二十七章《司祭》
「制約の言語回路」二十七章《司祭》
ふう。そうやね。符綴姐さんは、島国の西が出身で。それはもう、小さな町で。毎日田畑のそばを歩いて、学校まで向かっとった。
雨が降ればぬかるむ。風が吹けば凍える。雪も降る。冬は寒いのに、夏は暑かった。
まあ田舎やし、孤独なんて感じる暇も教養もありはしません。
家は一応堅牢な商家で、まあこの通り美人ですから、引く手数多だと、不思議な自信に満ちとって、ねえ?
小さな町に不足は感じひんかった。
高校の時は、姐さんずいぶんお高く止まってて、彼氏とかは(ほしかったけど)できません。
大学デビューを試みて、西都の大学に入ってすぐ、ある人と仲良くなったんよな。
第一都市出身の芸術学部の男の子。
サークルの新歓で知り合って、そのミステリアスさにもう参ってしまって。
連休の度に遊びに誘ってくれるから、やっぱ姐さん可愛いんや。そう思ってた。
その男の子は第一都市の、誰もが名前を知る町から、わざわざ西都に来て、なんかいろいろ理由がわからんかった。
でも、なんだかんだうちのこと好きなんやろって思いながら、意地悪とかしつつ、欲望を高めました。
素朴な仕草が好きやった。女慣れして手際がいい感じも、話しててめっちゃ良かった。
うちが冗談で、春画の画集の話をしても、困った顔で「そうだね」と、ね。くすぐり甲斐があるやんかー。な?
春の桜も、秋の紅葉も一緒に見ました。見ただけやけど。
第一都市に帰省して、また西都に戻ってくる時も、いつもお土産くれたんよな。
年賀状もくれた。デートもたくさんした。
でも、うちがいくら誘っても、部屋にまで寄ってくれることはなかった。
何かの線引きをしているみたいで、それが何なのか、姐さんわからんかったんよな。
焦らされているみたいで、やっぱ焦ったくなって、嫌いになった気がした。
疎ましくなって、冷たくして。
でもそろそろいいかなと思って、北風作戦を太陽作戦に変えようと思った。ちょうどランチに誘われて、告ってやろうと思っとったら、彼は言ったんよな。
「友達づきあいも、終わりでいいかな」
「はあぁ?」
「いや、なんか、符綴さんは僕が不満なんでしょ?」
「どうして……」
「たまに辛めの対応するじゃん」
「豚汁に七味はかけるやろ。アクセント」
「友達と話している時、アクセントはいらない。リラックスしたい」
「なんでじゃあデートしてくれたん」
「一人だとつまんないから」
「なにそれ」
なにそれ。なんなん? 理解できひんのやけど。勝手すぎん?
「気が気じゃないし、塩対応されると好意がかすむ。イラつくし、不愉快」
姐さんびっくり!
「いけず! そんなん好意の裏返し。なんでわからんの!?」
「試されるのは嫌いなんだ」
「なんなんそれ、なんなんそれ。ありえんやろ。心が凍っとんの? 雪だるまでも心はもうちょいあったかいわ」
誘ってくれるし、優しいし、うちのこと好きなんやと思っとった。
そんなことない。優しいだけ。
ちょっと緻里くんに似たとこある。思わん?
