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二十六章《三味線》

「制約の言語回路」二十六章《三味線》


 藤宮島に客が来た。


 自動防衛システムの保守点検。


 それと時を同じくして、弾薬や食料も補充された。


 艦隊旗艦の副司令、派鶴はづる中佐も藤宮島に降りる。


「まるで戦艦だな」


 派鶴は言った。


「時代遅れということでしょうか」


 緻里は言葉を弄する。


「でなければここはなんだ?」


「領土でございます」


 緻里はあっけらかんと言い放った。


 四十歳前後、海軍士官学校の出で、少し濃い顔をしている。浅黒い肌。実戦もかなりやるらしい。若い頃にたくさんの武勲を残しているとか。


「戦艦と領土の違いは?」


「戦艦は敵には渡りません。沈められるだけです。領土は沈みませんが、それゆえに敵の手に渡ることがあります。戦艦はチェスで言うところのルークですが、領土は飛車にあたります。戦艦がお好きですか?」


「緻里少尉。君は出世しない」


「もとよりそれを望んでいるわけではありません」


 芝居がかった口調は板についていた。わざとらしくもあり、本心はあくまでも隠されていた。というか、上官との会話に本心なんか介在する余地などないのだ。


「死に場所を探している口か。迷惑だな」


「誰よりも殺すのですから、迷惑はかけません」


「誰よりも殺す者は、誰よりも仲間を守る。君を慕う人は多くなる。君が死んだら、悲しむんだよ。仲間も勘定に入れるんだな」


「中佐は、誰のために戦っているのですか」


「厳密には、誰のためでもない。それが職業として私に与えられただけだ。国民のために戦う者は、国を嫌いになれば、理由を失う」


 ふうと、派鶴は息を吐いた。「少尉は内部に矛盾を抱えている。その矛盾を抱えている間が、君の成長の時なんだろう」


「恐縮です」


「君は出世しない。君の発言は耳が痛いよ。身につまされる。私のように杓子定規ではない。戦艦だろうと聞けば、そうその通りと答えるのが、君の役目だと、勝手に思っていたよ。老害だったな。そうでしょうかと、意見を述べる者が、意見を述べる者だけが、真理に近づけるというのに」


 緻里は派鶴を案内して、新しく入った食材を調理した昼食をともにした。藍月も同席し、事務的なやり取りを交わした。作成した予算と装備目録のレビューを受ける。


 緻里も聞いていたが、藍月が深いところまでこの藤宮島を知っていることがわかった。藍月の事務処理能力に、緻里は舌を巻く。


 明解な表と、適切な説明文。


 それを作った藍月は、それを本業と思っていないように見受けられる。


***


 藤宮島の図書室と呼ばれる場所で過ごすことに、藍月は休憩時間のほとんどを費やしていた。


 文学全集。それは職務とはなんの関係もないただの文学。徹底して文学だった。


「哲学全集はないの?」


「懐疑は心を腐らせます」


「懐疑の対義語はなんだろう」


 緻里は藍月に聞いた。


「肯定です。肯定は常に具体的な生活に規定されます。懐疑は吟醸のようなものです。香りだけで内実がありません」


「肯定に自足する者は、安易だと思わない?」


「緻里少尉は、天邪鬼でいらっしゃる」


 緻里はそう言われてくすぐったかった。


 実際の立場や信条からすると、藍月は「哲学・懐疑」に奉じ、緻里は「文学・肯定」を旨としていた。


 互いの信条をメタ的に捉え、相対化するのは、一種の遊びだった。その言語遊戯は、まだ藤宮島が「健全」であることを証明している。遊びの余地がまだ残されている。深刻さをありのままに受け止めることに対して判断を中止するアソビ。生きることに真面目になりすぎると、その一見誠実な態度によって身動きが取れなくなる。だから遊ぶ。


