二十章《藤宮島》
「制約の言語回路」二十章《藤宮島》
海域を守る巡視船が夕日で赤焼けた海面を進む。戦いが公的な要素を帯びるのは、大学中心での戦いが、不思議なほどアットホームだったから。
藤宮島にボートをつけると、入れ替わりで向こうから前任の少尉が近づいてきた。
藤宮島での半年に渡る任務を終え、また艦上に戻る。
敬礼をすると、精悍な顔つきに少しの疲労と任務からの解放感がないまぜになってにじんでいた。
緻里より少し年長。背も高い。海軍に属する尉官が身につけるかしこまった話し方と人当たりの良さが伝わってくる。
「大陸語がおわかりになるとか」
「この日のために身につけたようなものです」
「隣の国だというのに、大陸語を学ぶ人は少ない。緻里少尉の身は、島国にあっては貴重です。無理なきよう」
「ありがとうございます。お互いに、無理なきよう」
また敬礼が交わされた。
コツコツと軍靴がコンクリートの船着場を叩く。緻里と水軸は藤宮島所属の兵たちに迎えられた。
「緻里少尉。ようこそ藤宮島へ」
迎えにきたのは二人。一人は二十歳に届くかどうかという幼顔の男性、もう一人は服装からヘリのパイロットだということがわかる女性だった。
「想守と申します。航海士です」
「深了です。ヘリのパイロットをしています」
想守は手を差し出し、緻里の荷物を持とうかと、言葉なしに申し出た。
緻里はわずかに首を振る。それで想守は手を引っ込めた。
そのやりとりはある種の慣習なのだと、緻里には了解があった。
水を通さないカバン。士官仕様の上等なものだ。
縁の黒い四角いメガネは、深了の白い肌にくっきりと線を引いていた。髪は後ろに束ねられ、キャップから背中まで垂らされていた。髪は黒く、少しうねっていた。
想守は十九と自己紹介し、深了は少し笑って三十二歳だと言った。
「少尉はおいくつなのですか?」
想守が聞いた。
「二十四。想守くんからすると、年寄りかな?」
「少尉が年寄りでは、私はババアね」
「そういう意味では」
こういった軽いジョークが交わされるのも、半ば想定された展開だった。
「海の旅、お疲れ様でした。少尉も、水軸軍曹も、手狭な島ではありますが、歓迎いたします」
想守は言い慣れたせりふなのか流暢に歓待の意を表した。
「今日はカレーとか」
深了はメガネをカチャリとかけ直す。
「それは楽しみだ」
水軸が後ろでぼそっと言った。
船着場から、かなり頑強に造られた小さな司令室と宿舎へと移動する。
宿舎から出てきた若い男性は、襟のあるシャツを着ていて、軍人ではないようだった。
敬礼を省略して、お辞儀をし、大股でちかづいてくる。
「藍月さんです」
想守は紹介した。
「緻里少尉。待ってました。藍月です」
自信満々な顔つきで、藍月は帽子を取った。キャップの下の髪は短く刈られていたが、真っ白だった。
「緻里少尉は大学中心出身らしいですね。俺は、第一都市の私学出身です」
「第一都市、高校まではそこに」
「そうでしたか。なら積もる話もあるはず。楽しみですね。俺は事務室にいます。お時間がある時はぜひ」
私学、どこだろうと緻里は考えた。官僚になるくらいだから冷英大学とかだろうか。学歴が気になるのだからそのレベルかもしれない。
宿舎の窓はとても小さい明かり取りで、東向きだからもう暗闇が覗いていた。
想守に案内された部屋。何冊か本が置いてあり、シーツの替えとタオルが畳まれて置いてあった。
小説。緻里が読んだことのないものだった。その列に緻里も何冊か加えた。ここに住む尉官は、こうやって地層を作る。
机には一台のノートパソコンが充電器に繋がれていた。馴染んだ様子の筆記用具が、机の引き出しの中に用意されている。
新品のノートが二冊。
パソコンを立ち上げる。事務連絡で伝わっていたパスワードを打ち込むと、ホーム画面にいくつかの機能が用意されていた。
日誌。という名前の報告書。
ざっと前任者のものを確認する。
