百八十五章《ほのか》
「制約の言語回路」百八十五章
ほのかからの連絡が途絶えて、ほとりは即座に出国した。手元にある重要文書は破棄して、電子データの所在は、口頭で確認した手順に則って、島国のインテリジェンスに回した。
ほのかとほとりは適宜入れ替わる。だから、ほのかが捕まったのは、運が悪かったということ以外の何でもない。
トラブルを起こしたわけじゃなかったから、おそらく手練がいたのだろう。
「よかった。これで私が、世界で一番可愛い。はず」
***
ほのかは、公安のハイシオン内で錠をかけられた。万が一にも逃れることはできない。
「島国のどこ生まれ?」
「第一都市ですよ」
「大陸語は?」
「私、ラジオマニアなんです。ずっと大陸中央電台と城市广播ばかり聞いていました」
「それでこんなに流麗に喋るのね」
「恐縮です」
「大学は?」
「第一学府、大陸政治が専門です」
「ご家族は?」
「ご存知の通り双子の姉がいます。両親は戦争で死にました」
「恨んでるの?」
「まさか。大陸語は興味以上のものです。ただそこに感情があるわけではないですけど」
「興味以上?」
「敵を知り味方を知らば、百戦危うからず」
「その通りね」
「綺麗さんは、大陸人ですか?」
「日系のね」
「私、どこでミスりましたかね」
「北城方言、上手だけど鼻母音は、少し作ってる感じがした」
「あー、あー、もう。それ苦手なところーッ。はあ、練習不足か」
「他が完璧なだけにね。アル化する単語は全部覚えてるでしょ?」
「ええ、まぁ」
ほのかはがっくしと肩を落とす。
「ちなみに西城区第六はね、あるよ」
「んんんんんー!!! やっぱり。絶対大丈夫だと思ったのに、なんでだって。かまかけられてたの!? 当たり障りない質問ばかりだから、なんか変だなと思ってた。争うのも、なんか変だし。悔しいですね」
ほのかは笑った。
ハイシオンは大陸官僚機構の情報部の宿舎につけた。
星声は警戒を怠らず、ゆっくりとほのかを車外へ降ろすと、待っていた情報部局員に明け渡した。
「綺麗さん。私はこれで」
星声が言った。
「夜遅くにごめんね」
綺麗は車のキーを渡した。
***
「端末のパスコード教えて」
「413422」
「ありがと。画数? ほのかほとり」
「はぃ」
ほのかはしょんぼりしている。
「雅舟、彼女部屋に入れたら、お茶淹れてあげて」
「了解。姐さん、少し寝たら?」
「なんのために宿舎につけたと思ってるの? 寝るためでしょぉ? あとよろしく。可愛いからって手をつけないように! 彼女ほとんどサークルクラッシャーなんだから」
「姐さんの方が美人すよ」
「ありがと。じゃおやすみ」
***
「眠る前に、少し話を聞いても?」
「ええ」
「カフェインは必要?」
「できればマグに入れて欲しいけど」
「残念ながら紙コップだよ。カバンは悪いけど預からせてもらう。いいね?」
「構いません」
「しかし、実に綺麗な大陸語だね」
「島国の人間は、凝るんですよ」
スマホの中を見ながら、雅舟はほのかに質問していった。
「結構たくさんの人とやり取りがあるね」
「それだけ、大陸人が美人好きということでしょうか」
「自分で言う?」
「雅舟さん、一ついいことを教えて差し上げます。美人であることと、島国の人間であることは、生きる上で非常に楽。誰もその存在に疑問を抱かない。そして自分も、決して自分のアイデンティティを疑いません。大陸人が、自分の持ち物に外部性を見出さないのと同じで、島国の人間にとって自己は、内在も外在もしない、単なる空間なんです」
「無ってこと?」
「煎じ切らないということです。哲学の場において、論理を突き詰めることは、存在を確定させることです。そうですよね? でも私たちは違います。考えを宙ぶらりんにすることができる。結論を出さないことができる。それは結論を出すことが、そもそも不可能な局面において、重要な姿勢になる」
「たとえば?」
「島国の人間の愛国心の薄さは、その卓越した穏健さと密接に結びついています。私も、別に愛国者ではない」
「国を好きになれない人間が、人を好きになれるのか?」
「本当に好きになったことがある人は、その答えを知っているはずです。好きという『行為』は、そんなに浅はかじゃないですよ」
「色仕掛けのスパイに言われてもな」
「そりゃごもっともです」
話しながら、端末の情報を吸い上げる。
雅舟はほとりについて質問する。
「役割があるの?」
「いえ、二人二役です。事務も実務も二人二役」
「なんで?」
「いつでも入れ替われるように」
「今、ほとりは何をやっている?」
「もう帰国の途です。早々に撤退」
「どうやればコンタクトできる?」
「手錠を外してください」
「それはできない。姐さんに怒られる。何を企図している? 島国は何を考えている?」
「私のような末端が知ることはありません。何歳だと思ってます? まだ新人ですよ」




