百八十八章《茶》
「制約の言語回路」百八十八章《茶》
テーブルの上には菊茶が置かれていた。
いいものだとわかるのは当たり前だが、それより島国の側が「日本茶」以外でもてなすのは、異例と言ってもよかった。
言及されることはないと思っていた龍洋公使は、大陸側の文官からさりげなく聞かれて、頭をかいて笑った。
「今日は重陽の節句ですから」
それだけで、会談は形になったと言ってもいいかもしれない。美味しい菊茶だった。
龍洋が見送る大使館の入り口付近で、思いがけず公使は、ほのかに声をかけた。
「素晴らしい島国の言葉ですね。どうやって勉強されたのですか?」
「島国に留学したことがあるだけです。大したものではありません」
ほのかはそっけなく言った。会談が終わるのすぐ無骨なジャケットを羽織り、事務方というより大陸の政治ヤクザのように振る舞ったのは、どちらかというと大陸側に見せたいがためのものだった。
それはとても効果的で、外交部は、確実な仕事ぶりと合わせて、ほのかをきちんと認知した。情報部に負うところがあると思わせて、綺麗は後で「いい人材を送ってくれた」と外交部から内々に連絡をもらった。
情報部に帰ると、もう夜遅かった。
「おかえりー」
綺麗は、まずほのかを労った。
肩を揉み、笑顔で迎えた。
「疲れましたー」
「お疲れ様だよ、ほのか。さっきチャットで向こうの課長からお礼されたよ。今度は髪を下ろして俺の女になれ、だって」
「冗談ですよね?」
「冗談だよ。でもとってもいい仕事だったって。予約取ってるから、ちょっと内容聞かせて?」
***
くっくっくっと、喉を鳴らして酒を呑む。綺麗が奢るというからついてきた店は、海城料理の店だった。
「交大、だったんでしたっけ」
「そだよー。いい友達が海城市にいてね、かなり味がわかるようになった。美味しいっしょ?」
「美味いっす」
「よかったよ。酒も料理もいくらでも頼んで」
中級ホテルのレストランの個室。声は漏れない。
「たぶん、島国の口ぶりからすると、これを機に外交問題の個別的解決を図りたいというニュアンスで、大陸側は、あくまで道義的な責任を追及したいと。要は、へいこうせ……」
「だよねえ」
「向こうの領袖の当該ウルトラ失言について、こっちはカードをもらったわけだから、行けるところまで行きたいよね」
「もちろん同情はありましたよ。官僚に罪はありません。でも無能な領袖を選んだ国民の責任でもあります」
「個人レベルでは、同情以外の何もないよね。暗い世論におもねらなきゃいけないというのは、どちらの国の事情も同じだしね」
「たぶん、島国の外交官に譲歩するのは、感情的にできても職務的には不可能なんでしょう。表の会談は絶望・阿鼻叫喚・地獄だったみたいですけど」
「意外と、手がないんだよね」
綺麗は手を止めてほのかに向いた。
「手?」
「この問題、大陸側も痛いから。どれだけ島国の領袖がバカでも、国力的には対等だっていうのが辛いはず。島国を潰せないし、無視もできない。で? 龍洋公使は一体なんて言っていたの?」
「民間交流の可及的速やかな再開と、渡航者の安全確保、官界の事務折衝の定例化」
「なんてできると思うか?」
「と、こちらの課長は言っていました」
「頭が痛いねー。島国って、本来的には外交下手じゃないんだけどなぁ。少なくとも歴史を辿った限りではね」
「どうしてそう思うんですか?」
「独特の論理があってねえ、それがいいのよ」
「論理、ですか?」
「わかりにくいのよ、意思決定のプロセスとか。読みにくいの。私それでいつも頭を悩ませる。でもあの領袖は、わかりやすいでしょ?」
「確かに」
「わかりやすいってのは、外交にはマイナス。以上。食べ給え」
***
綺麗はタクシーに乗って家に帰った。
ほのかは、少しホッとした。帰属意識も信頼関係も何もない中で、仕事を任されたことは、かなりの安心材料だった。
宿舎のラウンジで、雅舟と鉢合わせした。
「菊茶飲むか?」
そう聞かれて、舌の根が湿った。
「コンビニで買ったやつだけど」
ポンとペットボトルを投げられた。
さりげなくて気づかなかったが、それは小さな親切だった。こくっと、ペットボトルを傾けると、あとはがぶがぶと飲むだけだった。




