二百二十三章《島国的》
「制約の言語回路」二百二十三章《島国的》
助けて欲しいのだと、飛海は言った。
その気持ちはよくわかる反面、飛海が本当は助けて欲しいわけではないと、姫離にはわかった。
何もしたくないのだと、飛海は叫んだけど、そうではないと姫離はわかっていた。
助けて欲しいというのは、逃げたくないという気持ちの別の言い方だ。
逃げられないことを知っているから、試みに「助けて欲しい」と言ってみる。
本当に助けて欲しかったら、人はこの世からすぐに滑落する。
助けてくれることなんてないと知っているから、飛海は姫離に助けて欲しいと言ったのだ。
「姫は何もかも持ってるのね」
「本当にそう思う?」
「違うの?」
「なんにもないよ。何も持っていない。世代の力は多少の差こそあれ横並びで、能力も富も大した差を生まない。体が地球に釘づけにされているという点で、フェイと私に違いなんてない」
「私に、わずかばかりの力があれば、姫にだって負けないのに」
「少なくとも喧嘩は強い。迷いがなかった」
「そんなところで負けられるのも、たおやかだよね」
姫離は喧嘩で掴んだ飛海の髪をくしですいた。
髪を編み、持っているゴムで結いた。
薄く細い飛海の髪は、クセがなくサラサラとしていて編みやすかった。
「姫、慣れてるね」
「お姉ちゃんがいたから」
「優しいね。私、姫にお返しできることないよ」
「最初、家に連れていってくれたの覚えてるよ」
「私の家には愛しかない。力がないから、お母さんはずっと私を守ってくれた。だから今度は私がお母さんを守るんだ」
「フェイも、とても優しいと思う」
***
最初はさ、と飛海は言った。
「最初はさ、島国の女の子って聞いてなかったから、普通に大陸のお嬢様なのかと思った。島国の女の子なんて、世界に存在していることすら忘れてた。戦争をした国だし」
「実際に会ってみてどうだった?」
「最初はなんかよくわからなかったよ。島国の典型とも、女の子の典型とも思えなかったから」
「とても光栄」
「そうね。でも不思議と、姫には惹かれた」
「守ってあげなきゃって?」
「うん。姫を守るのはフェイだって、男に盗られたくなかった。それが、私が姫に助けて欲しいっていう理由だと思う」
「?」
「好きなんだと思う。だから、好きな人に助けて欲しいって、叫んでみたかった。姫は外の人で、この街に対してしがらみもない。慶宮市は世界で一番人口の多い都市だけど、でも姫みたいな人は一人もいない。もし私が男だったら、姫のことを忘れられない、特別な人だって思うはず。女としてでさえこうなんだから」
姫離は笑った。
「私は、雰囲気だけだよ」
謙遜とは少し違う斜に構えたせりふは、姫離を極めて島国的に見せた。飛海にその態度の本質は、たぶん一生かかってもわからない。「私と誰か男の子が結婚して、その男の子はどう思うかって、きっとすぐ呆れるか飽きるかする。私は取り立てて面白い存在ではないし、無条件に誰かを愛したりはしない。最初に思った興味深さみたいなものは、すぐに退屈に変わる」
飛海は肯定も否定もしなかった。飛海は心中半分くらい同意していたが、それが姫離のお家芸「誇張的表現」だということにも、ある程度勘づいていた。
「ねえ、姫。女は面白くて興味深い必要があるのかな。素朴に男の子を愛しているだけじゃダメなのかな?」
「愛が立脚する場が愛である限りにおいては」
「でもそういうものじゃないの? 純粋な愛以外に何が必要なの?」
「わからない。でもたぶん、多くの男の子は愛について女の子ほど真面目に考えていない」
「可愛いは正義?」
「男の子の世界観は私にもよくわからない。でも、最初から完成された愛なんて、存在しないように私には思われる」
飛海はしばらく考えた。
「それはすごい魅力的な考え方ね。私の欲望と期待、両方を打ち砕く。見事としか言えない。あれでしょ、形成することを以て是とし、存在に関しては価値を見出さない。それってすごく島国的ね」
「ごめん。フェイ。それは皮肉?」
飛海は無表情で、姫離はそれがじんわりと面白かった。飛海が表情を持たないことは滅多にないことだし、なによりそれは真剣なディスカッションの後にもたらされたものだった。
皮肉ではない場合の方が、ことによると多く、心情の吐露として「島国的」という言葉が出た。それで姫離の何をも攻撃する意図はなかったけれど、言葉の選択は部分的にアイロニーを含んでいた。
「皮肉ではないよ。でも、私は驚いているの。完成系みたいな女の子が、完成するまでの過程に言及するなんて、なんかスカしてる」
今度は喧嘩にはならなかった。姫離がむにぃっと飛海の頬をつねって、それで終わりだった。
「完成系なんかじゃ全然ないよ。居着いたらそれで終わりって内田樹言ってたし」
「誰それ?」
「昔の人」
「居着くって何?」
「現状維持、変わらないこと、物語化」
「物語化?」
「自分を肯定するための自分の歴史の歪曲」
「ほんと、島国らしいね。誰もそんな正しさを要求してないよ」
「そうかもしれない」
「姫は、なんで言い返さないの?」
「言い返さないことで示しているのは、不満じゃないよ」
「じゃあ何?」
「両論併記が一番現実に適していると思ってるの」
「逆じゃない? 両論併記は現実にそぐわないよ」
潤んだ瞳の飛海が覗き込んだ、虹彩の溶け込んだ姫離の眼は、深い夜のようでどこか寂しげだった。
それはまるで他者に何も期待しないのに、ごく当たり前のように世界に生きていることをやましいと思っている姫離の荒涼とした世界観の表れだった。




