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百六十五章《母親》

「制約の言語回路」百六十五章《母親》


「勉強していたの?」


 琉璃は、リビングテーブルでコーヒーを前にしていた。コーヒーは湯気が立っていて、淹れたばかりだということがわかる。


 祖母はもう眠っていた。


「そうです」


「私は、別に心配していないんだけど、マルニが私をよこしたの。様子を見て来てほしいって」


「特段変わったことはないですけど」


 美衛も席に着いた。梅ジュースをテーブルに置いて、琉璃を見た。


「海城市は、あなたにとっては、監獄のようなものかしら? それとも、あなた自身が内側から部屋に鍵をかけて、外に出られなくしているの?」


 琉璃の質問は、美衛には応えた。そのどちらか、あるいは両方かもしれなかったが、その問題に、明確な解答があるわけではなかった。逃避という直視したくない現実を、軽く、簡単に突きつけられてしまった。


 美衛は回答できなかった。


「いい。私はあなたのあがきを尊重したい。悪いわね、夜遅くに押しかけて」


 琉璃は、コーヒーを飲むと、キッチンで食器を洗い、荷物を背負って帰ろうとした。


 美衛は、とっさに声をかけた。


「大学、なんですけど」


「ん?」


「私は城市大に行きたい」


「わかった。他に、言っておきたいことはある?」


「特には」


「美衛。場所が変われば解決するなんてこと、私はないと思うけど」


 美衛の胸がズキンと痛んだ。母親の前で、言葉が出てこない。


「まだ、足りないですか?」


「勉強に関して? さあ、あなたの成績、知らないから」


 そっけない声で、琉璃は言った。「私に、成績についてコメントしてほしい?」


「そういうことじゃないんです。お母さん。私は、成績について聞いたわけじゃなくて、私がこのまま壊れていかないか、聞いたんです」


「大丈夫じゃない? それに、壊れたらどうなるの? 美衛が私の娘であることは変わらないし、やっている勉強に、私が不安を覚えて、口出しをして、あなたの成績は上がるの?」


「そういうことじゃなくて」


「甘え下手なのね」


 琉璃は、笑った。「もう行くわ」


 美衛は、外につけた車を出して、家に帰った。


 美衛は涙がこぼれるのをとどめることができなかった。自分がやっていることに自信が持てず、突き放されたように感じ、気持ちが強張っていた。


 ポタポタと涙が床に滴る。孤独に囚われていた。


 どう言えばよかったのだろう。城市大に行くと言えば、応援してもらえると期待していたのに、実際は期待と全然違った。


 祖母が、トイレに入る音がした。


 美衛は涙を見せないようにベッドに入った。もう少し泣けるかと思ったが、涙は出なかった。気がついたら眠っていた。


***


「おねーちゃん」


 弟からチャットが飛んできた。


「お父さん、アメリカに帰省するってさ。僕はついていくけど、ねーちゃんは行かないよな」


「教えてくれてありがとう。私は行かない」


「お母さん、北城市に行くらしいぜ。ついてったら?」


「お母さんと話したの?」


「お父さんに呟いてたよ」


 美衛は、母親にチャットした。北城市に行くなら、ついていきたいと。


「知り合いに会いに行くの。でも、ちょうどいいかも。城市大に顔を出すから」


 美衛は、北城市に行ったことはなかった。


 カバンに二日分の着替えを詰め、読みたい本を挟んで、飛行機に乗った。


「勉強道具、重くなるからやめといた方がいいよ」


 琉璃は言った。だから、持っていかなかった。


 北城市に着くと、空港に車をつけて待っている人がいた。


「お嬢様。久しぶり」


「お嬢様はやめてよ、琉璃。こんにちは、美衛ちゃん」


「こんにちは。綺麗さん」


「私が海城市に行くのはしばしばあったけど、琉璃が来るのは珍しいね」


「美衛が、城市大に行きたいんだって」


「へえ。まあ話は車の中で。どうぞどうぞ」


***


「美衛ちゃんは、お母さんにそっくりだね」


「そうですか?」


「きっと、いい大学生活を送るよ。間違いないね」


「そうだと、いいのですが」


 美衛は、運転する綺麗を見つめていた。睨んですらいた。


 北の街らしく乾燥した空気は、海城市とにおいが違った。綺麗も、確かに北の人らしく、背が高く唇が薄かった。


 美衛は、何回か綺麗と話したことがあった。もっと小さかった頃、柔和な表情に比して、凍てついた、硬い小さな手に頭を撫でられた。


 母親が話す時に向ける、綺麗への自然な注意に、なんとなく納得がいかなかった。


「なんか恥ずかしい」


「お嬢様?」


「見られてる」


 助手席に座った琉璃からは、美衛の視線は見られない。それは運転席の綺麗もそのはずだった。


「城市大。交大じゃダメなの?」


 美衛は答えなかった。


「学部は?」


「理学部」


「へえ、そうなんだ」


「琉璃、娘さんのこと何にも知らないのね」


「興味がないわけじゃないんだ。ただ、干渉したくなくて」


「外目には一緒だと思うけど」


 琉璃は窓の外を見た。


「姫里」


 綺麗が車が止まっている間に、通話を始めた。


「綺麗さん。どうされました?」


「見学希望」


「はい。わかりました。北門にいます」


「綺麗、知り合い?」


「島国からの留学生。道綾が叶わなかった、城市大への留学」


「道綾?」


「大切な友達だよ」

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