二百十三章《解釈》
「制約の言語回路」二百十三章《解釈》
雅狩は家に帰ると、シャツをクリーニングに出し、エプロンをかけて料理をした。
今日はハンバーグで、使う食材がいいものだから、美味しくないわけがなく、たまの外食以外、桜宿には自炊で満足してもらっている。
皿洗いをするとすぐ勉強に取り掛かる。
教え合いとかそういう茶番はない。
ひたすら勉強する時間。
「字が上手くなりましたね」
「もともと器用なんだ」
かりかりとボールペンが白紙を数式で埋める。解答を見る。直すこともしないのは、自分が書いた文字をよく覚えているから。純真であり無垢な心は、まるで幼児のように数式を覚えていった。
計算のスピードは、昔取った杵柄だけれど、それは流石に桜宿には及ばない。だがそれも、繰り返し計算することによって、精度を増した。
微積分を終わらせ、ベクトルに着手する。
微積分からやったほうがいいというのは桜宿の勧めだった。
整数や確率は、そもそも見聞きしていてやらなくてもわかるレベルだった。
選択していた世界史は、とりあえず教科書を二周して、それから簡単な問題集を解いた。
化学と物理も、まずは薄い参考書で概形を掴み、一次試験の薄い問題集をやった。
大石は風を巻き込み山肌を下る。速度は恐ろしいほど速い。
雅狩は他の誰でもなく桜宿のみをペースメーカーにしていた。大陸の秀才へのリスペクトと、歳籍への感謝。
ホストファミリーに雅狩の家を選んだのは、雅狩の学びへの渇望を刺激するためだったと解釈することもできた。
周りは誰も茶化したりしない。落ちこぼれの雅狩の変貌は、賭けても時期の問題であって誰もが予想できることだった。その結果までは誰も予想しなかったけれど、雅狩は最後には第一学府に入るのだ。
***
姫離は姉のテスト勉強にくっついて、喫茶店で勉強した。勉強は雅狩とは違い国語から始まった。
ラノベ頭を直さないと、と思ったのだ。
触るのは第一学府の過去問で、それだけを十五年分解いた。古典は文法を軽く触った後は、過去問の解説で必要な知識を入れた。
数学は基礎的な参考書を二周した。
理科と社会は、自学に含めなかった。
どの授業の時間も教科書の内に理科社会の教科書を入れて読んだ。先生はそれをめざとく摘発しようとして、集中している姫離が気づかぬうちにそばによる。教科書をうなずきながら読み進めている姫離に、先生は涙を禁じ得なかった。
よかったね先生、そうクラスメイトは先生を見つめた。
「内職しているのか?」
姫離は先生にかけられた声に気づかないくらい集中していた。ラノベを読んでいた時と変わらない関心で、教科書を読んでいるのだ。
「いやなんでもない。教科書の百七十二ページだが……」
先生はむせびながら授業を続けた。
授業が終わると次の授業の教科書を取り出して、理社の教科書にかぶせる。
それを繰り返して学校が終わると、姉に短く電話して、姫離は学校を後にする。
メガネをかけて電車で教科書を読む姿は、一つの客観的な達成だった。姫離の相対的な位置や順位について言及することがなくても、はっきりとわかる変化で、意義深いと多くの人が思った。
また高校二年から三年にかけて、姫離は美しく長じた。背が少し高くなり、体の起伏は目線を引いた。
メガネは彼女の冷静な印象を深め、片耳にしたイヤリングはミステリアスだった。
髪はいつも手入れされていて、後ろで結ぶ時は、体育の時間だけだったのに、気づいたら彼女の勉強スイッチの切り替わりの指標になっていた。
「どんな学問が好きとかあるのか?」
電車で歳籍が姫離に聞いた。
「なにも。ただ、なにごともそうであるかのように勉強しているだけです」
「そうか」
歳籍は笑った。
「でも強いていうなら、本を読んで生きていけたらいいなと思います」
「大陸の大学はどうだ?」
「私に行けますか?」
「大陸語は申し分ない。後は何学部に行くかだ」
「城市大じゃなくていいです。もちろん交通大じゃなくても」
「行く気があるなら手伝うさ」
「そういえば慶宮市には行ってみたかった」
歳籍はそれに答えなかった。
慶宮市重山大学。
彼女が行くことになったのは、大陸の南西部にある慶宮市。山肌に切り開かれた市街地は、蒸し暑い空気の下、大河によって二つに分かれて発展している。
南部にある重山大学は総合大学で、大陸での序列は十五位。そこでの生活は、彼女の人生の記念碑になる。