***
「『何かのため』という動機づけが浅い人はいます」
水軸はボソリとつぶやいた。
「どういうこと、水軸さん」
「符綴さんが好きだった人には、他の人にはわからない心の仕組みがあって、当人もそれを知ってか知らずか、人間関係に制約を設けるんです。親切なのに理由はない。本当に不可解なことですがね」
「言葉も行動も、タダだから」
緻里は言った。
水軸は笑った。
「それがまさに私が言わんとするところです」
タタンタタンと、符綴は指で机を叩く。
深了はラスを回避して心底安堵しているようだった。
緻里はカチャカチャと麻雀牌を整理し、箱の中に仕舞う。
「でも、その人のこと、今でも好きなんですよね?」
緻里は符綴に聞いた。
「そんなわけないやん」
微かな声、浮かべる笑みが、せりふと違う想いを吐露しているようだった。
もう夜も更けていた。
***
洋上の風は凪ぐことがなく、緻里はいつも胸一杯に呼吸ができ、心身が伸びやかだと思っていた。
気配がなかったから、通り過ぎた。通り過ぎても、何秒か反省するまで、存在を見落としていた。違和感も何も、知覚が揺さぶられないから、反省に至るまでにも時間がかかる。
夕暮れの紅が天上に広がり、水平線に太陽が没していく。
東から闇が覗いている。
最初緻里がその存在を見た時に、報告のない上陸した「お客さん」なのかと思って、曖昧に会釈し、向こうも、何の気負いもなくうなずいた。だから、もし何か違ったとしても、問題はないのだと緻里は思ってしまった。
その存在が、もし敵だったとしたら。……そう考えるのに、藤宮島はもってこいの場所なはずだったのに。
緻里が存在に背を向けた時、水軸が叫んだ。
「少尉!」
銃声がして、言語術式が展開し、存在が銃弾をはじく。
ニタァと唾液が存在の唇からこぼれる音の方が、銃声より大きいように緻里は思った。
「雷鳴。命拾い」
メガネをかけて、背が高く、とても色の白い、研究者のよう。
水軸は断続的に発砲し、緻里が場から離れる時間を作る。でも、緻里は釘づけにされて動けなかった。
存在の影から文字があふれかえる。長くなった影をつたい、緻里を文字の触手が接近する。それを水軸はどうすることもできない。
「緻里くん!」
銃声を聞いて飛び出した符綴に、その影の文字が標的を変える。たび重なる銃声。舌なめずりの音。
影が符綴を襲おうとする。符綴を飲み込む寸前に大風が吹いた。
符綴は飛ばされて大きく転び、白衣は土がついて汚れた。
緻里はじゃりと一歩進むと、存在に向き合った。
「なんて呼べばいい?」
「私の影に食われる。冥土の土産。司祭とお呼びください」
少し奇妙な文法だった。司祭-Si ji-。
「奴さんなんて言ってるんですか、少尉」
「司祭というらしい。水軸軍曹、みんなを頼む」
「緻里少尉はいつもそうだ」
「いいかっこしいだ」
振り返ることなく符綴は宿舎の中に退避した。
「扉の裏にいます。少尉、何かあったら」
水軸は大きな声で緻里言う。
「光は至る所で影を作り、その深い闇の中に真理を宿す」
影が伸びる。宿舎の影から離れるように、緻里は飛んだ。
飛べば追いかけてくるものはないはずだった。
カキンと金属同士が当たる音がした。緻里のすぐ後ろから、それと知らせるように。
飛んでも飛んでも、影がつきまとう。
夕日が落ち切ってしまえば、あたりは闇に包まれる。点灯する藤宮島の明かりは、頼りになるというよりはむしろ、影を作る素材になってしまう。
雲が厚くなる。
影は光と共にある。
雨を降らす雲は、夕日の光を遮り、地面を濡らした。
司祭がこちらを見る。
島に点在する電灯がともる。
雨が光を散らし、薄い影の陰影が、あたりに広がる。
雨を吸った地面は、影よりも濃く色をつける。
夕日の紅が、雲に阻まれて、静かに没していった。
暗闇が広がると、影も濃くなった。
そこがまるで繁華街かと思われるくらい、光が強く感じられた。
「懐かしいね」
司祭は切先を止めた。
「何が、懐かしい?」
「氾濫する光と、深い暗闇については、僕も考えたことがある」
「大都市に与えられたことが、懐かしいのか?」
「そうかもしれない」
噛み合わない会話。
緻里の息の根を止める影の剣が、後ろから緻里を串刺しにしようとする。
(音もない。一瞬だ。苦しまない。さようなら)




