百九十一章《派青》
「制約の言語回路」百九十一章《派青》
「ほのかはハーフじゃないから強いのよね」
綺麗はほのかに言った。
「? どういう意味ですか?」
「ハーフだったら、引き裂かれちゃうから」
「ああ、単に海外を知っているということ以上にハーフだと色々ある、ということですか? 綺麗さんは?」
「私も一緒。知っているだけ。ほのかは大陸を蔑視できるし、私も島国を嘲ることができる」
「わかりますわかります。でも、語学はやはりその国への敬意をもたらしますよ」
「知るということは、外部化することだから、外部化したものは観念的に操作することができる。他国へのヘイトは、その国がその人に逆説的に埋め込まれていることの証左よね」
「そうですね。知らないから感情的になっちゃうんでしょうね」
「ちなみにほのかが、この課の全員を、バカだと思ってるのはちゃんと知ってるよ。それが、弱点なんだよねー」
「……何でわざわざ教えてくれるんですか」
***
綺麗が不在の金曜日に、雅舟から飲み会に誘われた。
どうやら合コンというやつらしい。
郭子と名乗る。情報部とは言わないまでも、一応官僚という高級取りとして、合コンに臨む。
集合が八時なのは、働き者の大陸人からするとかなり早い方。北城市地下鉄のとある駅、ショッピングモールの最上階のレストラン個室で、会は開かれた。
「乾杯」
白酒を飲み干し、杯を傾ける。
素早いやり取りが、卓上を行き交う。
火鍋をつつくのは、どの合コンも変わらない。
「郭子か? 彼女は最近うちに来た」
「こんばんは。郭子です。雅舟さんの後輩で、今は庶務周りをやっています」
ほのかは、にこにこしながら火鍋に箸を彷徨わせ、話されるとにこやかに答え、敢えてこちらから話を振ったりはしなかった。でももちろん、その六、七人の合コンでは、一番の人気者だった。
「雅舟さんの話が聞きたいな」
相手の女の子が言うと、ほのかは彼のメンツを立てた。綺麗にいいように使われているとも言えたが、「溌剌で、積極的で、優しい」と言葉の上で褒め称える。
「たぶんいいお父さんになりますよ。少し田舎っぽい可愛さもありますしね」
愛嬌をつけ足すことも忘れない。
「郭子ちゃんは?」
「こいつは、マジで最悪。頭いいし、可愛いし、なんなら島国の言葉を喋れる」
「島国の?」
「ああ、すごいぜ。ちょっと話してみろよ」
《隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。》
「え、それ何?」
雅舟がドン引きしていた。
「小説の一節です」
わいのわいの話が盛り上がり、ほのかはまた小さくなって、にこにこしていた。
「どこ大なの?」
「私は人民大です」
ほのかは、にこっと笑って言ってのけた。
「留学したの?」
「ええ。島国文学が好きで」
「第一都市? 西都?」
「第一都市です」
「島国ってどんな感じなの?」
「とても平凡な世界です。平凡なのがいい。平和だし、能天気だし」
それを島国人であるほのかから聞くのは、雅舟には少し違和感があったが、島国を知らない面々にわかりやすい説明ではあった。彼女らはもちろん「島国が大陸より優れていること」を聞きたいわけではないわけだから。
「老板というのは、いないんですよ。トップダウンというものはない。ボトムに人材がいると言えば聞こえはいいですけど、責任を取る人がいないんです」
「トップになるのが人生なのにね」
「そうそう。そうですよね」
雅舟がすごい目でほのかを見ていた。
ほのかに目線が集中していたから、雅舟の視線を咎める人は、ほのかを除いて他にはいなかった。
ほのかは心中で「落ち着け」と雅舟に言ったが、もちろん雅舟は気づかなかった。雅舟の「この、猫かぶりが」とでも言いたげな表情に、ほのかは少し愉悦を覚えた。自分が島国の人間だと感じる最上の瞬間だった。「この複雑さ、あなたにはわからないでしょうね」とでも言うように。
***
帰り道で一緒になった派青という男は、何でこの合コンに来たのかとほのかが聞くと「郭子さんと大概一緒ですよ」と返した。
「私と?」
「雅舟くんのメンツを立てるために来たんですよね?」
「派青くんも?」
「ぼかぁ、人数合わせ」
「寡黙系は、私好きですよ」
「本当はそういうタイプなんしょ?」
「そういうタイプぅ?」
「お淑やかな装いで、男も女も撹乱された」
「派青くんは? 撹乱されてくれた?」
「なんとか意識は保てた。交流会の男どもは酒でほとんど前後不覚。と、そういえば、あの小説の出だし『山月記』っしょ?」
「あ、やっぱりわかってたんだ。一人うんうんうなずいてたけど」
「高校の授業で使ってた」
「え? 第二?」
「そっすよ」
「大学は?」
「城市大」
「それは、すごいねえ」
《島国の言葉は、全然でけへんけど》
派青は、闊達な関西弁を披露すると、着いた地下鉄の駅で降りた。
《おやすみ》
ほのかが言うと、派青は笑って何も言わなかった。
久しぶりに関西弁を聞いたのが、何となく嬉しくて、さっきもらった派青のチャットアカウントに、スタンプを一つ押して帰った。