淡々とした書き口で、厳しさをあえて伝えない方針であることがわかる。それはそうなのだ。戦いの全局的な流れの中で、藤宮島は最前線であり、なおかつ末端だった。
肩が凝る。やけに緊張する。自分がここで敬語を使うべきかどうかもわからない。判断がつかない。
ひんやりとした壁が語る。蒸し暑い空気が喉に絡む。海の風を入れようとして窓に近づく。はめ込み式の磨りガラスで、心がささくれる。
洗面所には新品の髭剃りがあり、シャワー室にはボディソープとシャンプーが置かれていた。
念入りに行われた部屋の検分は、海軍の規律的には少し遅く、着替え途中のノックの音に慌てた声を上げた。
「少尉、夕食です」
想守に答えて、緻里も最後のボタンを締め、扉を開けた。
想守は敬礼した。緻里もそれに返すように敬礼する。
食堂に降りると、想守は警戒に当たるからと言って司令室へと下がった。
すでに水軸は輪の中に入っている。こちらを見る一同に、なんと言えばいいのか迷っていると、「少尉、困ってはる」と緻里より少し年上の女性が笑いかけた。「うちは符綴。よろしゅう。っと、いややわ、そんな顔せんでよぉ」
「彼女は看護師長。一人しかいないから、看護師であり師長でもある」
深了が符綴を紹介する。
「なんか、女慣れしてそうな顔ですなぁ。ふーん」
符綴はしげしげと緻里を見る。符綴の背はそれほど高くはなく、髪は肩まで落として、毛先はグレーに染められていた。
「女慣れ? それは見当違いです」
「女に追従しないところも、男にしては珍しいですけどォ、まあいいです。怪我、せんといてくださいね」
「ありがとう。気をつけます」
コックの博歳がカレーを配膳する。カツが乗り、福神漬けも盛られていた。マカロニポテトサラダが副菜。ドリンクはオレンジジュースだった。
食堂に用意されたマイクの前で、緻里は簡単な自己紹介をした。
「波の穏やかな今日、夕日が落ちたところで、まるでキャンプをしにきたのかと聞かれてしまいそうな、アットホームな雰囲気の中で、こういう風に歓迎されるとは思っていなかったというのが本心です。僕は風と雨と雷の友人を自称していますが、人の気持ちを変えることはできない。とすると、僕は他力本願にならざるを得ない。ですからみなさんの温かさはとてもありがたい。仲良くしてください」
賑やかで笑顔が満ちる食堂では、水軸も場に溶け込んで、美味しいカレーに舌鼓を打っていた。
「なあなあ、彼女おんの?」「おらんの? 好きな人は?」「年上と年下やったら、年上一択やろ??? え、ちゃうん!? ショックやわぁ」
興味津々の符綴からの質問攻めに困っていると、後ろの席の深了が「メガネっ娘は外せないんじゃない?」と絡んで闇鍋状態に。
子楽という通信士が、静かに食事を終えると席を立った。緻里は目で追いかける。しばらくすると想守が食堂の扉を開いた。
「想守くん」
「あ、少尉、やっぱ符綴姐さんに捕まってる」
博歳からカレーを受け取ると、符綴の隣に想守は座った。「符綴姐さんって、人のこと根掘り葉掘り聞く癖に、自分のこと全然話さないし、話し方もそれ、なんすか? 古語?」
「うちの集落ではこういう風に話すんよ」
「どこの田舎だよ」
「ちょお、想守くんだって田舎出身でしょおが。うちの発音は、昔の標準語だったんだから。ちょっとだけ政治の中心地だったからって適当に標準語制定せんといて」
「はいはい、符綴姐さん。ホクロと反対側の口の端に、お弁当つけてますよ」
「お前はお母さんか!? はー、はずかし」
符綴は唇を舐め、不敵な笑みを浮かべる。
「すみません。符綴さんはこの通り、すっごくうるさいんです」
スプーンが皿に当たる音がしなくなり、カステラが振る舞われると、食器を片付けて各々はスケジュールを確認し、当番についた。
緻里は部屋に戻ると服を着替え、日誌をつけて本部に送信すると、睡眠をとった。
ベッドの上でさざなみの音を聞きながら、気がついたら眠っていた。




