百九十九章《北方方面軍》
「制約の言語回路」百九十九章《北方方面軍》
常陸沖に展開されていた大陸海軍は、陣形を乱さないまま、作戦域を離れていった。
防衛戦はなんとか終わったものの、島国の空海戦力は離れる大陸軍を追い討ちすることはできなかった。
「じゃんけんかね」
「ん? なんどす、少将?」
「軍の使い方は、あの国には勝てない。最初から負けている」
「おや、そんなことをおっしゃっていいんですか?」
電話がかかってきた。
「賀王だ」
少将が取る。口ごもる少将の反応から、向こうも大した人間であることがわかる。
電話を切ると、少将は言った。
「北方方面軍より、敵艦隊にミサイル攻撃をする旨連絡があった」
「全て持ってかれましたね」
天妓が笑った。
少将の顔は険しい。
「飽和攻撃を選択するだろうな」
「でしょうね。北方方面軍は過激ですから」
天妓は、味方の北方方面軍の作戦図を同期した。
ディスプレイにミサイルの軌跡が映る。凄まじい数だ。
「不良在庫の叩き売り、か」
***
青ざめるような景色だ。
空母瀋陽と、その護衛艦は、島国の北方方面軍が発射したミサイルの束によって、常陸沖で沈んだ。
常陸上陸と、艦艇の沈黙は、陸島両国に深い驚きと憎しみを植えつけた。
本当なら、侵攻にはなんの意味もない。
国民国家というのは、この時代にあっては当たり前のインフラであり、空気だったし、占領する意図のない侵攻を行った大陸側の動きは、抑制の効かなくなった軍部の、残念な独断だった。
島国のミサイルでの応答もまた、政治的な決定ではなく世論の意図を汲んだ軍部の、これも独断だった。
各地で戦端が切り開かれる中で、両国の対話ルートは断線されていった。
勝つでも負けるでもなくまた、前回の戦争のような泥沼の応酬が始まると誰もが思った。
非暴力という考え方は、国家という暴力機関と世論という感情体に退けられた。
まるで、わかり切った「自分たち」が島国の国土の境界で切り取り摘出できるという、ナイーブな国民感覚に、多くの人が染まっていた。
実際には向こう岸に家族を置いてきた人も、戦火の広がりをなんとかして押さえ込もうとしている人もいたのに「正当防衛」という言葉が、もちろん「陸島両国どちらも」が金科玉条として掲げ、暴力を振るうことがまるで「正当」なことだと世論は信じて疑わなかった。
***
道綾と月書の軍隊は、沈黙を保っていた。
戦闘開始の号令は、各軍隊が個別に判断してかけていたけれど、二人は沈黙を破らない。「それこそが戦闘だ」という認識を、二人は共有していた。
また、二人の子飼いたちは、二人を極めて高く評価していた。練度の高さは両国でも随一で、緩い理性で暴発するなんてことは、二人には考えられなかった。
それは、月書が大陸随一の頭脳であり、道綾も同様に島国のエリートとして教育を受けた事実に基づいていた。軍隊という暴力装置は、「存在だけでも」大いなる暴力機関で、対峙するだけで力士が組み合って動かない時のようにものすごい力がかかっていた。
二人の背後には暴発することのない砲台が並んでいた。互いの微妙な動きを感知する。細かな応酬は、将棋の駒組のように精緻で、手順は訓練通り、誤りは一手も許されなかった。
「お互い、年を取りましたね」
道綾は月書に言った。
「子どもがいるんです」
「私も」
「長女は異能を宿していて、いい戦士になります。妹の方は、頭はいいのですが異能はありません」
「あなたを殺したくない」
「それは私も同じです」
二人は、じっと見つめあって、それから目をつむった。
***
風を集めて身を翻し、道綾はイージス艦の司令室に戻ると、マイクを持って艦隊に指示した。
「現時刻を持って、戦線を離脱する。我々がこれから目指すのは、東京湾だ。各位に告げる。我々が目指すのは東京湾だ」
急激な方向転換は、大陸の艦艇に腹を向けることになる。「許してくれ」と道綾は願った。
弾丸一つ降ってこなかった。
道綾の指揮する艦隊は、島国を半分縁取るように、黙々と進んだ。その整然とした艦隊行動は、ガンディーの塩の行進を思い起こさせる。
「緊張していますか?」
副官が言った。
「まさか。島国には月雪ちゃんがいる。彼女なら上手くやってくれる」
「もし失敗したら?」
「あなたは私を差し出せばいい」
「そんなことができると思いますか?」
「出世しないわよ?」
「あなたは親のようなものです。育ててくれた親を、後ろから刺す子どもはいません」
「歴史のお勉強が必要ね」
「恐縮です」
***
道綾の行動はたちまち島国を二分した。賛意を表明するものは多くはなかったが、艦隊は簡単に関門海峡を通過した。
道綾が多くを語らずとも、彼女の行動が意味することを、誰も見誤らなかった。




