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制約の言語回路  作者: 府雨
双子篇
195/213

百九十五章《酔うなよ》

「制約の言語回路」百九十五章《酔うなよ》


 大陸の世論は、島国の「侵略意図」に関する政府見解への賛否で分かれた。分かれたというより分かれていた。島国のことを少しでも知っている人は、侵略意図を、少なくとも島国の市井の人間が持っていないことを知っていて、口をつぐんだ。


 そういう時のお決まりは、政府が何を代表しているかを、政府の首脳陣が勘違いするところから始まる。


 口をつぐまなくてはいけないというのは、大陸が無謬の政治を敷いているという政府の一貫した姿勢に完全に依拠していた。政府を批判することはできない。


 だから世論は好戦一色で、どうしようもなかった。


 状況は島国でも大概だったが、例によって言論空間に広まったのは「非国民」を炙り出す、悪辣な手法だった。


「戦争に反対するということは、自国民が殺されても何も思わないということだ。それは卑劣な売国奴だ」


 狂気の沙汰としか思えない言説が、誰の目をもはばからず、情報空間に広がった。


《大陸人を殺せるなんてわくわくするな》


 とは、誰も言わなかった。自分の意見の帰結がそこにあっても、もちろん気づかない。彼らは「平和主義者」だし、もちろん「戦争反対」の、普通の人だ。


 結果的に多くの人が死ぬ。でも、自分が死ぬとは思わない。


 前線に立つ月書と道綾の脳裏に浮かぶ、自分を含めた仲間の落命の可能性を、想像できる人はいなかった。


***


 綺麗はたぐれる限りの方法を使い、平和工作を展開した。道綾の名前も使ったし、自分の名前も使った。


 前の戦争の記憶を、この世界に現前させるために、さまざまなレトリックを使い、世論と戦った。


 それは闇の中泥沼にまとわれて喘ぐ、苦しい時間だった。でも、前の戦争の記憶は、どこかで打ち止めになった。記録がなかったからだ。


 綺麗は道綾と連絡が取りたかった。彼女の言葉が聞きたかった。


 涙が出てくる。


 夜、課でぐずっていると、ほのかがティッシュをぽーんと投げてきた。


 すんすんと洟をかむ。涙が止まらない。


 メディアは、帰国の途についた人々の顔を映した。どこか硬直した表情の人々が、そこを故郷だと知るまでに無限の時間が必要だった。


 自分の感覚とあまりに離れた、他国への敵意を知って恐怖した。


 同胞がそこまで敵愾心に染まるのに「ちょっと待ってよ」と言いかけて、それでも同胞は同胞なのだろうか、自分もそうなのかと、嫌な類推をしてしまった。


 つまり、自分もそうであるべきなのかという疑問に、心を占拠された。


「友達は戻らないと言ったんだ」


 その友人の選択、そういうふうに選んだ友人を、ずるいとすら思った。多くの島国の人間は、自分にとても親切にしてくれた。その記憶は拭いされない。


 交わした言葉も忘れられない。


 ただ、家族に帰ってくるように言われたから、なんとなく帰っただけで、家族が安心する顔に「お前は何にもわかってない」と言ってやりたかった。


 指導部と、指導部を支える世論。


 なんでそんな薄っぺらい論理に、実際の人間関係が引き裂かれなくてはならないのか。諦めと怒りに心が萎える。


 もし全てが始まってしまったら、自分もまたそのダンスホールで踊らなきゃいけないのだろうか。


 酔わなければ到底できないような淫靡なしなを作らなくてはいけないのだろうか。


 記録をしなくてはならない。綺麗はそう思った。


***


 午前三時過ぎ、ほのかは車両の後部座席で眠る綺麗を家まで送った。自分も眠かったが、課長はそれに何倍も輪をかけて、疲弊していた。


 表向きの工作と裏側の平和工作は彼女の能力とドパミンを根こそぎ持っていき、もうしばらくは使い物にならないレベルまで神経を破壊した。


 もうエナジードリンクも効かない。


 ただ眠るだけだ。


 綺麗のマンションに彼女を担いで入り、インターホンを押す。


 バタバタと音がして扉が開いた。


「こんばんは。起こしてしまいましたか?」


「こんばんは」


「職場の同僚です。綺麗さんを少し休ませてあげてください。旦那さん、日本人ですか?」


「ええ」


《いいですね。私、少し日本語が話せます》


《少しというレベルではないようですが?》


《そうかもしれません。留学していたので》


 遼佳は何回かうなずいて、綺麗を抱きしめた。


《戦争が始まれば、もっと忙しくなります。起こしてしまいましたね。すみません。では、私は帰りますので》


《ありがとう。お名前は?》


《ほのかです》


《へ?》


「ああ、郭子と言うべきでした。ふふ、お気になさらず」


 扉を閉めると、車のキーをポケットで触りながら、言葉を知っていることの愉悦にほのかは浸った。

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