二百二十章《政治》
「制約の言語回路」二百二十章《政治》
島国の言葉で挨拶をする明月に、姫離は落ち着いて家族を紹介した。
明月の自然な島国の言葉に妃君は驚いたが、お淑やかなその姉は決して姫離の邪魔をしなかった。
楽に話している妹を見ると、似合いなような気がしてくる。
簡単に話した後、明月は軽快に去っていった。
「緊張した?」
姉の質問に姫離は無言で肯定した。
食堂に向かう途中の道でも二回、食堂でも一回声をかけられた。アニメ同好会の仲間だったり、飛海の友達だったりが姉妹のチャイナドレスを目に留めた。
妃君がうずうずと話したそうにしていて、英語で話しかけると、みんなあわあわと英語は話せないと伝えてくれるよう姫離に助け舟を求めた。
「英語くらいできるでしょ、高考の点数知ってるよ」
「そういうことじゃないの。こんな美人と英語で話すなんてきまりが悪いの。お姉さん?」
「そうだけど」
「なんのアニメが好きなの?」
「お姉ちゃんはアニメを見ない」
そそくさと退散するアニメ同好会同士。
姉はしょんぼりしている。
「この火鍋、美味いな」
父は蚊帳の外なのを理解しているようだった。
***
図書館や構内のお土産コーナーを見て、姫離はテディベアを買って妃君に押しつけた。
卒業の時に買うものだが、妃君がここに来ることはもうないだろうから先渡しだった。
寄った生協の書店で父が一冊本を買っていた。建築写真集で、父の趣味の良さを物語る例としては最高の部類だった。
「お姉ちゃんは?」
「装丁のいいものだったら」
「じゃあ『論語』は?」
「いいかも。流石に読んだことある」
姫離は『論語』を買い求めると姉に渡した。
姉はそれを荷物持ちの父のクラッチバッグに入れた。
寮の部屋には入れないルールだったから、姫離は飛海を電話で呼び出した。夜更かしして寝ていた飛海は、寝癖をつけながら下に降りてきて、人好きのする顔で挨拶をした。
「いやー、姫離は美人だなぁって思ってたけど、おねーさんもすごいっすね。その旗袍どこで買ったんすか? どもども」
飛海が英語で話してくれたのをいいことに、妃君はここぞとばかりに妹のことを聞いた。
「寝ている顔が尊くて」
「そう。それよね!」
わいわい盛り上がる飛海と姉。
「うまくやってるんだな」
父が姫離に言った。
「ほとんど飛海のおかげ」
そのせりふに父は満足そうに笑った。
カフェスタンドでタピオカドリンクを買い、古寺が近くにあるからと飛海が案内してくれた。
飛海の使う英語はとても実用的で、発音がわかりやすく、妃君はとても感謝していた。
飛海はしかし、妃君の使う英語が流麗すぎるが故に、たまに文脈を失ったり、単語を聞き直したりしていた。でも概ね効率よく情報は交換され、複雑な内容に行き着いている。
姫離は英語が苦手なので、途中から父と話していた。
石段を歩いて上がり、小さな古寺に突き当たる。
「こんな小さな寺ですら、一千年の歴史があるそうで」
飛海が言う。
「廟ではないのか?」
姫離の父が聞くと、飛海は自信を持って「これは仏寺です」と答えた。
緑と石の配剤は島国にもあるのに、雰囲気が全然違う。霧が降りていた。
そこから少し歩いたところに、カフェがあった。飛海は用事があると席を辞し、三人は中国茶を回しながら、焼き菓子を食べた。
「いつ、お父さんは大陸に?」
「いつだったかな」
姫離は、そのせりふが「論理的に考えてあり得ない」ことに気づき、ハッとした。頭脳明晰な父が、たとえ小さい時の話であっても忘れているはずがない。
「楽しいことじゃなかったの?」
姫離は聞いた。そのせりふで、妃君も勘づいた。
「楽しくもないし、つまらないわけでもない。ただ、そういえばここに来たことがあったなと。それが、勘違いでなければ」
父は平板に言葉を延ばした。
「お父さん、大陸語話せるでしょ」
姫離は言った。父は曖昧に笑った。外は雨が降っていた。まるで新聞紙みたいな灰色の景色だ。その中で緑がよく映える。
「姫離を口実にしたわけじゃない。娘に会えるのは幸せなことだ。君が元気そうでよかった。ただやはりそのことがこの慶宮市の石畳ですれ違った無邪気で元気な女の子の顔を思い出す。怖かった。私たちは娘同然の歳の子どもがいることを忘れて政治をしていた。想像力の欠如は政治の消えぬ病癖だけれど、私たちは本当はわかっていたはずなのに」
「この場所には縁がある」
「そういうことだ」
島国の中央銀行の理事として、通貨政策に携わるかたわら、政治を担っているのが一体誰なのか、姫離の父はおそらく漠然とではあるがわかっていたのだろう。
「誰が政治をしているかは、私にはわからない。でも無邪気に平和を唱えたり、ナイーブに体制を批判するだけでは《政治》を打ち崩すことはできないことは、なんとなくわかっている。深い洞察をもって鍛え抜いた制度を、誰かがどこかで打ち立てる必要があるだろう。何度も言うけれど、私には誰が政治をしているかはわからない。そしてそれは誰も知らないのかもしれない。単純な理想は通じない。理念は骨抜きにされる。そして人の命は一枚の紙より軽いこともある」
***
「ホームシックにならなかった?」
妃君は姫離に聞いた。姫離はその質問の要領を得なかったようで、首を傾げた。
「いいわ」
妃君は見送りに来た姫離をホテルのロビーで抱きしめ、帰りを待っていると言って別れた。
父は一言「振り込んでおいた」とだけ言ってハイヤーに乗った。
姫離の口座には極めて正確に物価を反映した必要経費が入金されていた。
网海のカジノで稼いだ金があったから必要なかったのにと、姫離は軽くため息をついた。
午後五時くらいにカフェに入って一息つくと、席の対面に明月が座った。
「你好」
「你好同学」