 図書室は小さな本屋のようなつくりをしていた。壁の周りに背の高い書架、中心に背の低い書架が設置されていた。


 哲学全集はなかったが、哲学の読み物は何十冊もあった。


 向かい合わせになった二席の閲覧机は、ライトが備えつけられていた。


 図書室にはいつも人がいた。藍月の勉学への熱量に感化されて、読みたかった本を、あるいは知りたかったジャンルの本を、自然に手に取った。


 藍月の前の席に座る。ライトをつけても藍月は一言も言葉を漏らさない。でもそれは、無視しているのとは違う。読書する者への敬意の表れだった。


 コトンとコーヒーのマグの底が音を立て、少しきまりが悪そうに、すみませんと言う。その時初めて藍月は笑顔を見せるのだ。


 そういう姿は粋とは少し異なる。難しいことを簡単にやってのけるのとは違う。でも、本人は遠くへ行こうと思っているわけではないのに、藍月の知的枠組みは際限なく拡大し、歩みは強く速くなっていた。


 藍月を見ていると、緻里は自分がいかに軽薄な道を歩んできたかを思い知らされる。


 嬢憂も言雅も、緻里のその点を強烈に否定したのだ。


***


 深了の前の席に座って食事を取っていると、嗜みごとの話になった。


「大学にいた頃は」努めて言雅のことを思い出さないようにしながら「チェスを友達とやっていた」と言った。


「麻雀は?」


「小さい頃ネットで」


「お強いんだ」


「さわりだけ」


「ここではよく想守くんと符綴ちゃん、あと私の三人で」


「三麻」


「子楽ちゃんと藍月くんはどうやら禁欲しているみたいで」


「深了さん、結構のめり込んでいるね」


「まあね。どう? 四人でやるの久々だし」


「いいですよ」


 食事が終わると食堂に麻雀牌が用意される。四角く縁取りされたフィールドが机の上に置かれ、洗牌する。サイを振る。


 想守は当番で司令室に。代わりに水軸が、タバコを吸いながらでも良ければ、と言って参加した。


 コックの博歳が、各人に飲み物を用意する。水軸にはコーヒー。符綴にはサラトガクーラー。深了にはホットココア。緻里にはスパークリングザクロジュース。


 氷がカランと音を鳴らし、それぞれのどを潤す。


「なんやぁ、ツモ冴えんよお。こんなんで勝てるわけないや(ん)、それロン」


「符綴ちゃん、殺意湧く三味線やめて」


「三味線ちゃう。これは冗談なんよ」


 符綴は深了から八〇〇〇を上がる。


「まあ、深了も悪いな」


 ぼそっと水軸は分析する。


「ダマテンの八〇〇〇とかわかるかよ、次つぎぃ」


 放銃したのに、深了は楽しそうだった。


「何か音楽をかけましょうか」


 博歳は音響機器を操作して、昔のゲームミュージックをかけた。弦楽器が主体の短い曲が、何曲も連なっている。歌は入っていない。誰も知らないのに、なんとなく聞いたことがあるような、ポップなもの。


 音楽がかかってからは緻里が好調だった。ザクロジュースの氷が溶ける。ココアもコーヒーも冷めてきた。


 符綴は放銃こそしないものの、煽った煽りを受けてか、ツキは下降気味。


 タバコの本数がこの半荘で五本を数える水軸は、一回大きく上がっている。一二〇〇〇。


 深了はよく鳴く。役牌は鳴けるならとりあえず鳴くといった感じ。


 どら焼きが四人分机の上に置かれる。博歳はプレイヤーの飲み物をつぎ足し、新しくする。そのおかげで緻里は、濃いザクロスパークリングを飲める。でも、盤面に集中していて、博歳のさりげない気遣いに気づかない。


「なあなぁ、緻里くん。賭けません?」


「なにを、いきなり」


「ただのお遊戯でいいん? 半荘四回で、ラス引いたら」


「引いたら? って、私、今、ラスじゃん」


 符綴のせりふに深了は呼応する。


「うーん、恋バナとかかなぁ?」


 しんとなった。みんなそれぞれに思い出すことがあるらしい。「せっかくやしね。みなさんのことよく知りたいと、符綴姐さんは思うわけですよ。あ、話したくて話したくてたまらんからって、わざと振り込むのはなしやで。あー、緻里くんの恋バナ聞きたいなぁ」


「符綴さん経験豊富そうですよねー」


 棒読みする緻里。お互いに目を合わせない。打牌にも力が入る。お遊びが一転……してもやはりお遊びだった。

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