二十四章《偽》
「制約の言語回路」二十四章《偽》
波の音で目が覚めて、夜の藤宮島の直上に浮かぶ満月を仰いだ。
雲の遮りがないブルームーン。
外の空気はひんやりとしていた。
タバコのにおいがした。
入口から少し離れたところに、水軸がいた。煙が縦に伸びていた。水軸は少し会釈すると、視線を外した。
「緻里少尉も、吸われますか?」
「ありがとう。吸うことはあまりないのだけど、いただくことにするよ」
タバコを手渡すと、水軸は手ずから火をつけた。
「眠れませんか?」
「いや、たまたま目が覚めただけだよ」
「遠くに艦影がありますな」
「もう、どちらのものであっても気にならないよ」
「命は大事にせねばなりません。同じ人であっても、今回ばかりは敵味方の区別をつけなければ。緻里少尉は、やはり上流なんですな。そんな余裕は私にはありません」
緻里は曖昧に笑み、タバコを吸った。
「敵だと思うなら、北城市は焼かなくてはならない。若者を根絶やしにして、子供を殺さなくてはならない。でも胡適が言うように、殺し切ることはできない。アウシュヴィッツの後でさえ、ユダヤ人はイスラエルを建てることができた。民族の根絶なんてできるはずがない。戦争は無意味だよ」
水軸はしばらく考えていた。緻里の口上は、特別なことでもなんでもない。それが上官の「底」かと値踏みする。
「それは、もし民族が根絶できるなら、戦争を肯定するということでしょうか?」
「そうだね」
水軸は目を見開いて緻里を見た。
「驚きました。緻里少尉は、平和主義者ではないのですね」
「戦争のあり方によっては、戦争を肯定する。でも現実の戦争は肯定できない。これって不思議かな」
水軸はうなった。
「それは、大学で学んだことですか?」
「そうだね。味方を守るために敵を殺すということだけだったら、耳触りはいい。でも、敵を殺したら、敵も味方を守るために僕たちを殺す。そうして、僕たちも改めて味方を守るために敵を、……ねえ? 『鋼の錬金術師』でも『掃討作戦』ってあったけど、掃討するんだよ。殺し切るんだよ」
「本気で言っているんですか?」
緻里の口から出てくる言葉一つ一つは、新しくもない文句だ。でも出てくる結論が、大きな逆説を孕んでいる。
「自分の命が一番大切なんだ。僕が死んだら僕を知っている人が修羅になるかもしれないから。それは、自惚れじゃないよ」
「わかります。もう一本いかがですか?」
灰皿に吸い殻をねじ込むと、緻里は水軸のタバコをくわえた。
「水軸さん、装備はある?」
火をつける前に緻里はタバコをポケットに入れた。
「拳銃だけ」
「充分。僕のサポートをお願い」
「警報は?」
「夜だよ、寝かしておこう。よろしくね」
***
パラシュートで降下する敵の人数は十人に上る。
いきなり横から大風が吹いて、ブルームーンは雲の中に隠れた。
トランシーバーに緊急事態を告げる。その声は緻里に筒抜けだった。大陸語。
「ビンゴ」
パッと照明弾が上空ではじける。水軸の援護は実にありがたい。
風でパラシュートを海の方へと流す。
雲に亀裂を入れるように、緻里の作り出した稲妻がゴロゴロと雷鳴を起こす。稲妻の青白い閃光が走る。
地面近くまで降りてきていた兵は、パラシュートを切って着地する。その二、三人が緻里に注目し、ライトを当てる。その光線が水軸の恰好の標的になる。何発かの銃声とともに、着地した兵は少なくとも負傷。
今日は何もなければ凪だった。それを狙って敵も上陸を目指したのだろう。
小型の姿勢制御装置を背負っている。緻里はムッとする。
海上でパラシュートの紐をかまいたちが切る。
暗闇の中、何が起きているのかわからない大陸の兵たちは、戸惑いからくる呪詛を吐き捨てながら、空より暗い海の中に没していく。
緻里は、最後のパラシュートに接近する。
