百八十六章《雲南料理》
「制約の言語回路」百八十六章《雲南料理》
ほのかが起きたのは、柔らかい情報部の宿舎のベッドの上だった。高官の妃垣が、朝早くに出勤していて、ほのかの顔を覗いた。
「おはよう。ほのかさん」
「おはようございます」
「少し顔を見たかっただけ。あんまり警戒しないで」
ほのかは、笑みを浮かべた。自分の利用価値をきちんと理解している顔だ。
「私には、いろいろなことができると思いますけど」
「たとえば?」
「私が大陸の企業に向けてした工作と同じことを、この情報機関が苦々しい思いをしている人たちへあてがってもらえれば、できると思いますけど」
「なにか具体的なアイデアがあるみたいね」
「もし、軍部を抑えたければ、軍に向けてあてがってもらえればいいですし、中央政府の要人を失脚させたければ、お手伝いしますよ?」
「おいおいその話はしましょう。ご飯を用意しましたから。油条。嫌いじゃないでしょう?」
揚げパンをもぐもぐしていると、綺麗がやってきて手錠を外した。
「いいんですか?」
「あ、これ。新しい市民カード。カバン返すね」
「端末も、いいんですか?」
「全然いいよ。データ吸い上げたし、見たいものは見た」
「はあ、これでは島国に帰れませんね」
「ここでやっていくしかないっしょ! 私、可愛い女の子は昔から好きなの。宿舎に部屋作ったから、シャワー浴びて。化粧品は島国製がいい?」
「できれば」
「贅沢言うな」
「すみません」
***
公安と連携を取る。吸い上げた連絡先を元に、島国の情報機関のアジトに捜索に入る。
バタバタと小物が捕まる。現地の大陸人協力者が逃げ遅れていた。
星声はここ数日寝ていない。
資料を押収するけれど、重要なものはあまりない。ただ、島国が国家的に情報撹乱を仕掛けてきた証拠にはなる。向こうは外交問題にされるのが一番嫌なはずだ。
そして、こういう手合いに一番強いのは、島国の言葉が話せる綺麗だった。
今回の捜索で捕まった島国の人間はいなかった。ほのかの逮捕とともに、皆帰国の途についたのだろう。
「ほのかさん、お仲間のパスポートに書かれた名前ってわかる?」
「わかる人もいます」
「仲間同士でもコードネーム?」
「そんなかっこよくないですけどね。私は郭子でした」
「ほとりさんは?」
「紫水」
「洒落てるね。チームは何人くらい?」
「大陸課は全体で五十人くらいです」
「直通の連絡先は? 電話番号」
「課の窓口のものがホームページにあります」
「そう。それはねえ、知ってるよ」
「課長の電話番号は知りません」
「そう、お昼ご飯何がいい?」
「雲南料理が好きです」
「オーケー。新しいメンバーの歓迎会。三十分後に出るよ」
***
雅舟が運転するハイシオンのバンに、六人乗った。
配置は逃げることなど考えていない適当なもので、綺麗がリラックスできるように気を遣ってか、島国の言葉で質問していた。
質問といっても実務的なものではなく、気楽なものだった。
息子が小学生で〜、とか、最近読んだ漫画の〜、とか、ゲームする? とか他愛無いものだ。
北城市の北の外れの雲南料理レストランは、人で賑わっていた。
席に座ると妃垣が適当に注文していく。
「ようこそ、ほのかさん。北城市民になった気分は?」
「正直落胆しています」
「結構結構。たくさん食べてね!」
「私、どうすればいいんですか?」
「ん? とりあえず食べて。まだ若いんだから。てか、あんまり疑問に思わなかったの?」
「なんですか?」
「仕事とはいえ、体を使ってたなんて。不道徳じゃない?」
「体? あはは。切り結んだりはしてないですよ。キスもしない。体を触られたら叱りますよ。男なんだからもっとちゃんとしなさいって」
「容姿を武器に使うのは、ほのかさんの倫理には触れないの?」
「最も誠実な生き方です。私は虚飾を嫌います」
「そっか。麺入る? スープ頼む? 羊は足りてる? 妃垣局長持ちだから、いくらでも頼んで」
「綺麗さん。日本語で言えば私がわからないと思ったら大間違い。次期課長には相応の分担がありますよ?」
妃垣は「四百八」と言った。
「え、局長。嘘ですよね」
「私がいくら持つと思ってるの?」
「知ってます。わかってますよ」
局長持ちは「九百零四」。
「お給料とかってちなみに」
おずおずとほのかが聞く。
「二万元。少ないけど、住居費もかからないし、楽に暮らせるはずよ」
「振り込みですか?」
「ええ、あなたもう正規職員だから。情報部付特別捜査官。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
***
捜索された家から、段ボールで服が送られてきた。
手荒く扱われたみたいで、シワがついていたが、ことごとくクリーニングに出し、部屋のクローゼットに収納した。
国内諜報と国外諜報の両方を請け負う情報部は、公安の捜査権力を活用して、極めて卓越した捜査力を持っていた。
綺麗は、基本的に島国の企業と癒着する国内企業の摘発が主務で、ほのかが捜査線上に上がったのは、偶然のことだった。
いわゆる「パーティ」を中心とした、人流人脈の解析は、どの人脈にも絡んでいる綺麗によって行われ、笑顔と明るさとは別の、怜悧な頭脳によって、効率的に暴かれていった。
ほのかは、綺麗と一緒に「社交の場」に出て、人脈を作ることから事を始めた。
綺麗のそばで、ドレスを纏い、眉を動かし、意味ありげな目配せをする事が、彼女の仕事だった。
綺麗は時折ほのかのそばを離れ、視界の端で誰と話しているのかを確認しながら、ほのかを徐々に自由にした。自由にすることが彼女のパフォーマンスを上げる事を知っていたし、万一にも逃げられることのない自信が、綺麗にはあった。
大陸風ではなく、本格的な大陸の流行を知っているほのかは、実に手際よく大陸人になり、大陸に来る島国人を欺いた。
まさか大陸人だとは思わない島国人の不正を嗅ぎ当てる嗅覚は、自分がそれまでやってきた本領と、何ら変わらない。
彼女の使う島国の言葉は、当然ながらネイティブだが、大陸人の言語に対する凝り方からすると、違和感なく感じられたはずで、まさか島国人だとは誰も思わなかった。




