷槍を突き刺す。ふっと司祭が消えた。
緻里は浮かび、周囲を見渡す。
雷鳴がとどろき、大粒の雨がポタポタと地面に痕をつける。
解析しても、何の手がかりもなかった。となると司祭の影は、彼固有の異能だということになる。
暗闇は、宙空で緻里のまとう電気網によって切り裂かれ切り開かれる。
パリパリと空気中で摩擦する音を立てる緻里の電気網は、それがそのまま藤宮島を照らす灯台だった。
暗闇に同化する司祭。影の中に潜む。
暗闇から影の斧が生成され、緻里の背後を音もなく切り取ろうとする。
空気に切れ目を入れる音を、緻里が聞き取れないはずがなかった。
「さよなら、雷鳴」
司祭は勝利を確信してニタリと笑んだ。
バチッとはじく音がした。鉄条網を越えようとする時の、生身の肉体の叫びのようだった。炭化した紙がボロボロと粉になるように、影が解体される。
「さ、さ、さ、さような、らぁ、ら、ら、雷鳴?」
「司祭、君は異能にかまけて、術式の探査・解析を適当にしている」
強い発光に目が眩む。緻里の背中は高密度の電気網。地上に降りた稲妻が、背中で捕まえた影の「中」に入り込む。
緻里の大陸術式が、正確に稲妻を操る。
電気が走る。神経細胞が身体中に電気信号を送るように、藤宮島を網羅する。
電撃の先端が司祭を捕える。術式と異能の組み合わせ。
「解析ができる術師なら、こんなものをまともに食らったりしない」
ジュウと肉が焼ける音がする。
雨の染みた地面だから電気が伝導するのだ。
声を出そうとしても、筋肉が痺れて思うように動かない。グガガガと、うめきが漏れる。
最後の総攻撃が緻里を襲おうとする。影が斧を振りかざす。濃密な闇から、緻里を囲む。
でもそれは、術式で空間を掌握した緻里には明らかなことだった。
放電。影を打ち払う。
緻里は、即興で編んだ探査術式で、司祭の居場所を特定する。反術式は打ち立てられなかった。雷槍が緻里の手を離れる。
感電する音。唾液がこぼれる。司祭は咳をしようとして体を蠕動させる。槍が刺さった肩からは、じんわりと、でも止まることなく血液が滲み出た。
「な、な、なぜだァ。なぜ影に戻れないィィィイ!?」
膝をついた司祭の前面に、追撃の雷槍をお見舞いする。
「影の中に光が走っている。影の中に影ができて、その中にも光が走る。光は無限に影を追い続ける。司祭、君のせいぜい一層の潜伏。そんなんでイキり散らかすなよな」
司祭に続く影にも、容赦なく雷槍を突き刺す。「光の護符剣」よろしく、司祭を縛り、動きを止め、何もさせなかった。
雨足が増した。
雷は止んだ。視界がブレる。もう一発刺しとくかな、そう思って、雷がもう手元にないことに気づく。「灯台」はふっと光を落とした。
意識が朦朧として、緻里は宙空から徐々に高度を落として、バサリと地上に落ちた。
(あれ? 僕はどうしたんだ?)
瀕死だった司祭は、電気網から逃れ、緻里の傍らに立って、その首を落とそうと斧を振りかざした。
(こんなところで死ぬのか?)
でも、意思に反して緻里の指は、一ミリも動かない。
「苦労しましたぁ、でもこれで私も、出世しますゥウ!」
パァンと銃声がした。水軸が正確に司祭を狙う。緻里は意識を取り戻し、影の斧を避けた。司祭にあっては苦手だという術式も、命を守るために、最低限は使われているらしい。
「はぁぁあ。私大変疲れました。痛み分け。さようなら。もう二度と来ません」
そう言いかけて、今度は司祭が倒れた。失血が一定量を超えたようだった。
「少尉! ご、ご無事で」
水軸の目は潤んでいた。簡単に銃で司祭にとどめを刺す。意識を失ってまで術式を走らせることはできなかったみたいで、「物理排除」の試みには、抗することができなかったみたいだった。
「軍曹、肩を貸してもらえないだろうか」
「もちろんです。雨足が強まってきました。風邪をひきます、中へ」
宿舎の中へ入る。符綴はすぐに医務室を開け、緻里を引き入れた。水軸は司祭の死体を処理しに、想守と一緒に外に出た。
緻里の異能とは関係なく、雨はしきりに降る。
「また、お世話になります」
「姐さん仕事ができて嬉しいぉ」
「ほんとすみません。なんでこんなふうになってるのか」
「わからへんの?」
「え?」
「緻里くん。人を殺すのには体力もだけど精神力もいる。それがわからんの?」
「わかりますけど……」
「あー、わかってない顔やわぁ」
手際よく熱を測り、あまりに高い体温に符綴は渋面を作る。「命を削ってる。ハイパワーで能力使ってたらねぇ、みんなぶっ倒れるもんなんやで」
「でもこんな、僕、高校生の頃は倒れたことなんて」
「緻里くんて、あれよね、昔の方がいろんなこと簡単にできたって思っとるよね」
緻里はうなずく。当然ですがという顔。
「高校生の頃なんて、無駄にエネルギーがあって、責任もなくて、守る人もいなくて、仲間がいて、一言で言うと子供! 子供なのよ! わからん?」
緻里は首を傾げる。思い当たる節がないらしい。
「葛藤がなかったとは思います。昔はもっとピュアだった、でもそれが……」
「複雑なものを処理するのに、単純な原理を用いることができるのは、紛れもない成長やと、符綴姐さん思いますけど」
緻里のおでこに手を当てる。「沸騰しているのかと思うくらい熱い」符綴は冷えピタを処方する。
「なんか知らんのやけども、異能って、精神力なんやろ?」
「考えたこともない」
「緻里くん。優秀な人というのは、常にメタ的な視点で自分を眺め、ギフトの意味を知って、なお研鑽する人のことをいう」
符綴は伊達メガネをポケットから出してかけ、ツルを整える仕草をする。
「そうかもしれない。嬢憂も、言雅さんもそうだった」
「女の子の名前聞くとジェラシーを感じるのは、うちが緻里くんに恋してるからやと思う?」
「いえ、多分そのジェラシーは気のせいかと」
「その中には緻里くんの姑娘の名前はない。ど? 図星やろ?」
「大切な名前なので」
「まあ、いい。寝とき」
***
少し自室へ戻った符綴は、肩や首を回し、目元を押さえ、深く息を吐いた。
メガネをコトリと置き、目薬を指す。
髪をほどき、もう一度結び直す。
日記帳に短いメモを取って、再び本棚に戻す。
給湯室でお茶を沸かし、その場でちびちび飲んで飲み干すと、湯呑みを洗い、それからまた医務室に戻った。
どんな話をしようかと楽しみにして扉を開けると、緻里はぐっすり眠っていた。
「寝てる」
幼い男の子の顔つきではもうないのに、可愛いと思うのは、緻里が見てくれに反して不完全だから。
ノックの音がする。扉を開けると、みんな緻里のことが心配なんだということが、わかってしまう。子楽と藍月が、顔を覗かせた。
「寝てる。大丈夫やで」
符綴は二人に笑いかける。二人はホッとしたように目をパチパチさせて、持ち場に戻る。
わざわざ医務室に来ないからといって、それが緻里を心配していないことを意味するわけではない。
死体を処理した水軸と想守は、今きっとシャワーで身を清めているところだろう。
深了は、今ヘリのメンテをしている。
符綴は本のページを繰る。外の雨音がいい音楽だった。