敵はこちらに拳銃を向ける。
体をひねっても正対できないポジションで、緻里は後ろからトランシーバーを奪い取る。
「なに、を!?」
「「「現在地上戦開始。敵異能者を殺害。障害なし、島制圧作戦に移行を進言します」」」
緻里はそれだけを吹き込むと、呆然としているパラシュートの兵の肩をつかみ、「さようなら」と告げた。
十人ばかりいたはずの敵落下傘隊は散り散りになった。敵は藤宮島を制圧したことになっていた。
司令室に入ると、すでに勢ぞろいだった。
「「「敵司令室制圧」」」
「「「敵司令殺害」」」
「バカな!? 現在海上に漂りゅ」……ザ、ザー。
「「「第一次作戦、成功」」」
緻里は流麗な大陸語で偽情報を生成していく。
電波帯を特定した子楽は、落下傘隊の生き残りの通信を傍受・阻害する。
傍受した通信からは、大陸が海軍戦力を投入すること、作戦開始時刻は夜明け過ぎであることがわかった。
散らばっている海域の大陸海軍戦力が、集結して藤宮島の周辺を海上封鎖しようとしている。
子楽は傍受した通信内容を、緻里の力も借りて、島国の作戦司令である荒京大佐へと送信した。
藤宮島を巡る作戦が、大きく舵を切った。
***
藤宮島は対空要塞。砲門が自動的に敵の爆撃機を撃ち落とす。敵の懸念点だった。
「「「対空装置、停止完了」」」
緻里の偽情報を合図に、緻里は通信を切って飛び立ち、残りの藤宮島の面々は地下へと退避した。
夜明け前、戦場には数隻の敵の巡洋艦と一隻の大型空母が展開していた。
航空機たちは、制空権を取るために、対空装置の停止を根拠に空母から発艦した。
藤宮島地下では、航空機に対して対空ミサイルを発射する。
揚陸艇も藤宮島に向けて懲りずに送られてきた。
ミサイルが空気を切りながら、敵航空機を撃ち落とす。一機だけにではない。何度も何回も命中する。藤宮島の防空圏が維持されていることを知った航空機は、急いでその圏域から退避しようとする。高度を上げ、雲の中に隠れる。
その雲には緻里お手製のイカズチが伏在している。大きく育った氷のつぶてが航空機の装置に影響を及ぼすだけでなく、「電撃の女王蜂」が金属に伝導し、電気系統をバカにしてしまう。高電圧がかかり発火する。
赤らんでいた空が白んでくる。
「おいおいおいおい、今日は簡単だって言ってたじゃんかよー、おいぃ。俺様の出陣、成功体験の反復、帰ってからのお楽しみ、何もないじゃんか。おおぉい。雷鳴。こんな辺鄙なところに左遷されて、そうやってまた武勲を立てて、中央で女の子としっぽりやる。いいご身分だなぁ、ああん?」
「僕のことを知っている?」
「有名だ。第二の雷使い」
緻里は久々に大陸語の術師を見た。
複雑な文字、呪文が彼の周囲を十重二十重に囲み、浮遊すらも可能にしていた。
二十半ば。緻里と同い年くらい。傲岸不遜だが術の精度は自己評価に劣らない。
「名前は?」
「俺は子爵-Zi jue-」
「よろしく」
「よろしく? 今から俺に殺されるやつが、俺とよろしく? 第二だからって調子に乗んなよ。殺すぞ?」
頭悪そうなのは多分みてくれだけだ。そう思うことにした。
緻里はふわりと体を持ち上げる。
雨が降り始める。
「雨乞いとか、そんなチマいことで」
空間に展開した子爵の術式に、フィールドの性質を変えて働きかける。
冷気を下ろして、雲を厚くする。
子爵は雲の中に入ったことに気づかない。そこは緻里が全てを認識する空間圏で、視界が遮られ、気温が下がり、冷たい雨が降る。
子爵の術式が、彼の体温を高める。爆発的なエネルギーを感知する。子爵の術式が生成し展開する過程に、緻里は負の効果を生む術式を滑り込ませる。
ぽふ、と可愛い音がして、火薬が不完全燃焼する。
「どういうことだよ、おいいぃ。雨乞いがぁ、こんなこと、うううおおーぃ、まあ、どうでもいいか」




