二百二十五章《禁忌文書》
「制約の言語回路」二百二十五章《禁忌文書》
図書館に新着禁忌文書が入ったと聞き、姫離はなんとかそれを読みたいと思った。
最近開示された公文書で、外国人に見せるのは禁止されていた。
緻里。
府月の卒業生で、海都でしばらくの間軍務に就き、第一学府で教鞭を執った大陸語の堪能な軍人。
風を操る異能があったというのは、府月の中では伝え聞いているが、それとて何十年も前の話。伝説的なものでしかない。
島国の軍事情報は、ほとんどの場合秘密文書になっていて、大学の研究者もアクセスできない。
月雪が政治家になったのは、その文書にアクセスするためだという噂があるが、おそらく三割くらいは事実だろう。
悩ましげに腕を組んでいると、飛海がシャワーから出てきた。
「どしたの? 生理?」
「それもある。でも悩んでいるのはそれだけじゃない」
「教えてよ」
「禁忌文書にアクセスしたくて」
「ああ、軍務記録?」
「そう。フェイも知ってたのね」
「ここ」
「?」
「慶宮市は、秘密停戦協議が開かれた場所だから」
「??? なにそれ?」
「知らない?」
「全然知らない」
「昔、フランスで停戦交渉が始まる前に、複数回に渡って停戦協議が開かれた。慶宮市に、陸島の実務者が集まって」
「島国は本当に情報が制約を受けているのね」
「これは伝え聞いたことだけどね。実際に見た人はいないけど、複数回慶宮湖国が不自然に貸し切られたって。昔の人はそれを停戦協議と見たんじゃない? 伝説かもよ?」
「慶宮湖国で?」
「どうしたの?」
《お父さんが昔、慶宮湖国に来たことがあるって……》
姫離は咄嗟に島国の言葉でつぶやいた。首を振る。
「姫。私も少しは島国の言葉で、わかるんだけど」
「隠すほどのことでもないし、そろそろかさぶたが剥がれる頃よね」
姫離は自問自答を質問の形式で飛海に投げかけた。疑問が渦巻いている。
「禁忌文書の何が知りたいの?」
「緻里について」
「緻里?」
「私の高校の先輩だから」
「緻里って、すっごい頭が良くて、エリートで、大陸語も堪能なんでしょ?」
「私もそれくらいしか知らない」
「ふうん。姫、そんなエリートと同じ高校なんだ」
「私は落ちこぼれ。向こうは天才」
「はいはい。ご謙遜どうも。でも、私もたぶん弾かれる。私が姫離と仲がいいのはよく知られている」
「なんとかして手に入らないかな」
***
禁忌文書が公開されて、何人かの研究者が図書館を訪れて、禁忌文書の閲覧をした。
重山の島国研究室を通じて閲覧申請がされることを突き止めた姫離は、搦め手を使った。
フェイ親分の知り合いの、島国の研究室の学生に、ちょっとした噂を流したのだ。
「そういえば、今重山に留学している島国の姫離さんは、緻里と出身高校が同じらしいですよ」
それは、閲覧しに来た研究者の興味をそそるものだった。
姫離に研究室の教授から直々にメールが来た。
「少し、話を聞かせてくれないか」
***
歴史というのは、一望的に見えるからこそわからなくなる。大きな潮流を背後に見ることはできても、なぜか表で動いていたはずの一人一人の動きが消えていることは実によくある。
禁忌文書は、緻里の供述を詳細に記録していた。
大陸語を話す軍人の捕虜は、いかに緻里が強力な敵だったとしても、大陸側では「削除」することができる存在ではなかった。
なぜなら緻里が和平交渉のための有用なピースであることが、大陸側にはよくわかっていたから。
緻里が「府月」出身であるからというのが、島国の専門家の共通認識であり同情の源泉でもあったからだ。
「あの時の《府月》というのは、どういうところだったと思う?」
研究者は姫離に聞いた。音声記録には研究者と姫離の声が残っていた。
「府月は戦争が始まるまでに複数人の留学生を大陸に送っています。現在でも第二との交換留学が行われていることは、ご存知の通りです。でもそれが、本当に両国の関係を支える橋であったとは、現在まで誰も本気にしていませんでした」
研究者はメモと質問リストを目で往復させながら、質問を重ねた。
「それが陸島の安全保障だといった見解について、第二や府月は自覚的だったかな?」
「確実に自覚的です。それが教育機関のすべき安全保障政策の中心です。コスモポリタンの存在は、ナショナリズムを抑制するだけではなく、真の愛国者を育てます。島国を知った大陸人は大陸を、大陸を知った島国人は島国を深く愛する。それは必ずと言ってもいいと思います。緻里のペイトリオティズムは深く、とても忠実でなおかつ矛盾しているようですが大陸を深く愛していた」
姫離は嬢憂の語った記録を抜粋して研究者に渡した。
嬢憂は緻里を愛した女だった。彼女の愛をもってしても、緻里の大陸への志向性を止めることはできなかった。
「その言葉の裏にあるのは、大陸を知った人しか、大陸人を本当に殺すことはできない、島国を守ることはできないということです。軽薄な蔑視でも、単なる外国嫌いから来る敵愾心でもなく、愛ゆえに他の人の手で殺させたくなかったという強い想いが、緻里の言動からは読み取ることができます」
「戦争を止める方向に、力を尽くすことはなかったのかな」
「緻里がその時何を語ったのかは、私にはわかりません。島国には私のアクセスできる情報はないんです」
「もし、大陸を愛していたなら、なぜ島国を憎まなかったんだろう?」
「おそらく、島国も同じくらい愛していたのでしょう」
「姫離さんは、島国と大陸のどちらをより愛しているなんてことはありますか?」
「この文脈で、私が思うことは一つです。私はこの重山大学に、緻里と同じような立場で来ています。今、府月では大陸語を必修で教えています。それは、戦争を嫌い、もし戦争になったらそれを最前線で責任を持って止める人材を育成するためです。私たちにその役目があることは、大人になるにつれてわかります。先生はそれについて何も言いません。私たちには必ず、じきにわかるということです。言語教育というのは大きな安全保障ですから。胡適がアメリカに行ったように」
研究者はため息をついた。
「では、最初の質問に戻ります。府月は、どういう理由でそういう教育政策を自発的に行っていたのですか?」
「あるいは第二は、ということですね?」
研究者はうなずいた。
「そうです」
「知ることは力だからです。あるいは知らなければ無力だからです。聞いていいですか?」
姫離は気をつけて茂みに分け入った。
「なんでしょう?」
「緻里は大陸の戦争政策にどれほどの影響を、与えたのですか?」
「わかりません。とりあえず私に言えることは、いろいろなところで緻里の名前を見かけるということです。しばらく文書の複写などで重山大学に通います。姫離さん、またお話を聞かせてください。もしよければ府月の話を」
「よろしくお願いします、紫爵先生」




