百八十七章《初仕事》
「制約の言語回路」百八十七章《初仕事》
公務員宿舎は、官僚機構のそばに置かれていた。
官僚たちは家族ができると大体家を自分で持つようになる。出世する官僚は、大概第三環線の内に、と相場は決まっている。
綺麗は、子どもを育てながら、なおかつ出社しやすいようにと、かなり仕事場に近いところに部屋を借りていた。
***
宿舎の近くの軽食屋で、朝ごはんを食べる。
「見ない顔だね」
「ええ。最近ここに」
とんと置かれた肉団子入りのスープが美味しくて、ほのかは目を見開いた。
「おいし。っ、ごめんなさい」
「あやまるこたなぃね。宦官も女官もみんな気に入ってくれまさぁ。それにしてもあんた、朝早いね」
「いえいえどうも」
「それに美人だ」
ほのかは、それに軽くうなずいただけで、肯定も否定もしなかった。
「官僚かい?」
「最近このあたりに着任しました」
「無理することないね。と言っても、あんたはなんでも大丈夫そうだがね」
「ありがとうございます」
「いってらっしゃい」
ほのかは支払いを済ませると、情報部に出勤した。
「おはよ」
先に綺麗が来ていた。
「おはようございます」
「一個、仕事ができたんだけど、任せていい?」
「いいですよ」
「非公式の陸島会談があるの」
「ああ、今の陸島関係改善の?」
「そう。本当は私が通訳に行く予定だったんだけど、ほのかなら、私よりうまくやるんじゃない?」
「情報部の案件ではないんですか?」
「わかってるねえ。今回は外交部からの依頼。陽成課長が出ると、明るみに出ちゃうでしょ?」
「ああ、そういう」
「プロフィール、覚えておいて。郭子だと、バレちゃうかも」
綺麗は「設定資料」を渡した。
名前は「穎客」使い捨て、とあった。
名刺を七枚受け取る。ほのかは、それを胸元の名刺入れに入れる。
「髪、少し伸びたね」
「ああ、そうですね。最近少し時間がなかったから」
「後ろに軽く結んだ方が、やつれていいかも」
「おっしゃる通りです」
ほのかは、綺麗からゴムを借りて、髪を後ろにまとめた。
化粧も、目立たないように、少しほのかの容色をくすませる。
「きっと島国の人たちびっくりするよ。まあネイティブだから当たり前だけど」
「どうでしょう」
「会議の内容については、後で教えてね。外交部の方針は、こぼすと怒られるから」
「責任重大ですね」
「大丈夫。いつも通りだよ。そうでしょ?」
ほのかは、返事することなく、設定資料を読み込み始めた。
***
ハイシオンのバンが二台。島国の領事館内に入った。
北城市で最も重要と言われる外交拠点の一つ。かつての戦争に至る経緯は、誰も忘れていない。
島国の「領袖」の失言が元になって、島国の外務省からさまざまなルートで断裂した関係の修復の打診があり、大陸外交部は、島国の面子を立てる意味と、内国的世論への配慮から、今回はこちらから出向くことにしたと、簡単に外交部の職員から説明があった。
車から降りると、公使が出迎えた。
「ようこそ」
公使が島国の言葉で言った。
「大使は?」
大陸の武官が、ぞんざいに言った。それは、とてもありきたりなポーズで、その後外交部の現場担当者が武官を制すると、大陸人の文官にありがちな白い歯と肌、合わせた金属製のメガネを見せて、笑った。公使の顔が少し引き攣ったのを見逃す人は、ここにはいなかった。
「大使は、ご存知の通り不在です。ただ今大陸外交部に出向いております」
誰もが知っていることだ。その裏をついてこの会談が組まれた。
島国の龍洋公使は、それから大陸語を使った。かなり上手い方だが、ネイティブほど自然というわけではない。
向こうの文官に、島国の言葉を訳すよう依頼することもあった。
ほのかは、「外交部付専門言語委員」と書いてある名刺を向こうの文官に渡した。
文官もほのかの手に名刺を差し渡した。男性で、年齢はほのかより一回りくらい上。窓鎚とあった。
ほのかは髪を結び、化粧で容色をやつれさせてもなお、その場の男性衆目を集めた。
ただ、その場の大陸側の人間も含めて、ほのかを島国の人間と看破した人はいなかった。
服装ややつれ方は見事に大陸の女性文官のそれで、振る舞いや表情も大陸人的だった。
向こうの文官に「大変ですね」と世間話をしても、もちろん違和感なく受け止められる。ほのかは敢えてボロを出さないようにする必要など皆無だった。
***
会談は、粛々と行われた。表の島国の大使と大陸外交部次官の会談が同時間帯にあって、それはたぶんかなり悲惨なものになるだろう。
島国は多くの批判を受け、正当性がない発言への苛烈な攻撃に耐え忍ぶ時間が続くに違いない。そこにはおそらく外交部陽成課長がいて、ニコニコしながら厳しい発言を柔らかく訳していく。
こちらは少し気が楽だった。
一級の外交問題から降りてきた、二級の問題。人的交流について、各省庁各政務部の対応を取りまとめ、衝突点を浮き上がらせる。
島国の強硬派への対応として、大陸側が考えていることはなんなのか、何を要求してくるのか、それが「領袖」の発言を人質に取られた島国の公使が、大陸側から聞きたいことだった。
抽象的な批判にさらされると、島国の世論は右に傾く。それを避けたいために、具体的な問題解決に落とし込みたい島国の姿勢が、ほのかにも見て取れた。




